第1話 すべては同人誌から始まった | デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-
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様々なジャンルで活躍するデザイナーの来歴をたどるシリーズ。今回はペッパーショップの古賀学さんを取材し、アートディレクターとして活躍する今日までの足跡をたどりま


第1話 すべては同人誌から始まった



横浜市日吉のオフィスにて、古賀学さん

横浜市日吉のオフィスにて、古賀学さん


ガンプラ・ブームの真只中にて……



──小さいときは、どんな子供でした?

古賀●ありがちですが図画工作が得意で、それがいま仕事になっている感じですね。

──どんなものを描いたり作るのが好きでした?

古賀●漫画の模写から始まり、工作用紙で車を作ったり。あと時代的におもちゃの王様がプラモデルだったので、ばんばん作って。そうこうしているうちにガンプラ・ブームがきた。1982〜3年頃ですね。それまではスーパーカーのプラモデルをつくって、ちょっとお兄さん年齢の人にまじって背伸びしてました。どんどんプラモデル自体がブームになっていって、市内の模型店やおもちゃ屋のコンテストを荒らしまくったんです(笑)。

──勉強のほうは?

古賀●いまでこそパッとしないのですが、4月生まれだとクラスメートよりちょっとお利口だったりするじゃないですか。それで「自分は頭がいい」みたいな勘違いをして、お受験みたいなコースを歩もうとするのですが……

──ご両親も教育熱心?

古賀●いや、うちはそうではなかったですが、親戚の従兄弟がみんな進学校に通っていたり、東大や早稲田に行くのは当たり前という環境で。でも、中学時代に「コレは自分には向いていない」と。で、私立のお受験の学校から地元の公立中学校に戻って、高校も公立の普通校に入学しました。名前が「学」なので、親とか親戚の期待は思い切り裏切っているんですが。

──学校生活は活発でした?

古賀●リーダータイプではあるんですけど、体育はできないので文化系リーダー。クラスの分布図でいうと、一番上は体育会系リーダーがグループを形成してて、第2グループのリーダーでしたね(笑)。

──クラブとかは?

古賀●高校時代は文化部を3つぐらい、掛け持ち。美術部と、籍は置いてないけど写真部や電工部の部室を使ったり。あと仲良しのクラスメートを生徒会長に推して、生徒会室も使おうとか。

──文系ですか? 理系ですか?

古賀●専攻科目は理系を選びました。単純にそっちのほうが友達が多かったからで、特に数学が得意なわけではなかった。そのうち学校を休んで遊びに行ったり、高校になってからは同人誌を作るようになって。

──どのような?

古賀●ガンプラの特撮同人誌みたいなものを作って……いまでも同じようなことをしているのですが(笑)。あとアメコミ・タッチでアンパンマンを描いて遊んでみたり。メイン・カルチャー的なクラスのみんなから見ると、サブカルもオタクも田舎だと一緒じゃないですか。ちょっと変わっているってだけで「同じか」と。

──そこに現在に至る芽生えがあったんですね。

古賀●ええ。ただ、デザインをやるとは思っていなかった。カッコイイとは思いましたけど、高校生が勉強しても……いま考えれば勉強するルートはたくさんありますが、その頃はわからなかった。同人誌でも版下作りをやっていたわけですが、版下という言葉を知らずに「原稿」と呼んでいたんです。インレタを使ったり、ワープロで打ち出したテキストをコピーで縮小するとエッジがきれいになったりする。ワープロで15文字ずつ改行して打ち出したものを本文にして、縮小したものを張って雑誌の真似をしていたんです。

──雑誌は好きだったのですか?

古賀●カッコイイと思ってましたね。オタクの雑誌も読むし、一般誌にガンダムとかパトレイバーみたいなロボットが載ったら「こう扱われるよね」という見せ方をしたかったので、資料のためにオタクじゃない雑誌も買って。


『PEPPER SHOP』1号/藤掛正邦氏の特集(1993年4月11日)『PEPPER SHOP』1号/藤掛正邦氏の特集(1993年4月11日)

『PEPPER SHOP』8号/松本弦人氏の特集(1993年9月12日)『PEPPER SHOP』8号/松本弦人氏の特集(1993年9月12日)

『PEPPER SHOP』有料版1号/赤塚不二夫氏の特集(1994年11月)

古賀さんの仕事より
上:『PEPPER SHOP』1号/藤掛正邦氏の特集(1993年4月11日)

中:『PEPPER SHOP』8号/松本弦人氏の特集(1993年9月12日)この号よりMac導入。
下:『PEPPER SHOP』有料版1号/赤塚不二夫氏の特集(1994年11月)かなりレア!


タウン誌に就職。その後、専門学校へ



──その後の進路の方向は?

古賀●学校も真剣に勉強してなかったし、一応、美大を目指そうかと思うのですが、受験勉強に身が入らず、現役のときに数校受験したのですが、受けるというよりは記念受験的に上京できるじゃないですか。で、いっぱい買い物して帰ってきたり。

──じゃあ全滅?

古賀●ええ。で、浪人はしなくちゃならないのですが、18歳ぐらいのときって焦りますよね。1年浪人して美大受験を目指すのはどうなんだろう……と疑問に思った。で、アルバイトをしようと思って、長崎に『ザ・ながさき』というタウン情報誌があるのですが、そこでバイトしようと思ったら「正社員しか雇ってません」と言われて。じゃ、正社員で……と言ったら、なぜか採用されたんです。

──経験もなしで?

古賀●趣味で作っていた同人誌とかを持って面接に行ったら、受かっちゃった。もちろん写植とか打ったことがないんですけど、指定の仕方とかを先輩たちに教わって。結局9ヶ月、正社員として勤務して、やっぱり東京に行きたかったので辞めたのですが。もう大学でなくてもいいやと思って、専門学校の創形美術学校に入ったんです。

──ご両親は?

古賀●別に構わないと。父は公務員で、父の実家も母の実家も商売人なんですけど、商売人的な価値がいやになって公務員になったという人ですから(笑)。

──で、晴れて上京したわけですね。

古賀●創形美術学校を選んだのは非常勤講師が派手だからだったんです。当時、日比野克彦さん、タナカノリユキさん、中島信也さんなどが名を連ねていて。面白いと思って、1年生の出席率が93%を誇っているんです。でも、次第にあることに気がついてしまったんですね。

──なんですか?

古賀●自分でメディアを作りたくなったんです。もともとタウン誌を作るノウハウはあって、隔週誌に間に合わせるために当時ズルもやっていたんですよ。編集者がいないときにデスクの下から東芝ルポを持ち出して、そこから打ち出した原稿を紙焼きして写植の替わりにしても誰も気がつかないんです。ルポのカーニング設定とかいじれるから。

──同人誌時代の賜物ですね。

古賀●で、ワープロでMacデザインの真似事をしようと思ったのですが、92〜3年だったのでDTP自体、あまり世の中に広まっていませんよね。Macっぽいことをやりたいなと思いつつも、高価だからすぐには手に入らない。東芝ルポでいかにもそれらしいものができないか……と模索する一方、情報誌の体裁だったらコンビニのコピーで作れてしまうということに気づいて。

──また同人誌を?

古賀●いや、それじゃ面白くない。なにか新しいことをやろうと思ったら、学校に来る非常勤講師がすごいコンテンツとして魅力的じゃないですか。で、専門学校だから大規模ではなかったけれど学園祭があって、そのパンフレットを作りたいと名乗り出たんです。それまではペラ1枚しかなくて、他校の学園祭に行くと立派なものを作っている。うちの学校も作ろうよという話になったんです。でも、全然予算がない。

──どうしたんですか?

古賀●タウン誌で培ったノウハウとしては、地元の商店街から広告をとって作るじゃないですか。当時、学校が国立市にあったから、近所の居酒屋とかレストランから数千円ずつ広告費を集めて(笑)。印刷費は僕が集めるから「やろう」ということになって、日比野克彦さんや中島信也さんなどのインタビューを載せたパンフレットを作ったんです。それを作ったら、高校時代の同人誌なんかに比べるとはるかに面白いものができた。いっそこのコンテンツで、学校とは関係なく僕のものが作れないかと思ったのが『PEPPER SHOP』だったんです。

──当時、他にフリーペーパーは?

古賀●メジャーどころでは、クラブキングの『dictionary』とパルコの『GOMES』がありましたね。採算ラインとか考えずに、こんなの配っちゃえばいいんだって。

──でも、お金はかかるでしょ?

古賀●ですね。だからペラ1枚というダウンサイジングの極みで内容を詰め込んで。コンテンツに魅力があれば大丈夫だろうと。で、タウン誌をやれていたのだから作れると思って、創刊から7号は隔週で作っていたら、当然身体が壊れました(笑)。

──もちろん学校に通いながら?

古賀●その頃はほとんど出席してませんでしたね。アパートでフリーペーパーを作り、取材でデザイナーやアーティストに取材し、できあがったものをギャラリーやパーティで配りに行く。考えてみたら、学校に行く暇なんかない。でも、学校の課題より自分の作ったものに対して、尊敬するクリエイターから「もっとこうしたらいいよ」とアドバイスを受ける方が身になるわけです。あと2号で取材した村上隆さんが面白がってくれて、彼が関与しているイベントのチラシとかも作らせてもらったり。創刊したときが20歳だったので、そんな若者がウロウロしていると可愛いがられることが多かったんですね。で、家にいるときは作業、それ以外はオトナのクリエイターの人たちと遊んでいるという生活でした。


次回、第2話は「なし崩し的にデザイナーへ」を掲載します。

(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)


古賀学さん

[プロフィール]

こが・まなぶ●1972年長崎県生まれ。タウン誌の発行会社勤務を経て、創形美術学校に入学。在籍中の93年からフリーペーパー『PEPPER SHOP』を制作、中退後にフリーランスのデザイナーとして活動。村上隆氏の作品・宣伝デザインワークの他、雑誌など各種デザインを勤める。現在、アートプロジェクト「&a water/アンダーウォーター」を展開中。

http://peppergear.com/




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