解散から15年──いまなお日本の音楽シーンに根深い影響を残し続けているバンド=フリッパーズ・ギター。洋楽指向のサウンドばかりでなく、ビジュアルへの強いこだわりによっても、その後の音楽業界の「意識」を一変させた革命児たちである。彼らの1stアルバムと2ndアルバムの復刻を機に、アートワークを手がけた信藤三雄氏、そして多くの撮影を担当した三浦憲治氏に当時の制作状況を振り返っていただこう。
第1話 1stアルバム『海へ行くつもりじゃなかった』について
海と少年たちという構図
――まず、お二人の出会いからお聞かせください。
信藤●ユーミン(松任谷由実)のツアー・パンフレットを作ったときだったと思います。確か『ALARM a la mode』だったかな。その後、ジャケットの制作をご一緒したのは『ダイアモンドダストが消えぬまに』……でしたよね?
三浦●実はもう、よく憶えてないんだよ(笑)。
――ほぼ、80年代中盤ですね。
三浦●20年前か……若かったなぁ。
信藤●僕がユーミンのジャケットに関わる前から、三浦さんはライブを撮ってて。それで、ユーミン側から紹介されたんですよ。
三浦●当時、仕事の半分以上は音楽関係だったからね。
信藤●音楽業界においては、三浦さんのほうが先輩なんです。
三浦●ずっと洋楽を主にやってたんだけど、信藤さんと仕事をし始めてから、邦楽が多くなってきた。それこそ、このフリッパーズあたりから一気に。
――フリッパーズの仕事は、どういう経緯で?
信藤●そもそも僕がピチカート・ファイヴのデザインを手がけていて、彼らのテイチク時代のプロデューサーだった牧村憲一さんがポリスターに移ったんです。それで「今度こういうバンドを出すから」ということで声がかかったのがきっかけ。
――音も含めて、彼らの印象はどうでした?
信藤●フレッシュという言葉が一番あってるかな。初対面のとき、小山田(圭吾)くんの着ていた白いボタンダウンシャツが印象的でしたね。その着こなし方が、なんか完璧なんです。音楽的にも日本でこんなことをやる子たちが現れたんだと思って、すごくうれしかった。
――写真を三浦さんが撮るというのは意図があったのですか?
信藤●三浦さん、なんか楽しいからさ(笑)。
三浦●ムードメーカーの仕事、多いんだよ(笑)。しかし、これ(1stを手にして)の撮影は寒かったね。掲載されてないけど、水中撮影までやってるから。
信藤●伊豆の白浜で、6月ぐらいにロケしましたね。
三浦●誰も海岸にいなくて。
――タイトルの『海へ行くつもりじゃなかった』から、海をイメージされてたのですか?
信藤●いや、タイトルは後から決まったんですよ。
三浦●あ、そうだったんだ。じゃあ、この表1のイメージは最初から頭にあったの?
信藤●ないない。最初は、少年たちが崖からジャンプして海に飛び込もうとする瞬間の写真が頭にあったんです。有名な写真家が撮ったものではないんだけど、それが彼らの音楽と僕の中で異常にリンクして。それで、海と少年たちという構図がいいなって。
三浦●打ち合わせのときに「水の中、潜れますか?」って聞かれたのを憶えてるよ。水中カメラは専門じゃないけど、気軽に「いいですよ」って答えちゃって。それで、冷たい海の中にアシスタントと入るはめになったの(笑)。
信藤●ユーミン(松任谷由実)のツアー・パンフレットを作ったときだったと思います。確か『ALARM a la mode』だったかな。その後、ジャケットの制作をご一緒したのは『ダイアモンドダストが消えぬまに』……でしたよね?
三浦●実はもう、よく憶えてないんだよ(笑)。
――ほぼ、80年代中盤ですね。
三浦●20年前か……若かったなぁ。
信藤●僕がユーミンのジャケットに関わる前から、三浦さんはライブを撮ってて。それで、ユーミン側から紹介されたんですよ。
三浦●当時、仕事の半分以上は音楽関係だったからね。
信藤●音楽業界においては、三浦さんのほうが先輩なんです。
三浦●ずっと洋楽を主にやってたんだけど、信藤さんと仕事をし始めてから、邦楽が多くなってきた。それこそ、このフリッパーズあたりから一気に。
――フリッパーズの仕事は、どういう経緯で?
信藤●そもそも僕がピチカート・ファイヴのデザインを手がけていて、彼らのテイチク時代のプロデューサーだった牧村憲一さんがポリスターに移ったんです。それで「今度こういうバンドを出すから」ということで声がかかったのがきっかけ。
――音も含めて、彼らの印象はどうでした?
信藤●フレッシュという言葉が一番あってるかな。初対面のとき、小山田(圭吾)くんの着ていた白いボタンダウンシャツが印象的でしたね。その着こなし方が、なんか完璧なんです。音楽的にも日本でこんなことをやる子たちが現れたんだと思って、すごくうれしかった。
――写真を三浦さんが撮るというのは意図があったのですか?
信藤●三浦さん、なんか楽しいからさ(笑)。
三浦●ムードメーカーの仕事、多いんだよ(笑)。しかし、これ(1stを手にして)の撮影は寒かったね。掲載されてないけど、水中撮影までやってるから。
信藤●伊豆の白浜で、6月ぐらいにロケしましたね。
三浦●誰も海岸にいなくて。
――タイトルの『海へ行くつもりじゃなかった』から、海をイメージされてたのですか?
信藤●いや、タイトルは後から決まったんですよ。
三浦●あ、そうだったんだ。じゃあ、この表1のイメージは最初から頭にあったの?
信藤●ないない。最初は、少年たちが崖からジャンプして海に飛び込もうとする瞬間の写真が頭にあったんです。有名な写真家が撮ったものではないんだけど、それが彼らの音楽と僕の中で異常にリンクして。それで、海と少年たちという構図がいいなって。
三浦●打ち合わせのときに「水の中、潜れますか?」って聞かれたのを憶えてるよ。水中カメラは専門じゃないけど、気軽に「いいですよ」って答えちゃって。それで、冷たい海の中にアシスタントと入るはめになったの(笑)。
フリッパーズ・ギター『THREE CHEERS FOR OUR SIDE~海へ行くつもりじゃなかった~』
1989年8月25日、ポリスターより発表。前身バンド「ロリポップ・ソニック」時代からのメンバー5人、
小山田圭吾、小沢健二、吉田秀作、荒川康伸、井上由紀子によって制作された1stアルバム。
オリジナル盤の発表からちょうど17年後の2006年8月25日、
デジタル・リマスタリング&紙ジャケット仕様の復刻盤がリリース(felicity/2,500円)
時代が一回りしたフレッシュさ
――結果的に、表1は当時のメンバー5人+犬が浜辺を歩いている写真になりましたが。
三浦●この写真は、すごく遠くから撮ったんですよ。確か1,000mmの望遠レンズ。実際には、プリントをカラーコピーして入稿したんでしょ?
信藤●そう。当時、カラーコピーにハマってて(笑)。
三浦●コピーはダミーで、本番のプリントでいくのかと思ってたの。でも、仕上がり見たらそのままで。アナログっぽいよね。
――スリーブの中もカット数、多いですね。
信藤●夜中に東京を出て朝方着いてから、駐車場で車がらみの撮影して……。
三浦●犬も連れて、映画のロケみたいだった。
信藤●車も小山田くんの友達とかの伝手で借りてきたヴァンデン・プラ(*1)で。
三浦●スクーターも、ちゃんとしてたものを用意してたね。
信藤●うん。いま思うと、すごく手の込んだ撮影でしたよ。
――以降の音楽シーンがこの作品から変わった感が強いのですが……いまジャケットをご覧になって、どうですか?
信藤●やっぱりいいですよ。時代がひと回りして、フレッシュに見える。
三浦●ここから一気に変わっていった感じがするね。
――この頃、本人たちからのリクエストはあったのですか?
信藤●いや、このときはまだなかったと思う。スリーブの中に、小山田くんの意向で絵(*2)を使いたいという要望があったぐらいで……。
三浦●写真的には、すごく撮りやすかったよ。素直な連中だったし。
信藤●もちろん、写真やビジュアルに関しては、非常にこだわりがあるアーティストでしたけれど。
三浦●音も含めて、そういうところで若い人たちへの影響力が強かったんだね。俺個人にとっても、ここからスチャダラパーとかオリジナル・ラヴを撮るようになって、仕事の幅が広がり出した。あの当時のシーンは、勢いがあって興味深かった。
(*1)英国製の自動車ブランド名
(*2)前身バンド「ロリポップ・ソニック」結成のいきさつから、
プロデュースを務めたサロン・ミュージックとの出会いまでをコミック化
次週、第2話は「2ndアルバム『カメラ・トーク』について」を掲載します。
(取材・文:増渕俊之 写真:谷本 夏)
三浦●この写真は、すごく遠くから撮ったんですよ。確か1,000mmの望遠レンズ。実際には、プリントをカラーコピーして入稿したんでしょ?
信藤●そう。当時、カラーコピーにハマってて(笑)。
三浦●コピーはダミーで、本番のプリントでいくのかと思ってたの。でも、仕上がり見たらそのままで。アナログっぽいよね。
――スリーブの中もカット数、多いですね。
信藤●夜中に東京を出て朝方着いてから、駐車場で車がらみの撮影して……。
三浦●犬も連れて、映画のロケみたいだった。
信藤●車も小山田くんの友達とかの伝手で借りてきたヴァンデン・プラ(*1)で。
三浦●スクーターも、ちゃんとしてたものを用意してたね。
信藤●うん。いま思うと、すごく手の込んだ撮影でしたよ。
――以降の音楽シーンがこの作品から変わった感が強いのですが……いまジャケットをご覧になって、どうですか?
信藤●やっぱりいいですよ。時代がひと回りして、フレッシュに見える。
三浦●ここから一気に変わっていった感じがするね。
――この頃、本人たちからのリクエストはあったのですか?
信藤●いや、このときはまだなかったと思う。スリーブの中に、小山田くんの意向で絵(*2)を使いたいという要望があったぐらいで……。
三浦●写真的には、すごく撮りやすかったよ。素直な連中だったし。
信藤●もちろん、写真やビジュアルに関しては、非常にこだわりがあるアーティストでしたけれど。
三浦●音も含めて、そういうところで若い人たちへの影響力が強かったんだね。俺個人にとっても、ここからスチャダラパーとかオリジナル・ラヴを撮るようになって、仕事の幅が広がり出した。あの当時のシーンは、勢いがあって興味深かった。
(*1)英国製の自動車ブランド名
(*2)前身バンド「ロリポップ・ソニック」結成のいきさつから、
プロデュースを務めたサロン・ミュージックとの出会いまでをコミック化
次週、第2話は「2ndアルバム『カメラ・トーク』について」を掲載します。
(取材・文:増渕俊之 写真:谷本 夏)
[プロフィール] しんどう・みつお●1948年東京都生まれ。コンテムポラリー・プロダクション主宰。音楽ソフトのグラフィック・デザインを数多く手がける一方、PVの演 出をはじめとする映像作家として活動。1998年、初の監督映画作品『THE DETECTIVE IS BORN 代官山物語「探偵誕生」』を発表。7月29日より、最新作『男はソレを我慢できない』が公開(渋谷シネ・アミューズほか、全国順次ロード ショー)。http://www.ctpp.org/ |