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クリエイターのライフハック できる人の仕事術を盗め。


第6章 須田和博のインタラクリ式ライフハック

第3回 携帯ブログ更新


博報堂でWEBに軸足を置きつつ、広告全般の企画制作をしている須田と申します。2006年の春に、前々からやりたかった「ブログ」を始めました。そして、ある時期から、1日にいくつもの断片的エントリーを携帯から上げる、「多更新式のブログ」が日課になりました。「クリエィターのライフハック」第3回目は、この「携帯ブログ更新」で、一体、何をどうライフハックしているのか?を、ご紹介していこうと思います。

文:須田 和博


[プロフィール] 須田 和博(すだ かずひろ)

現 在、博報堂・i-ビジネスセンター所属。多摩美術大学グラフィックデザイン科卒。フューチャー・マーケティング・アワード、東京インタラクティブアドア ワード、NYフェス、ACC、TCC新人賞、広告電通賞、など受賞。現部門に来て以来「マスとWEBの間のミゾを埋めるために、できることをする」という テーマを掲げていたが、それも、次の段階に来たかな、と思う今日このごろ。



そもそも、自分の気づきや思いを表明したかった


私がブログを始めたのは、2006年の6月に、カンヌに行った時に、でした。ただ、それより半年以上前から、ブログをやりたいなあ、と思い続けていたのですが、どのサービス会社で、どう始めればいいのか、今ひとつわからず、二の足を踏みつづけていたのです。カンヌに行った時、日常業務の忙しさから一時、完全に解放され、一緒に行っていた同僚がブログの先達だったので、教えを乞い、旅先でアカウントを取得して書き始めました。

初動期において、某・有名αブロガー氏にトラックバックを付けていただき、あるエントリーが爆発的に多くの方々に読まれ、多大な反響をいただきました。この反響が、その後ブログを続けていく上で大きなモチベーションになりました。(ちなみに、そのエントリーは「マス広告とインタラ広告の違い」というタイトルです。)


まとまったブログを書くのは、時間がかかる


ブログというものが、一体、何なのか?多くの人は、実はいまだわかっていないと思います。わからないけれども、電子的な「日記のようなもの」だろうという類推で、「1日に1エントリー」という習慣が広く行われているように見えます。私も、そうやっていました。ただ、1日に1本、何を書くか決めて、読むに耐えるものを書くのは、非常に時間がかかり頭も使います。多くの日常業務をやるかたわら、できれば「息抜き」としてブログ更新をしたいのに、そのために「ストレス」が増えるのはごめんこうむりたい。。ブログを続けて半年くらいたったある日、中川翔子さんの「しょこたん☆ぶろぐ」を見て、強烈なショックを受けました。


インテリジェンスからニューロへ


中川翔子さんのブログの特徴は、その「多更新」と「リアルタイム」さ、です。圧倒的な数のエントリーを極めて頻繁に更新している。しかも、1つ1つのエントリーは、それ単体では、あまり「文意」を成さない。大きく論じると、私はそこに「知性で書くブログ」から「神経で書くブログ」への大きな変化を感じました。これに接した時に、私は感激して「ブログとは、本来こういうものなんだ!」と思いました。そして、影響されて「携帯による多更新式のブログ」が日課になりました。


手帳代わりに携帯ブログ


以前は、小さなメモノートを持ち歩いて、そこに書いていました。今も、即公開するワケにはいかないものや、携帯での記述が間に合わないものなどは、このノートに書いています。ですが「携帯ブログ更新」を始めてから、めっきりノートのメモの頻度と量は減りました。メモノートと違う、ブログのいいところは、日付と時刻が記されること、字がキレイなので読みやすいこと、常時アクセスできるので見直しやすいこと、語彙検索できるので書いた内容を探しやすいこと、公開を前提にして記述するのでわかりやすく内容が整理されていること、そして、それらが公開され「共有」されることで発生する、影響や反響、意外なネットワークの生成、などでしょうか。




公開することの効能とは何か


日記や手帳に書くのと、ブログで公開するのとは、何が一番違うのでしょう。それは、自分が思ったこと、発見したことが「共有財」になることだ、と思っています。もちろん私も、直近の仕事に直結するネタや、業務上の守秘義務があることなどは、一切、公開しません。公開しているのは、「ふと自分が思ったこと」や「気づいたこと」などです。これを公開すると面白いもので、意外なところから「同意」が還ってきます。「極私的なこと」が、一番「普遍性」を持つ、とは、昔から表現の場で言われていたことですが、まさに、それをリアルに実感する瞬間が多々あります。



アウトプットすることで、インプットされる


個人ブログとはいえ、今や、立派な情報発信です。今日のメディア状況では、個人のブログと、新聞社やTV局の公式サイトは、ネットおよび検索エンジンの元では、同等です。したがって、アウトプットする当人がアウトプットする情報の価値を上げて行けば、多くの人が見る価値あるサイトになります。これを、自分ひとりで運営しようとするわけですから、いやでも、情報に対して敏感になります。一生懸命アウトプットすることで、一生懸命インプットするようになる。その結果、情報感度が高くなって行きます。



人に教えることで、自分の理解が深まる


「習うより、教える方が勉強になる」とは、よく言われることです。ブログでも、同じ作用がおこります。ある事象なりネタを見つけて来て、エントリーを書こうとすれば、必ずなにがしか頭を使い思考をめぐらせます。どんな短い一文でも(むしろ短いほど?)キチンと書こうとすれば、文意に冴えが必要です。ブログを書くことで、ただ情報の受け手でいるだけより、はるかに理解が深まると言えます。


切り抜き、スナップ、見たTV・映画、思ったこと、すべて一元管理


携帯ブログ更新と携帯フォトの合体で、圧倒的なことが実現したと思っています。それは、あらゆる「気づき」がフォーマットを問わず、一元管理できるということです。散歩してて見つけたモノ、話してて気づいたこと、身の回りのチョットした発見、新聞で見つけた気になる記事、買っておこうと思った本、その本で見つけた気の利いた一節、ぼんやりTV見てて面白いと思ったネタ、映画見た感想、、など、全てが、時間の刻印入りで記録されます。




どんなに書いても、容積がまったく増えない


そして、私がブログを最強の情報ツールだと思う一番の理由は、これです。どんなに書いても、何を載せても、まったく容積が増えない。この意味が、わかるでしょうか?情報をいくら溜めても、部屋が狭くならない、カバンに入らないということがない、持ち運ぶのが重くて面倒くさいということもない。

前回、ご紹介した「PDFスキャナー」に雑誌の切り抜きを食わせることも、要するに情報がリアル空間を埋めないということが重要でした。同じ問題が、日常的なメモでも発生します。熱心にネタを集め、情報を探し、ノートを書けば書くほど、メモを取れば取るほど、部屋が散らかり、机が狭くなり、情報が探しにくくなる。長年そのことにストレスを感じてきました。それが「携帯ブログ」で、1円のお金もかからずに、あっさり解決したのです。


自分の気づきに、ハイパーリンクを貼れる


「リアルタイム」かつ「常時接続」が可能な情報環境が得られると、「手書きメモ」よりも、テキストでWEB上に公開しておくことの方が、はるかに便利になります。それは、手ブラで身軽に行動しながら、いつどこからでも自分の情報倉庫=ネタ帖にアクセスできるということです。自分の気づきに関連する情報のリンクも貼れます。トラックバックやコメントで、自分の気づきに誰かの気づきが結節されて思わぬ発展をして行く、という現象もおきます。

以上、書いてきたことは、どれも重要な働きですし、少なくとも、自分はブログを始めてから、仕事の仕方や物事の考え方がまったく変わったという実感があります。まだまだ100%ブログを活用しきれていませんが、出来ることなら、脳そのもの、蔵書そのものを、すべてブログに移管したいとさえ、思う時があります。


グッバイ・プライバシー、ハロー・パブリシティー


オーストリア・リンツの国際メディアアート展「アルスエレクトロニカ」の、今年のテーマは「グッバイ・プライバシー」でした。これは、今時のCGM隆盛の現象を踏まえたものです。「グッバイ・プライバシー。ハロー・パブリシティ。」ブログとは、まさに、この感覚。個人個人が極めて個人的な情報を公開することで、今までにはなかった、今までとは異なる、集合意識・集合知性のようなものが誕生可能なのではないか、と真剣に夢想しています。ブログというのは、そんな可能性を感じさせるメディアであり、コンテンツ集合体なのです。


ごく普通の携帯で、世界中からアップロードできる時代


ちなみにアップロード・デバイスである携帯は、ごく普通のものを使っています。ブログサービスも、もっとも一般的で、誰でも操作がわかりやすいネットサービス会社のものを使っています。最近は、外国にいても日本にいるのと同じ操作で携帯メールから、写真付きのブログ更新ができるので、世界のどこにいても今気づいたこと、今見たものを、リアルタイムに世界公開できます。信じられないことに、こんな凄いシステムが無料で提供されているのです。




ライブテキスト、という考え方


そして、ネットがもたらした大きな変化として「文字の用途が変わった」ということがあると思っています。言葉には、もともと「話し言葉」と「書き言葉」がありました。「話し言葉」は、今その場を人間同士が共有するためのものであり、「書き言葉」は、記録として未来に知性を残すためのものでした。亀の甲羅や骨や石に文字が刻まれ、木簡や紙に消えない墨で文字が書かれました。

ネットとメールとブログと携帯が、この意味を変えました。あまり多くの人は気づいていませんが、今書かれている文字の圧倒的ボリュームは、石に刻む文字の歴史の延長ではなく、ラジオの電波のように、今、流れてくるテキストに、今、接する感覚で読まれています。その感覚が、ますます重要になると思います。残るモノとしての言葉でなく、流れ去るモノとしての言葉。その楽しさ。この感覚がわからない人は、今、言葉を書く仕事は出来ないんじゃないか、とすら思っています。



web 2.0時代の広告マンなら、ブログをやるべき


職業人(会社員)でありながらブログを書くのなら、最大限、細心の注意を払うべきでしょう。しかも、弊社のような総合広告代理店勤務で、日本のほぼ全ての大企業が顧客となりえる会社の社員なら、特にそうです。しかし、それでも、私は、ブログを書くべきだと思っています。WEB2.0の時代、CGM台頭の時代にあって広告マンが「実感」としてそれをわからずに、広告が企画できるわけがない、と、私はあえて言いたいです。

TVを見ないCMプランナーがCMを企画するのと同じように、ブログで発信する実感を知らない広告マンが、この時代~「ソーシャルネットワーク:マスメディア=50:50」で情報接触している人がアクティブな消費者の大半という現在に、広告をプランニングできるわけがありません。

ブロガーがどんな気持ちでブログを書いているか。彼らが自分のブログをどんなに大切に思っているか。そういうデリケートな感情をわからずに、インターネット広告を企画する人の仕事は、必ず失敗するでしょう。そして、広告マンが、一個人として、一般のユーザーよりも面白い発信ができないくらいならば、マスメディアは、あっさりCGMに負けると思います。そのくらいの真剣さで、広告マンはユーザーと対峙すべき時代なのだと、思っています。

ちょっと、また、今回も熱くなってしまいましたが、かなり文字数をオーバーしてしまったので、今回はこの辺で。私のブログ論に関しては、ぜひ私のブログそのものをご覧になっていただければ、ありがたいです。



さて、次回はいよいよ、最終回。ハイテックなライフハックが3回続きましたが、最後は超ローテックに「4色ボールペン」です。されどクリエィティブ・ワークの基本の基本。これなしでは、どんな仕事もまったく一切できません。そんな「4色ボールペン」を、どう使っているか?それで何を書いているか?を、ご紹介したいと思います。



次回も、お楽しみに!!

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