
ユーザビリティの専門家は「デザイナーのエゴ」を糾弾することが多い。しかし、一方で、ユーザビリティを高めるためのチェックリストを作成していたりする。ものごとを標準化すること以上に、強烈なエゴはない。たとえ自覚していなくても、評価の尺度として、自分自身を置いていることになるのだから。「客観的にみて」というのは、あくまで自分の論理のなかでの客観性でしかありえない。
人が何かを制作するとき、そこには必ず、その人らしさが表れる。それは決して悪いことではない。個性の強い人が、友人を作れないわけではない。むしろ、人はその個性にこそ惹かれるものだと思う。万人に好かれるような、いわゆる八方美人な態度では、特定の人に本当に愛されはしない。
自治体の作るポスターは、どれも似ている。丸みを帯びた、笑顔のキャラクターが、パステル調で描かれている。無難な表現というのは、結局、誰の心にも届かない場合が多い。個性のないポスターなんて、ポスターの意味がないと思うのだが。
表現するということは、偏りを示すことなのだ。偏りがあるからこそ、表現する意味がある。すべての人に愛されるデザインなんて存在しないし、そもそもすべて人に愛されるなどということが不可能であることは、日常生活のなかで、常に実感することだろう。
ユーザビリティを考慮してWebサイトをデザインすることは大切なことだ。しかし、それは個性豊かな表現をすることと、矛盾するわけではない。コミュニケーションは、自ら表現しなしなければ、はじまらない。
デザインに限らない。エゴのない表現なんてゴミだ。