第1話 70年代ロックに目覚めて | デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-
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々なジャンルで活躍するデザイナーの来歴をたどるシリーズ。今回はグラフィックデザイナーの水戸部博さんを取材し、今日までの足跡をたどります


第1話 70年代ロックに目覚めて



水戸部博さん

南麻布のオフィスにて、水戸部博さん


漫画『20世紀少年』に共感の世代



──小さい頃は、どのような子どもでした?

水戸部●やはり絵を描くが好きで、得意な科目は図工でした。おじいさんが高校の美術の先生で、父親が宮大工をやったりしていたり、実家も明治時代から続く染物屋なんです。だから、会社に勤めるという将来像はハナからなかったですね。

──職人さん的な家系ということですか?

水戸部●環境的にはそうですね。だからといって、そこに影響を受けたということはないです。ただ、やっぱり田舎(新潟県の新発田)にいると情報が少ない分、違うもの……現状と異なる環境とかに憧れたりしますよね。で、中学生の頃からロックを聴き始めると、たとえばウォーホルの手がけたジャケットを見たりするじゃないですか。そうすると段々そっちに興味がわいてきて。

──70年代初頭、音楽とアートが融合していた時代ですね。

水戸部●ええ。いい時代でした。漫画で『20世紀少年』ってあるじゃないですか。あれ、まったく当てはまるんですよ。登場人物たちと同じ世代だから、読んでいると共感できて。T.Rexとかよく聴いてましたし、地球滅亡も信じて(笑)。

──団塊世代よりも下で、昭和40年代生まれよりは上で。

水戸部●ええ。だから60年代はよく知らないんです。70年代イギリスの音楽が大好きで。

──そっちの道を歩もうとは?

水戸部●思いませんでした。頑張ってギターやシンセを買ってましたけど、まったく才能ないなって。

──むしろジャケットを作る側に行こうと?

水戸部●ええ。最初は横尾忠則さんやピーター・マックスが好きだったので、イラストレーターかな……と。でもアートは向かないと思っていたので、どちらかというとデザインされたものを自分で探してみたり。ロジャー・ディーンとかヒプノシスとか、そっちからの影響をいっぱい受けましたね。なんとなく「こういう仕事をしたい」と漠然と思うようになって。

──高校卒業後の進路は?

水戸部●美術系の学校に進もうとは決めてました。だけど直前までまったく意識的に考えてなくて、大学受験となると勉強も準備もやらなくちゃならない。そこまでシリアスに考えてなかったし、浪人して大学入るつもりもなかった。で、なんとなく地元の普通高校を出て上京して、代々木にある日本デザイン専門学校のイラストレーション科に入ったんです。

──どうやって決めたのですか?

水戸部●もう忘れちゃったけど……多分、専門学校に行ってもいいか、両親に聞いたら「いい」と言われたので、自分で調べたのだと思います。当時は情報源がいまみたいになかった頃だから、たとえば『美術手帖』とかを見て資料を取り寄せたんですね。選択肢もそんなに多くない時代だから、とにかく一番最適なところを選ぼうかと。

──早く社会に出たかった?

水戸部●それも少しありました。漠然としてたけど、東京に出ること自体が夢で。で、学校に通い始めたのですが、2年制でそんなに深いカリキュラムがあるわけじゃない。全然面白くなくて「違うな」と思い始めて……その頃、寮に住んでたんですね。いろんな学校の学生が150人ぐらい入る寮が向ケ丘遊園にあって。そこが楽しくて、いつも誰かしらいるので、学校に行くよりも寮で過ごす時間が多くなってしまったんです。

──みんなで騒いだり?

水戸部●そういうのも面白いんだけど、部屋にこもって自分の好きな絵を描いたりデザインを作ってました。で、たまに学校に行くと「何しに来たの?」みたいな顔をされちゃって(笑)。でも、そのかわり課題の成績はよかったんですよね。


最初の就職先で「ヤバイ」体験



──就職は?

水戸部●専門学校を卒業後、一旦新潟に帰ったんですよ。状況がわからなかったし、こんなことやっていて「就職できるのか?」と思って。だったら一度実家に戻って、ゆっくり探してみたら……とも親に言われて。そうしたら新潟の新聞社のデザイン制作部が募集してたんです。でも履歴書を送っただけで、面接に行った記憶がない(笑)。

──どういうことですか?

水戸部●行くか行かないか悩んだ記憶はあるんだけど、たぶん途中で辞めちゃったんだと思う。そこに行ってもしょうもないなって。で、やっぱり東京に戻ることになって、卒業して何ヶ月かは何もしてないでブラブラしてたんです。でも「これはよくない」と思って、学校に行って求人を探して。タイミングはズレていたけどちょこちょこあって、その中のひとつに初めて就職してみたんです。

──デザイン事務所ですか?

水戸部●ええ。個人経営の事務所。ボスが元々企業の制作部にいた人で、そこからパッケージなどの仕事がたくさん降りてきてました。こっちもデザインは素人だから、版下から写植指定、色指定……覚えることは問題なかったけど、ちょっと信仰上に問題があるところでして(笑)。

──ああ……。

水戸部●最初は右も左もわからないから、仕事だけしていればいいかと思っていたら、4ヶ月ぐらい後のあるときに「水戸部くん、ウチに泊まりに来なさい」と誘われた。で、ごはん食べさせてもらって寝て、朝になったら叩き起こされて……連れて行かれたところで「これはヤバイ」と(笑)。

──ハハハ。

水戸部●速攻で逃げようと思って「1週間以内で辞めたい」と申し出て。いろいろ修羅場もありましたが(笑)無事に脱出できたんです。

──そこを辞めてからは?

水戸部●ちょっとブランクあって、2〜3ヶ月ブラブラしてました。その頃は家から仕送りを受けて、学生時代の寮に引き続き住んでいたんです。寮のおばさんがいい人で、居心地もいいから3部屋借りて、ボーッとする部屋と友達が集まる部屋と寝る部屋に分けてました(笑)。


水戸部博さん


現在手がけている「三菱マテリアル」のジュエリー広告を手にする水戸部さん。
オフィスに陳列された資料群(高価な書籍ばかり!)の整然さ通り、
制作物からもキチッとした“グリッド”な性格が伝わる

次週、第2話は「石岡怜子さんとの出会い」を掲載します。

(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)

水戸部博さん



[プロフィール]

みとべ・ひろし●1959年新潟県生まれ。日本デザイン専門学校卒業後、デザイン事務所数社を経て、石岡怜子デザインオフィスに勤務。渡英をはさみ、90年にフリーランスとして独立。現在、自身のオフィス「grid graphics」を主宰し、広告、CDジャケット、パッケージなどを手がけている





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