さまざまなジャンルで活躍するデザイナーの来歴をたどるシリーズ。今回はグラフィック・デザイナーの阿萬智博さんを取材し、今日までの足跡をたどります。
第1話 カッコイイこととは?
世田谷代田の仕事部屋にて、阿萬智博さん
問題児だった少年時代
──小さい頃はどのような子供でしたか?
阿萬●中学校まで問題児。いま上の子が小学校3年生なんですけど、自分がその頃何をしていたか思い出してみたら、クラスで飼っていたザリガニの触覚を全部切って、親が呼ばれたりとか。
──悪ガキ?
阿萬●低学年まで、ちょっと「大丈夫?」って。交尾しているカブト虫のアレをブチッと切ったり。あと友だちに怪我をさせるのなんかしょっちゅう。
──問題児だ。
阿萬●ですね。小学校を出てからは、もうちょっと健康的になったんですが、それまではだいぶ問題児でしたね。
──勉強は?
阿萬●できたんですよ。でも、先生からもすごく嫌われてて。4年ぐらいまで、周りに子分たちがいるようなタイプですね。それが5年になって、担任の先生が押さえつけるほうじゃなく、褒めてくれるほうで、調子に乗って学級委員になっちゃたり(笑)。
──まんまとコントロールされて。
阿萬●ええ。で、もともと絵は好きだったんです。その先生が描いたものを褒めてくれたり、作文とかも学校代表で出してもらったり。
──じゃあ、才能はあったのでは?
阿萬●自分ではうまいと思ってましたが、それまでの先生が認めてくれなくて。掃除もしないのに、絵だけ一所懸命に描いても褒めてはくれないですよね。
──で、その先生に出会って。
阿萬●勉強も頑張って、中学校になるのですが、田舎の中学ですから坊主ですごく封建的な学校で。でも、かっこつけるとしたら剃り込み入れて、眉毛剃ってぐらいしかないじゃないですか。気がついたらガッツリ、ヤンキーみたいになっていた。絵も描いていたのですが、なんか絵を描いてるといまでいうオタクに見られるのを察知して、あんまりそっちのほうにいかなくなって。でも鞄が雑納袋で、肩の部分に「アイラブユー」とか書くじゃないですか。漢字でめっちゃ書いてたり(笑)。
──ハハハ。
阿萬●絵もチェッカーズや吉川晃司の似顔絵を描いて、女の子に媚を売っていた感じ。
──じゃあ、純粋な意味ではなくて、ナンパで?
阿萬●ええ。もうナンパ(笑)。
阿萬●中学校まで問題児。いま上の子が小学校3年生なんですけど、自分がその頃何をしていたか思い出してみたら、クラスで飼っていたザリガニの触覚を全部切って、親が呼ばれたりとか。
──悪ガキ?
阿萬●低学年まで、ちょっと「大丈夫?」って。交尾しているカブト虫のアレをブチッと切ったり。あと友だちに怪我をさせるのなんかしょっちゅう。
──問題児だ。
阿萬●ですね。小学校を出てからは、もうちょっと健康的になったんですが、それまではだいぶ問題児でしたね。
──勉強は?
阿萬●できたんですよ。でも、先生からもすごく嫌われてて。4年ぐらいまで、周りに子分たちがいるようなタイプですね。それが5年になって、担任の先生が押さえつけるほうじゃなく、褒めてくれるほうで、調子に乗って学級委員になっちゃたり(笑)。
──まんまとコントロールされて。
阿萬●ええ。で、もともと絵は好きだったんです。その先生が描いたものを褒めてくれたり、作文とかも学校代表で出してもらったり。
──じゃあ、才能はあったのでは?
阿萬●自分ではうまいと思ってましたが、それまでの先生が認めてくれなくて。掃除もしないのに、絵だけ一所懸命に描いても褒めてはくれないですよね。
──で、その先生に出会って。
阿萬●勉強も頑張って、中学校になるのですが、田舎の中学ですから坊主ですごく封建的な学校で。でも、かっこつけるとしたら剃り込み入れて、眉毛剃ってぐらいしかないじゃないですか。気がついたらガッツリ、ヤンキーみたいになっていた。絵も描いていたのですが、なんか絵を描いてるといまでいうオタクに見られるのを察知して、あんまりそっちのほうにいかなくなって。でも鞄が雑納袋で、肩の部分に「アイラブユー」とか書くじゃないですか。漢字でめっちゃ書いてたり(笑)。
──ハハハ。
阿萬●絵もチェッカーズや吉川晃司の似顔絵を描いて、女の子に媚を売っていた感じ。
──じゃあ、純粋な意味ではなくて、ナンパで?
阿萬●ええ。もうナンパ(笑)。
阿萬さんの仕事より
上段/ラスタとんねるず(人形制作素材)テレビ番組用のイラスト素材。これがきっかけで会社を辞めました。
下段左/GO!GO!7188/ゴーロック(販促物)すごろくです。ネームも考えました。長いつきあいだから可能。
下段右/白虎隊(HP用素材)Web上で写真を使えない人のためのイラストはよく描きます。看板屋的な。
モテたくて美大一直線
──勉強は?
阿萬●すごく成績が落ちて。身体が小さかったから喧嘩も負けがこみだし、それでもみんなの優位に立つにはどうしたらいいか? もう女しかねーな、と。で、もっと成績が悪くなった。
──ご両親は?
阿萬●父がガソリンスタンドで働いていて、母が家の中で洋服を作っていました。で、ガクランとか自分で短くしていたのを見つかって、おふくろ曰く「完成度が低い」と。で、直されたのですが、4個ボタンの短ランで全然着られないものにされたり(笑)。でも勝手にミシンとか使えたので、結構中学時代から服いじりしてましたよ。
──高校受験は?
阿萬●なんとか福岡大付属大堀高校ってところに入学できて、割と頭もよくてスポーツもできる学校なんです。女の子にモテる男子高校。受験の時はギリギリで勉強して、憶えなくちゃならない問題は不得意だったのですが、英文長文読解とか人が点数とれない問題で点数をとれる子だったんです。で、だいぶ街の中にある学校で、もう髪を伸ばしてバンドだって決めてて。
──今度、音楽にいったんだ。
阿萬●ええ。とりあえずモテることしか頭にないので(笑)。
──運動系は?
阿萬●運動は中学で野球部だったんですが、兄貴も同じで。兄貴を見てもダメだったし、これはやっても無駄かなって途中で見えてきちゃって。で、もうバンドしかないって決めて、最初何やったかな……とにかくバンドが組めればよかった。親戚から習って8ビートは叩ける気でいたので、じゃあ俺ドラムって。で、私立でいろんな連中が集まっていた学校だから、だから、中学からバンドやっている奴もいて、そいつらのライブに行って「すげー!」みたいなことになったんです。何もできないけど、とにかく目立って面白いから「お前、うちでなんかやれよ」となって、歌を歌うことになった。
──今度は歌ですか。
阿萬●とりあえずパンク・バンドで高校1年からボーカル。もう勉強はまったくついていけず、2年のときに「そろそろマズイな」と思ってたんです。付属高校で、もう悪いことして捕まったりしていたので(笑)推薦は期待できない。さて、どこで格好をつけようかと考えたとき、バンドの先輩が「美大に行く」と。で「絵を描ければ通るんだよ」って話を聞いて、そんなオイシい学校があるのか、じゃあそれにしようって(笑)。
──動機が不純だね(笑)。
阿萬●やること、何もわからない。グラフィック・デザイン? かっこいいですね!ってぐらい。「パンクのかっこいい外タレも、みんなアートスクール出てるからさ」って言われてて、僕も「それにします」って。
──地元の美大あったんですか?
阿萬●九州産業大学のデザイン科など、一応そういう感じの学校はありました。でも、やっぱり東京ですよね。モテるし、ムサビって何か聞いたことあるって(笑)。それで、予備校に通わないとならないでしょ。親が許してくれなくて、そのために修学旅行に行かないで積み立てを戻してもらったんですよ。その金で予備校に通った。大体、男子校の野郎ばかりの旅行、行きたくないでしょ(笑)。
──で、デッサンの勉強もして?
阿萬●もともと絵は描けたので、ちょっと特待生っぽい扱いにしてもらえて。性格が極端だから「もうバンドやめる」って丸坊主にして、3年からは美大一直線。
──勉強したんだ。
阿萬●ええ。おれ、カッコいいなって思いながら(笑)。
阿萬●すごく成績が落ちて。身体が小さかったから喧嘩も負けがこみだし、それでもみんなの優位に立つにはどうしたらいいか? もう女しかねーな、と。で、もっと成績が悪くなった。
──ご両親は?
阿萬●父がガソリンスタンドで働いていて、母が家の中で洋服を作っていました。で、ガクランとか自分で短くしていたのを見つかって、おふくろ曰く「完成度が低い」と。で、直されたのですが、4個ボタンの短ランで全然着られないものにされたり(笑)。でも勝手にミシンとか使えたので、結構中学時代から服いじりしてましたよ。
──高校受験は?
阿萬●なんとか福岡大付属大堀高校ってところに入学できて、割と頭もよくてスポーツもできる学校なんです。女の子にモテる男子高校。受験の時はギリギリで勉強して、憶えなくちゃならない問題は不得意だったのですが、英文長文読解とか人が点数とれない問題で点数をとれる子だったんです。で、だいぶ街の中にある学校で、もう髪を伸ばしてバンドだって決めてて。
──今度、音楽にいったんだ。
阿萬●ええ。とりあえずモテることしか頭にないので(笑)。
──運動系は?
阿萬●運動は中学で野球部だったんですが、兄貴も同じで。兄貴を見てもダメだったし、これはやっても無駄かなって途中で見えてきちゃって。で、もうバンドしかないって決めて、最初何やったかな……とにかくバンドが組めればよかった。親戚から習って8ビートは叩ける気でいたので、じゃあ俺ドラムって。で、私立でいろんな連中が集まっていた学校だから、だから、中学からバンドやっている奴もいて、そいつらのライブに行って「すげー!」みたいなことになったんです。何もできないけど、とにかく目立って面白いから「お前、うちでなんかやれよ」となって、歌を歌うことになった。
──今度は歌ですか。
阿萬●とりあえずパンク・バンドで高校1年からボーカル。もう勉強はまったくついていけず、2年のときに「そろそろマズイな」と思ってたんです。付属高校で、もう悪いことして捕まったりしていたので(笑)推薦は期待できない。さて、どこで格好をつけようかと考えたとき、バンドの先輩が「美大に行く」と。で「絵を描ければ通るんだよ」って話を聞いて、そんなオイシい学校があるのか、じゃあそれにしようって(笑)。
──動機が不純だね(笑)。
阿萬●やること、何もわからない。グラフィック・デザイン? かっこいいですね!ってぐらい。「パンクのかっこいい外タレも、みんなアートスクール出てるからさ」って言われてて、僕も「それにします」って。
──地元の美大あったんですか?
阿萬●九州産業大学のデザイン科など、一応そういう感じの学校はありました。でも、やっぱり東京ですよね。モテるし、ムサビって何か聞いたことあるって(笑)。それで、予備校に通わないとならないでしょ。親が許してくれなくて、そのために修学旅行に行かないで積み立てを戻してもらったんですよ。その金で予備校に通った。大体、男子校の野郎ばかりの旅行、行きたくないでしょ(笑)。
──で、デッサンの勉強もして?
阿萬●もともと絵は描けたので、ちょっと特待生っぽい扱いにしてもらえて。性格が極端だから「もうバンドやめる」って丸坊主にして、3年からは美大一直線。
──勉強したんだ。
阿萬●ええ。おれ、カッコいいなって思いながら(笑)。
次週、第2話は「大学進学と就職」を掲載します。
(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)
(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)
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[プロフィール] あまん・ともひろ●1970年福岡県生まれ。武蔵野美術大学卒業後、広告代理店勤務を経て、打越俊明が率いる「錦瓊」参加。97年に独立し「阿萬企画」を立ち上げる。CDなど音楽パッケージの他にイラストレーション、スタイリングの分野でも活躍。 |