第1話 事務所立ち上げ前夜 | デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-
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様々なジャンルで活躍するデザイナーの来歴をたどるシリーズ、第6回は「共同経営のデザインオフィス」編。1994年の立ち上げから10年以上、ともに活動を続けている大内顕さんと副島満さんによるサイレントグラフィックスを取材し、出会いから事務所立ち上げの経緯、これまでの業務のあり方について話をうかがいます。

第1話 事務所立ち上げ前夜


大内顕さん(左)と副島満さん(右)

大内顕さん(左)と副島満さん(右)

酒場の常連としての出会い


――まず、大内さんがデザイナーになった経緯は?

大内●僕は大学時代、法律を勉強していたんです。卒業後は銀行に就職して、8年勤めた後に副島と事務所を立ち上げました。だから、きちんとデザインの勉強をしてこの道に入ったわけではないんですね。

――以前から興味はあったのですか?

大内●大学のとき、アート系のサークルに入ってました。その頃から絵を描いたり、デザインや映像も遊び程度にやっていましたが、子供時代からそういうことが特別好きではなかった。それよりも基本は音楽ですね。好きなレコードのジャケットを見るのが楽しかったんです。

――何が好きだったんですか?

大内●ずっとレゲエやニューウェイブを聴いてました。一時期「ロックは死んだ」と言われて、一旦フォームが好き勝手になったじゃないですか。あの頃の音楽の影響は大きかった。あと、同時にケニー・シャーフとか、80年代のニューペインティングも好きでしたね。いま振り返ると、そういうものからデザインに興味を持ったのだと思います。


大内顕さん

元銀行マン(!)という経歴を持つ大内顕さん
??でも、学業も就職先もデザインとは縁遠い世界で……。副島さんと知り合ったきっかけは?

大内●たまたま、通っていた飲み屋の常連同士だったんです。

副島●渋谷の松濤にちょっと変わったバーがあって。僕は偶然、知り合いのスタイリストに連れてかれたのですが、通い始めたら常連がみんな個性的な連中で……その一人が大内だったんです。その頃、僕はすでに駿東宏さんのスントー事務所にいたのですが。

――異業種で意気投合した、と?

大内●そうですね(笑)。

副島●一緒に飲んでいるうち、そろそろお互い30歳だから「将来どうする?」みたいなことをよく話してました。で、1年ぐらい飲み屋でダラダラしてたのですが、その間に大内が神戸に転勤したんです。そうしたら、大内が「独立して新しい人生を考えたい」という電話をよくかけてくるようになって。

――銀行の仕事、いやだったんですか?

大内●バブルの頃で、やっぱり周囲の感覚が狂ってたんですね。更地を探して歩いてるような日々で、あったら所有者を見つけて「ビル建てないか」と。バブルが弾けた後に転勤して神戸に行ったのですが、担当していた繊維業がもう悲惨なんです。それでも、なおかつ数字を上げなくてはならない。この状況はおかしいと思っても、周囲がおかしく感じないのがおかしいと思うようになって……。

――それはキツいですね。

大内●そのうち、自分の手を動かして仕事をしたいと考えるようになって。

副島●だからといって、デザイナーになるってこともないだろうけど(笑)。

大内●銀行勤めの頃もイラストも描き続けて、友人のミュージシャンに渡したり、地味なことをやってたんです。で、副島も「絵を描くのが好きなら、デザイナーになれば自分の絵も使えるし、アートディレクターになれば好きなようにできるよ」と言ってくれて。

図案の仕事をしたかった


――話を戻しますが、一方の副島さんがデザイナーを志したのは?

副島●僕は高校卒業後、やりたいことがなくて、アルバイトをしながらブラブラしてたんです。で、バイト先で「社員になれ」と言われて、それもいいか……と思っていた頃、漠然とやりたいことがあったのを思い出した。新聞の「ひとこと」みたいなコラム欄に、季節に応じたイラストが載るじゃないですか。子供の頃から、あれを描く人になりたかったんですね。こういうのを一生、描いていきたかったんだよな……と。

――藤子不二雄の『まんが道』で、満賀道雄が新聞社時代にやっていたような?

副島●そうです(笑)。でも、そういう仕事をやりたいと思っても、いきなりできないですよね。そこで、まずデザインの勉強を……と考えて、専門学校に入ったんです。2年通い、その間いくつかのデザイン事務所でバイトもやってました。仕事自体は大したことなくて、トレースだとかお使いだとか、自分がやりたいこととはほど遠いものです。でも勤務時間とか、すごくユルいじゃないですか。ちょうどバブルの時期だから、毎日タクシーで帰れたし。それで「この仕事って面白いな」と思ったんですよ。


副島満さん

図案集の世界に憧れてデザイナー入りした副島満さん。
――表面的だけど、それが大事だと思います(笑)。

副島●あと、学校で教わることと実際の現場でやることって、全然違う。意外といい加減なところもあるから、これなら自分もできるのではないか……と思って。で、卒業までいろんな事務所を転々として、何軒目かのところがスントー事務所だったんです。

――アシスタントを募集してたのですか?

副島●なんとなく募集してるらしい……という噂を耳にして、友人と二人で面接に行ったのですが、友人は受かって僕は落ちた(笑)。でも、友人は耐えられなくて、すぐ辞めてしまったんです。これはチャンスと思い、替わりに雇ってもらおうとしつこく何回も会ってもらっていたら、そのうち「やってみる?」と言ってくださった。

――では、押し掛けだったんですね。

副島●ええ。弟子入りするって感じ。結局7年いて、最長でしたね。それまでいろんな事務所で働いて、友人の働いているところも手伝ったりしましたが、スントー事務所はレベルが違う。紙の持ち方から仕事に対する作法、取り組み方みたいなものがすごく厳しいんです。でも、これが本来の姿なのか……と、改めてデザインの勉強をゼロから教わったような気がします。

――わたしもスントー事務所さんと仕事をさせてもらったことがありますが、スタッフのみなさん、ものすごく几帳面ですよね。

副島●そうそう。最初は「そんなに構えることないのでは?」と思ったけれど、いや違う。あれが大切だったのだなって、いまでも思います。

次週、第2話は「いよいよ事務所立ち上げ」についてうかがいます。

(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)


サイレントグラフィックス

[プロフィール]

さいれんと・ぐらふぃっくす●大内顕(1963年生まれ。早稲田大学法学部卒)と副島満(1965年生まれ。東京デザイナー学院卒)の二人により、1994年結成。以降、CDジャケットやコンサートパンフレットなどの音楽プロダクツ、フリーペーパー、服飾ブランドのキャンペーン、書籍装幀などを手がけている。

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