第1話 デザイナーは何をしたらいいか? | デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-
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様々なジャンルで活躍するデザイナーの来歴をたどるシリーズ、今回は国内外の映画ポスターやチラシ、プログラムなどの宣伝デザインを数多く手がける岡野登さんを取材し、その経歴から現在に至るまでの足跡をたどります。

第1話 デザイナーは何をしたらいいか?


岡野登さん

岡野登さん(背後にはGW公開大作の豪華ポスターが!)

美大浪人中から"現場"を体験


──そもそも、デザイナーになろうと思ったきっかけは?

岡野●小さい頃からものを作るのが好きで、デザイナーになろうと決めたのはだいぶ後のことでしたが、広告に興味があったんです。テレビのコマーシャルよりも、新聞でガツンと思い切って作っている感じが好きでしたね。

──70年代終わりから80年代のものですか?

岡野●そうですね。広告がダイナミックに変化してきた時期で、子どもながらに「面白いことをやっているな」と思いながら見てました。

──いまの仕事のルーツにつながるようですね。

岡野●その当時は、そんなこと思ってもなかったのですが、なにか斬新なことをやっているというイメージがあって。あとは個人的に美術が好きで、展覧会などを見に行くようになると「作品を発表する」ということに興味を持つようになりました。

──では、高校ぐらいにかけて自覚的に進路を?

岡野●いや、その間はまったくなくて、部活でバスケットボールばかりやってました。そろそろ進路を考えなくてはならなくなったときにも、具体的に働いているイメージが全然わかなかった。逆に「どうせやるなら」と消去法で考えたときに、やっぱりものを作れる仕事をできたらいいな……と決めたのですが、なにがなんでもデザイナーになりたいという感じではなかったです。

──でも、美大を?

岡野●ええ。スタートが遅かったので予想通り浪人して武蔵野美術大学に入学しました。一浪のときはひたすら真面目に勉強していたのですが、二浪のときに「こんなことやっててもダメだ」と焦って、大学より先にデザイン事務所にアルバイトでデザイナーを経験することになりました。

──普通と逆ですね。

岡野●浪人生でしたから、看板屋さんとか印刷屋さんとか昼間アルバイトで働けるところを転々として、最終的にデザイン事務所に入ったのですが、そこで“いろいろとものを作る現場”にはこういう人たちがいるのか……と知った。机の上だけで勉強しても、それはわかりませんよね。折り込みチラシひとつ作るにも、いろんな人がいろんな事で関わって完成する。そこで「デザイナーとは何をしている人?」ということが実際に見てわかったんです。


神童(2007年/ビターズ・エンド)チラシ素粒子(2006年/エスパース・サロウ)チラシ

岡野さんの最近の仕事から
左/神童(2007年/ビターズ・エンド)チラシ
右/素粒子(2006年/エスパース・サロウ)チラシ

アシスタントでもADの感覚で雑務をやる


──大学での勉強は?

岡野●大学に入学してからもバイトを続けてて、授業で活字や写植の指定やら印刷の工程をみんなが教わっているときに、自分はプロ並みに毎日毎日入稿してました。そうした現場で学ぶことは大学で学ぶことよりはるかに実践的だったので、大学はもっとクリエイティブな発想や知識を習うところなのだと思っていました。

──学習と実技、両面を同時にこなしていたわけですね。

岡野●それもデザイナーになりたいから……というわけではなく、単純に面白かったからなんです。インクの匂い、シルクスクリーンとかが好きだった。でも、大学は課題がものすごい量になり、バスケも続けていたので、大学以外はほとんどバイトでだんだん家に帰れなくなり、徹夜して授業を受けて、また課題、バイト、バスケ……という生活でしたが(笑)。

──卒業後のイメージは?

岡野●たまたまバイトしたところが独立志向で、どうせ目指すならゆくゆくは独立しないと……と、半ば洗脳状態で聞かされていたんですね。働くところは、広告代理店もデザイン事務所も変わらない。けれど、自分の役割みたいなものを早めに決めてやれば、自分のやりたい方向に行けるよ、と。当時は学生のアルバイトでしたから全然自信がなかったのですが、独立して仕事をするということを前提に、就職をどうしたらいいか、自分のデザインをどうしたらいいか……とは、早い時期から考えていました。

──計画的ですね。

岡野●最初のうちは、その考え方に反発していたんです。やっぱり、普通はアシスタントで入って、仕事を憶えて、ADになってCDになるというのが常識ですよね。最初からADやCDの感覚で「ものを作れ」と言われてもわからないじゃないですか。でも「それは違う」と。アシスタントでもADの感覚で雑務をやれば、逆にADが何を欲しがっているのかわかる。早い時から最終的には自分が仕切るという感覚でアシスタントの雑務をやらないと、1年だろうが10年だろうが仕事を続けても「何も変わらない」と。

──なるほど、現場に即した考えではありますね。

岡野●ええ。でも、その頃はまったく理解できませんでした。ただ、後に社会に出てみると、同じような考えの人が沢山いる。仕事でいろいろな人とつきあっていくほど、予測も思考も増えていって「こういう動きをしてあげたら、相手は喜ぶのでは?」ということを憶えていった。そうすると、ADやカメラマンから「気が利く」とか「話が早い」と言われるようになって、ようやく自覚できるようになりました。


スパイダーマン3(2007年/Sony Pictures)チラシママの遺したラヴソング(2004年/アスミック・エース)チラシ

岡野さんの最近の仕事から
左/スパイダーマン3(2007年/Sony Pictures)チラシ
右/ママの遺したラヴソング(2004年/アスミック・エース)チラシ


次週、第2話は「就職、そして独立」についてうかがいます。

(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)


岡野登さん

[プロフィール]

おかの・のぼる●1961年埼玉県生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン科卒業後、企業デザイン部門、PR会社での勤務を経て、91年に「Cipher.」を設立。ハリウッドのメジャー作から単館系作品まで、数多くの映画宣伝を手がける。その他、広告、テレビ番組の宣伝、装丁、CDやDVDジャケットなどで活動中。


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