第1話 自分がしたいものは何か? | デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-
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様々なジャンルで活躍するデザイナーの来歴をたどるシリーズ、今回はコーネリアスをはじめとする数多くのCDジャケット、サッカー番組のオープニング映像のアートディレクションなどを手がける北山雅和さんを取材し、その経歴から現在に至るまでの足跡をたどります 。

第1話 自分がしたいものは何か?



北山雅和さん

代官山のオフィスにて、北山雅和さん

浪人が決まって、初めて進路が見えた


——小さい頃になりたかったものは?

北山●野球選手ですね。父親が野球すごく好きで、その影響で小さい頃は野球やることしか考えてなかった。でも同時に、絵を描くのもすごく好きだった記憶があります。時代的にスーパーカー世代なので、ミニカーで遊びながら車の絵を描いたり、プラモデルのパッケージや説明書を模写したり。

——中学、高校時代は?

北山●まったく普通の公立校で過ごしました。中学1年が終わったときに、父親の転勤で東京の世田谷に移り住んだのですが、都立高校に進学してからもスポーツばかり。

——美術は?

北山●成績はよかった。体育と美術だけがいい生徒(笑)。小学生の頃から、絵は「うまい」と褒められ続けていたので、意識はしていたんです。でも、本格的に絵の勉強したことがなかったし、逆にちゃんとやるのが嫌だったんですよね。

——高校卒業後の進路を決める頃になって、そちらのほうへ志望を?

北山●いや、全然。気づくのが遅いんですね。どこに行きたいという希望もなく、流れで普通大学を一応受けたんです。そこで初めて学部のことなどを調べ始めて。そんな状態だから、もちろん落ちたのですが…。自分がどうやら美術的なものに興味を持っていると、やっと自己分析ができた。

——確かに遅い(笑)。

北山●ええ。で、浪人すると決まったときに、初めて美大という選択肢ができた。いままで二番手だったものを一番に志すようになって、絵の勉強をちゃんと始めたのはそこからですね。

——予備校に通ったのですか?

北山●美術系の専門予備校ですね。翌年、私立の美大を狙ったのですが、1年間の勉強ではダメで、もう一年浪人するか、あるいは試験のないファッション系のほうに進むか……と迷ったときに、先生が「もったいないから桑沢デザイン研究所を受けてみなさい」と提案してくれたんです。ちょうど二次の募集が残ってて、受けてみたら合格しました。

——何科ですか?

北山●1年生は全部やるんです。いまはどうか知らないですが、グラフィック、インダストリアル、インテリアや建築……全部一緒くたに勉強して、2年から専門過程。そこで初めてグラフィックを選びました。他のものは、それまで考えていなかった。デザインの範疇だからプロダクト系も好きなんだけど、絵が一番アプローチしやすかった。でも、1年のときの成績は、インダストリアルやインテリアのほうの点数が高かったのですが。

——卒業後のイメージは?

北山●本当は、桑沢の研究科に進みたかったんです。それは試験があるわけではなく、自分で申請して、先生が判断する。僕も行くつもりで、もっと勉強したかったのですが、結局ダメでした。


Cornelius『SENSUOUS』(2006年/ワーナーミュージック・ジャパン)



北山さんの最近の仕事から

Cornelius『SENSUOUS』(2006年/ワーナーミュージック・ジャパン)
コンテムポラリー・プロダクション時代から、
長い関係を保っているコーネリアスの最新作。
サウンドの変化、成熟とともに歩を進めながら、
先鋭的なデザイン・ワークをみせている

渡り歩いたアシスタント時代


——そこで就職を?

北山●就職しなければいけない……ということもないじゃないですか。職業としてのグラフィック・デザイナーに、それほどこだわっていたわけではなかったんです。当時はグラフィック展やチョイスなどに応募して、選出されるというのが美大生や専門学校生の憧れみたいなところがあって、僕もまだ絵のほうでやってみたいという意識があった。その頃のアイドルは大竹伸郎さん。そうしたアーティスト寄りなアプローチもしたい……と思っていたんです。自分がわかってない証拠なのですが、だから積極的に就職活動はしなかった。

——では、バイトしながら?

北山●ええ。知り合いの知り合い……という感じで「あそこのデザイナーが忙しいから手伝って」みたいに声がかかって、単発でアシスタントをする生活。その中の一人の方に影響を受けて、ようやく「グラフィック・デザインっていいな」と思うようになったんです。

——どなたですか?

北山●野本卓治さんです。元エピックソニーのハウスデザイナーで、独立されてCDジャケットや初期のIDEEのカタログなどを手がけられていました。他にアパレル系など、バランスよく仕事をされていて、すごくこだわりを持っている。音楽の趣味もすごく良いし、ドイツ留学の経験があるからバウハウスに詳しい。当時、事務所は奥さんと二人でやられてて、忙しくなると僕の様なアシスタントを呼んでいたんです。結局、1年間ほど手伝って、合間にその他のデザイン事務所も紹介されて。そうやって渡り歩いて、うまい具合にかぶらなかった。22歳から23歳の頃ですね。

——そういう中で実技、現場を学んだ?

北山●ええ。就職浪人なんだけど、仕事を学ぶため……という意識はもちろんありました。桑沢を出たままでは、絶対通用しない。Macもまだなかったから、写植指定から版下作りまでやらなければならなかったし。そうしたグラフィックの基礎を、バイトしながら教えてもらいました。

——当時学んだことで、いまも役立っているものは?

北山●やっぱりマインドの部分ですよね。手で作っている時代だから感覚は絵に近いし、版下は層になっているからプラモデルとかプロダクトに近い。紙の厚みを意識するし、線を一本引くにしても、いまみたいに設定をすればいいものではない。ハンドメイドな部分という余地が多かった。そうしたアナログ感覚は、いまDTPで作業していても身体に残っています。


THE Miceteeth『from RAINBOW TOWN』(2005年/ビクターエンタテインメント)



北山さんの最近の仕事から
THE Miceteeth『from RAINBOW TOWN』
(2005年/ビクターエンタテインメント)
ad:森寺啓介&北山雅和 ph+sleeve design:北山雅和
様々な写真プリントを切り抜き、キッチンでパノラマ構成したものを撮影した
手の込んだジャケット


次週、第2回は「フリッパーズ・ギターの衝撃」についてうかがいます。

(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)


北山雅和さん

[プロフィール]

きたやま・まさかず●1967年神戸生まれ。桑沢デザイン研究所卒業後、デザイン事務所のアシスタントを経て、コンテムポラリー・プロダクションに入社。5年在籍後、98年に独立して「HELP!」設立。コーネリアス、felicityレーベル、The MiceteethなどのCDジャケット、J SPORTS「Foot!」などサッカー番組のタイトル・ロゴやオープニング映像のアートディレクションを手がけている。今夏、初の作品集を刊行予定。
http://www.help-grafik.com



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