第1話 どうせ働くのなら、世の中の役に立っていることを実感しながら働きたい | デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-

第1話 どうせ働くのなら、世の中の役に立っていることを実感しながら働きたい

2024.4.25 THU

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成功を勝ち取れ!異業種からの挑戦

このコーナーではプログラマーからWebデザイナーへ、営業職からディレクター職へ、など、異業種・異業界からの転身を見事に成し遂げた人の成功談をうかがっていきます。最初に就いた仕事が自分に合わなかった……、夢を捨てきれない……、そんなあなたに力を与える先輩たちの実体験がここにあります!!

第5回 株式会社ミツエーリンクス 田口公章氏の場合


株式会社ミツエーリンクスの田口公章氏は、自動車業界での経験を持つWebディレクターだ。もともと“夏休みの宿題は7月中に終えるタイプ”の彼、単位時間あたりの仕事量をぎゅっと圧縮し、クオリティを上げながら、さらに仕事量を増やしていく方法を日々積み重ね、実践しているという。「楽して儲けたいだけ(笑)」と軽く語る彼だが、その仕事術はどうやって身につけてきたのか──。彼の新卒時から転職までの軌跡を追います。

田口公章氏 [プロフィール]
たぐち・ひろあき●京都生まれ・京都育ちの31歳。信州大学人文学部日本語学科を卒業後、自動車部品の専門商社に就職。2001年、株式会社ミツエーリンクスに転職を果たし、Webディレクターとしてのスタートを切る。現在はWebインテグレーション本部第二WI部部長として、現場と管理職の両方を担う。
http://www.mitsue.co.jp/


第1話 どうせ働くのなら、世の中の役に立っていることを実感しながら働きたい

――まず、新卒時に入社した当時のことを教えていただけますか。
田口●もともと車が好きだったということもあって、就職活動は自動車業界を中心に探していました。ただし、僕がちょうど新卒だった時期(1999年入社組)はちょうど就職氷河期で……それこそ自動車のメーカーから周辺の会社をいろいろと受けたのですが、そうは受からないわけで。しかも学校が田舎にあったもので、普通は内定が出始めている時期にやっと活動をスタートしたので……なかなかダメな感じでしたね(笑)。結局、受かったのが自動車の部品を扱う専門商社でした。

──あこがれの自動車業界に身を置くことができたわけですね。
田口●そうですね……かなり業界の端っこですけれども。

──その会社ではどんなことを担当されたのでしょうか。
田口●採用されたのは総合職という肩書きで、まず東京営業所に配属されました。そこは、いわゆる倉庫なんですね。いったんメーカーから仕入れたものを管理して、電話やファックスの注文を受けたら品出しをするという。それぞれ担当者の持ち場があって、倉庫の片隅にオフィスがあって、そこで注文を受けるというシステムでした。注文を受けたら、三枚複写の紙の伝票に書いて回すわけです。それを最終的には“女の子”と呼ばれる事務のスタッフが端末に入力するという……簡単に言うと、すごくアナログな、前近代的なシステムにのっとった会社でした。

──伺っていると、かなり“昭和”な感じがしますね。
田口●そうですね。たとえば、バーコードなどを導入して棚でピッと読み込んで、そのままデータ入力ができるような、効率的なシステムを使ったらどうかと提案めいたこともしましたが、華麗にスルーされちゃいました(笑)。会社の体質としては古かったんだと思います。

──その会社にはどれくらい在籍されたのですか。
田口●1年10ヵ月でやめました。やめた理由はいくつかあるんですけれど……一番決定的だったのは、会社の発想がユーザー不在だったということですね。実は、その会社の主力商品は車検制度で指定された“重要保安部品”だったんです。“重要保安部品”とは簡単に言うと、車検時にその部品が古くなっていてもいなくても、必ず交換しなくてはいけないと指定された部品のこと。でも、ちょうどその頃に規制が緩和されて、その部品は問題がなければ交換しなくても良くなったんですね。これはユーザーの視点から考えると、余計な出費がなくなり、法律が「改善」されたことになるのですが、経営側からすると利益が減ってしまうわけで……社内では「法律の改悪だ」としきりに言われていました。でも、自分たちも一歩外に出たら車を使っているひとりのユーザーなのに……そういう考え方をする会社に居続けたらどうなるんだろうと、自分の将来が怖くなったんですね。

──なるほど、それはよくわかる気がします。
田口●そんなわけで、会社を辞めようと自分の中で決めました。それで、これが次の志望動機につながってくるのですが……「世の中の役に立つクリエイティブな仕事がしたい」と。どうせ働くのなら、世の中の役に立っていることを実感しながら働きたいと思ったわけです。「仕方ないから交換するもの」ではなく、「積極的に選ばれるもの」を創り出したいと……。それで、もともと学生時代から趣味でWebを作っていたということもあって、次はWeb業界で仕事を探すことにしました。その時点でちょうど25歳でしたね。

(取材・文:草野恵子  撮影:栗栖誠紀)

株式会社ミツエーリンクス
http://www.mitsue.co.jp/
1990年に創業、Webの黎明期から制作会社として数多くの実績を残してきたミツエーリンクス。現在は、顧客企業の経営戦略に基づくコンサルティングからマーケティング、プランニング、制作、分析までを包括的に提供し、多くのクライアントから支持を得ている。また、業界でもいち早くWeb標準準拠に取り組み、日本でのWeb標準牽引役として注目を浴びる存在でもある。



次週は「第2話 ミツエーリンクスとの出会い」についてお届けします。

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