PLAY ほか3冊
周りを驚かせるようなカッコいいアイデアやデザインは、一朝一夕で生まれるものではありません。情報や技術を取り入れつつ、日々感性を磨きながら、実践(現場)で鍛えていく。インプットとアウトプットのサイクルが大切。多忙なデザイナーのインプットを助けるべく、MdN Interactive編集部がオススメ本を紹介していくコーナーです。
“そのまた奥へ”旅するデザイン
『PLAY』
菊地敦己/誠文堂新光社3,000円+税
先鋭的なデザイン集団「ブルーマーク」を率いる菊地敦己の作品集。これまで様々なフィールドで残してきた数々のデザインを総括的にまとめた一冊だが、改めて氏の「シンプルだけど構造的」な作風が手に取ってわかる構成になっている。その「構造的」である仕組みがどこにあるのか? という思いを抱きながら本書を紐解いたが、答えは「わからない」というのが正直なところ。美術館関連、高木正勝や矢野顕子などのパッケージ、雑誌アートディレクションなど、八面六臂な活動の中、一本芯が通ったデザイン作品を通して眺めても、その仕組みに「なに」が隠されているのか、ますます興味が増す。
オビに「デザイン(機構的な)遊び」と記されているが、短いセンテンスの言葉の中にその“髄”が隠されているようにも思える。90年代から00年代にかけて、いわばファットでボリュームのあるデザインから、シリアスかつプリミティブなデザインが主流となった観のあるアート界。その先陣を切るように、菊地敦己の仕事は“そのまた奥へ”旅しているようなイメージを受けた。いわば“逃走”か。何者にも手をかけられることなく、するりとこぼれ落ちる時の瞬間を、彼は形にしようとしているのではないか? そんな不可思議な想いを宿したアーカイブ集である。
マナーと常識は優れたデザイナーへの第一歩
『デザイン、現場の作法。』
伊達千代/ビー・エヌ・エヌ新社2,300円+税
副題「デザイン力を鍛える仕事術」。オビにもあるように「マナーと常識」に特化した変わり種のデザイナー教科書だ。仕上がったデザインから「何かを学ぶ」というより、デザインをする上で前提となる基礎学習、打ち合わせやメールの書き方など“社会人”としてのマナー、画像データを扱うための様々なセオリー、フォントやアプリケーションの定番利用術、DTP時代における印刷技術……と、様々観点からデザイン現場の「作法」を教示してくれる、ありがたい一冊に仕上がっている。さすがに近年、CMYKとRGBの違いをわからず入稿するようなデザイナーはいなくなったが、この本、10年前に刊行されていたら飛びつく人続出だったのではないだろうか?
いや、現在だって有効な一冊であるのは間違いない。DTPはできてもWebは縁遠い、その逆もありのデザイン界にあって、思った以上に「作法」に欠けたデザイナーが存在するのも確かなことだから。仕事の現場で「あんた、そんなこともわからんのか!」と怒声が飛ぶ前に、ビギナーからベテランまで役立つ85の基本知識満載。教科書というと教条的なイメージを持たれるかもしれないが、装幀からもわかる通りノートらしいレイアウトや本文構成により見た目にもわかりやすい一冊だ。デザイナーの「必須科目」として、この本を授業するように!
フォークトイの世界へようこそ
『FOLK TOYS NIPPON にっぽんの郷土玩具』
編著・木戸昌史/ビー・エヌ・エヌ新社2,000円+税
子どもの頃、国内出張に出かけた父親が「お前にぴったりの玩具をおみやげだ」と帰宅して、ドキドキして袋を開けたら古ぼけた木彫りの像。たぶん東北地方のものだったが、素朴な味わいのなんとも田舎臭いセンスに残念な気がした。ぴったりというから超合金かなにか、子ども心に期待をしていたのに……父親いわく「お前の顔にそっくりだろ」と。とてもじゃないが、その当時は好きになれなかった。その木彫像は、いまも父親の部屋に飾ってある。歳を経て、実家に帰るたびにシゲシゲ見直すと「なるほどオレの顔に似ているな」と思ってしまう。小さな頃はビミョーに感じた像の顔も、時の流れとともに親愛の情が生まれてきて、確かに「ぴったり」だったのかもしれない。
日本の郷土玩具を集めた本書を眺めながら、そんなことを思った。旅先で「あ、これいいじゃん!」と手にしても、買って帰るとビミョーってことがよくある。しかし年月を重ねると、その普遍性に“馴染み”が出てくる。最初は「つまんないなー」なんて感じたものが、逆に手放せないものに変わることもある。その妙に感あり。著者は「むかしの人がものに込めた“想像力”の世界へようこそ!」と、この本の序文で語りかける。日本全国、津々浦々の「郷土に根ざした玩具」を湛然にコレクションし、各地の生活に根ざした素朴な素材で作られたフォークトイを数々紹介する一冊。動物や架空の生き物(ココ大事!)を中心にセレクトされ、凝った撮影、のんびりしたアートディレクションで見て楽しめる、遊び心満載のカタログになっているだろう。
失われ続ける「東京」の風景
『名残りの東京』
片岡義男/河出書房新社1,800円+税
10数年ぶりに、むかし住んでいた町を訪れた。電車を降り、びっくりした。駅は高架となってショッピングモールが立ち並び、地上に降りると再開発の波が押し寄せたか、馴染みのある商店街は姿形もなかった。残念というより、間違った土地に来てしまったと後悔したものだ。しかし、唯一残された安定食屋を発見。かつて、よく通ったその店の看板だけが、時間が止まったかのように灯りを点していた。いつも食べていた赤鯛の粕漬け定食を頼み、ビールを口にすると、なぜか自分が異星人になった気がして仕方ない。幸運にも膳を運んでくれたオバちゃんは変わりない。でも、少し曲がった腰が悲しかった。
近年、写真家としての活動が精力的な作家・片岡義男の最新刊を手にして、そんな個人的な感傷に浸ってしまった。90年代初頭に巻き起こったニューヨークの「ジェントリフィケーション(Gentrification)」さながら、東京も姿形を変え続ける。そこに異論をはさむことは停滞につながると、ある不動産業者が語ったのを思い出しながら、この「失われていく見慣れた風景」に彩られた写真集を眺めた。片岡の視点は「消えていく東京の名残り」を写し取ったものだが、実のところ、懐かしさよりも「鮮やかな名残り」に目を奪われてしまったのも確かなこと。いま、こうした写真を撮る人は希有である。
(文・増渕俊之)
更新日:2009年6月17日