第1話 異業種からの転身 | デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-
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様々なジャンルで活躍するデザイナーの来歴をたどるシリーズ、第7回は「デザインとメディア供給の融合」編。エディトリアルからWeb、パッケージなど幅広いデザインを手がけながら、自主制作マガジンの発行や海外誌のディストリビューションも兼ねた“アソシエイツ”を主宰する高橋伸幸さんを取材し、その経歴から現在に至るまでの足跡をうかがいます。

第1話 異業種からの転身


高橋伸幸さん

ロフト付きのオフィスにて、高橋伸幸さん

ホテルを辞めて編集プロダクションへ


――デザイナーになる前、建築・アート雑誌の編集プロダクションに勤務していたそうですが、もともと編集者志望だったのですか?

高橋●いいえ。編集プロダクションに勤めたのも偶然で……小さなときから絵や写真は好きだったのですが、それを活かして何かになろうなんて考えていませんでしたし、基本的に学校の授業が嫌いだったんですね。とにかく早く働きたくて、高校卒業後はホテルに勤めました。

――ホテルマンだったんですか?

高橋●そうです。実家が薬屋で自営業だったこともあるかもしれませんが、客商売に少なからず興味を持っていたのだと思います。ならばサービス業がいいかと、結構安易に考えて名古屋のホテルに就職したんです。その後、東京のホテルに移ったのですが、やっぱり表と裏のギャップというか、見えなかった部分もいろいろ見えてくると、もういいかな……と思うようになり、なにか別の仕事をしようと、ホテル勤務を4年で辞めました。

――その後、どうしようと?

高橋●無職ですからいくらでも時間があって、この時いろんな本をたくさん読みました。そのうち漠然とデザインというものに惹かれ、次はデザインを仕事にしようと決めたんです。これもかなり安易で、かなり単純な決断ですけど……。で、デザイン事務所や設計事務所にアポイントとって面接に行きました。たぶん30社ぐらい。でも経験がないから、全部ダメ。当然ですけどね。そんなとき、たまたま知り合いの働いている編集プロダクションで、人手が足りないというので声が掛かり、短期のバイトで入ったんです。

――そこが建築・アート雑誌を?

高橋●はい。当時、もうバブルは終わっていましたけれど、まだ都市開発プロジェクトがちょこちょこ動いていたんですね。そうしたモニュメント事業を行っている企業のPR誌で、自由に面白い内容のものを作っていたんです。

――ホテル業界から転身して、戸惑いは?

高橋●編集といっても雑務からのスタートでしたし、デ・スティルやバウハウスなどのムーブメントには興味があったんです。当時、建築・アート系の雑誌といえば、堅くてアカデミックな感じのものばかりで、自分の興味と繋がりの持てる元気な雑誌は少なかった。だから、ちょうどよかったのと……ゆくゆくはインテリアデザイナーになりたい、なんて思ってもいたんです。

――では、その経験を積むために?

高橋●まあ、他にやることもなかったし、多少の接点が生まれるかな……と。その編集プロダクションの社長も「立体を作るのも平面のデザインは重要」と言っていて、「なんとなくそんな気がするし、じゃあやってみるか」みたいに。結局、そこで5年勤務しました。

丸ごと1冊のデザインをまかされる


――何人ぐらいの規模の事務所だったのですか?

高橋●多いときは8人ほど。そのPR誌以外にも仕事がいくつかあって、建築家やデザイナー、評論家などの取材に行ったり、撮影に同行したりと、在籍していた5年間は休みらしい休みもなく、すごく忙しかったですが、毎日とても新鮮で面白かった。よそで体験したことがないから、そこで学んだことしか知りませんが……編集作業の基礎みたいなものは、ここで身に付いたと思います。

――そこで、デザイン業務にも携わったのですね?

高橋●Macがあったのでタイピング程度に使っていたら、そのうち社長が「誌面のデザインもやってみるか」と。それがいまの仕事をやるようになったきっかけですね。

――DTPでも、いきなりデザインを始めるというのは、どうでした?

高橋●それまで編集作業の中で、外部のグラフィックデザイナーやエディトリアルデザイナーとのやりとりもしてましたので、大体の流れはわかっていました。DTP以前は、デザイナーから版下やレイアウトの指定紙を受け取り、写植の級数指定や色指定などをチェックして入稿作業もしていましたから。……で、これが初めて一人で全部まかされた号です。


『SCAPE21』別冊

高橋さんが初めてすべてのデザインを手がけた『SCAPE21』別冊(1995年11月/ホッカイ パブリック・アートスケープ事業部)。第46回ヴェニス・ビエンナーレにおける日本政府館のエキシビションをドキュメント

高橋●この頃はまだ完全データではなく、印画紙に出力した版下と反射原稿で入稿した記憶がありますが、とりあえず画面上でレイアウトをしてますね。

――いきなり立派じゃないですか。

高橋●たまたま予算がとれなくて、内部でデザインもやらなくてはならないという事情も重なっただけです。丸ごとと言っても80ページほどですし。

――用紙や中身をみると、独立後に作った『3minutes at tokyo』(次回詳述)に雰囲気が近いですね。

高橋●ああ、そう言われれば何となく……他にもまかされたものがありますが、これがデザイナーとして自分の名前がクレジットされた最初のものだったと思います。


次週、第2話は「独立、そして自主出版」についてうかがいます。

(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)


高橋伸幸さん

[プロフィール]

たかはし・のぶゆき●1968年静岡県生まれ。建築・アート雑誌の編集プロダクション退社後、97年7月に「スリーミン・グラフィック・アソシエイツ」を設立。雑誌や書籍、アパレルメーカーのカタログなどのエディトリアル、Web、商品パッケージなどのデザイン/ディレクションを手がけている。同時に『3minutes at tokyo』などの自主制作・発行、海外誌のディストリビューションも行っている。http://www.3min.jp/


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