第1話 本当はイラストレーターになりたかった | デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-
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成功を勝ち取れ!異業種からの挑戦

このコーナーではプログラマーからWebデザイナーへ、営業職からディレクター職へ、など、異業種・異業界からの転身を見事に成し遂げた人の成功談をうかがっていきます。最初に就いた仕事が自分に合わなかった……、夢を捨てきれない……、そんなあなたに力を与える先輩たちの実体験がここにあります!!

第1回 株式会社マイティスペース 太田耕一郎氏の場合


株式会社マイティスペースの取締役・太田耕一郎氏は、ゲームのグラフィッカーという異色の経歴をもつWebデザイナー。インターネットの進化、もっと大きく言えばデジタルの進化とともに、つねに「新しいものを攻略する」べく仕事をしてきた結果、気がつけばWebデザイナーとしての今のポジションに到達していたという太田氏。異業種からの転身はどのようにして成功したのか。その経歴にせまります。

太田耕一郎氏 [プロフィール]
おおた・こういちろう●1973年埼玉県生まれ。専門学校を卒業後、ゲーム会社の花形・グラフィッカーになるも、まもなく退社。その後、出版社・アスキーにてグラフィックデザイン、CD-ROMの画面デザイン等の経験を積み、フリーランスのデザイナーとして独立。Webの黎明期から数々のサイト制作にたずさわる。5年前に取引先のひとつであった株式会社マイティスペースに入社。現在は取締役として、Webサイトのプランニングから取材撮影、デザインからコーディングまで、さまざまなクライアントの案件をトータルに手がけている。 http://www.mightyspace.com/


第1話 本当はイラストレーターになりたかった

──まず、新卒時に入社された当時のことを教えてください。
太田●あるゲーム会社にグラフィッカーとして入社しました。もともと子どもの頃からイラストレーターになるのが夢で、専門学校でもイラストの勉強をしていたんです。

──グラフィッカーというのは……ゲームのキャラクターデザインから背景画まで、ゲームのグラフィックを担当する職種ですよね。
太田●そうですね。「絵で飯を食う」っていうのが夢だったんですよ。イラストを志す人は当時からたくさんいて、専門学校にももちろんたくさんいたんですけど、いざ就職するとなると、そこにおさまるべき枠は少なくて。特にグラフィッカーは狭き門でした。

──が、そのゲーム会社を1年弱で退社してしまったと。
太田●はい。激務だったというわけではなかったんですけど、理想と現実が違って(苦笑)。“会社会社”している会社だったんですよ。勤務時間は9時~5時で「早く帰れ」と言われるし、グラフィッカーなのになぜか「スーツを着てこい」とか(笑)。今思えば、ちょうど会社がバブルがはじけた頃だったんですね。それでいろいろと制限があって……グラフィッカーですけど、日報を書いてました(笑)。

──そんなゲーム会社もあるんですね(笑)。でも、狭き門をくぐって、せっかくグラフィッカーになれたのに……迷いはありませんでしたか。
太田●いや、辞めてよかったですね。そこで、いくつか転職活動をしました。他のゲーム会社もグラフィッカーとして受けたんですけど、グラフィッカーとしてのキャリアが短すぎて通用せず、中途では採用されなかったですね。で、同時に受けていた出版社のアスキーにグラフィックデザイナーのアシスタントとして入りました。

──なぜアスキーを選んだのですか。
太田●当時、ゲーム系の雑誌をアスキーで出してまして、あわよくばそこの編集の人と仲良くなって、そっちの方面でイラストレーターになれないかなと思ってたんですよね。ま、それはなかなか難しいことだと、入ってからすぐに思いましたが……。

──アスキーではどんなことをされたのでしょうか。
太田●当時花盛りだった、CD-ROMの編集部にいました。「マルチメディア」という言葉が流行っていた時代ですね。そこでCD-ROMの画面デザインから、紙のデザインまでいろいろやりました。アスキーに入ってから初めてマックに触ったんですよ。学校でグラフィックデザインは習ってはいたんですけど、仕事でやったことはなかったですし。

──編集部にグラフィックデザイナーがひとりいて、その下にアシスタントがひとりという体制だったんでしょうか。
太田●そうですね。当時は各編集部に最低ひとりはグラフィックデザイナーがいて、外注はライターくらいでした。締め切りまで日数がないので、制作は全部内部でやってましたね。ちょうどDTPが始まったばかりで、アシスタントでついたグラフィックデザイナーも、初めてMacでデザインするくらいだったんですよ。しかも、当時はめずらしいフルDTPだったんで……QuarkXPressを使って、MOで入稿してましたね。1993年頃のことです。

──入社されてすぐに、一気にIllustratorとPhotoshopとQuarkXPressを初めてのMacintoshで扱うという……初めてづくしだったんですね。
太田●当時はハードもソフトも高くて、個人じゃ買えませんでしたから。アスキーは当時めずらしくISDN回線だったりして、とにかく環境には恵まれていたと思います。

──グラフィッカーとは随分違う職種になったわけですけれども?
太田●そうですね。デジタルの世界ってどんどん新しくなっていくじゃないですか。Photoshopも2から3、4とバージョンが上がってやれることが増えて、おもしろいなって感じてましたね。とにかく新しいことを覚えていくというのが好きでした。今でもそれは変わっていません。

(取材・文:草野恵子  撮影:栗栖誠紀)

次週は「第2話 アナログよりもデジタル。そしてインターネットへ」についてお届けします。

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