田島照久「機動警察パトレイバー the Movie」 アニメ文化のデザインを変革した人 |
PROFILE | 田島照久
[たじま・てるひさ]アートディレクター、グラフィックデザイナー、写真家。1949年、福岡県生まれ。多摩美術大学卒業後、1972年にCBSソニーに入社。その後、79年からフリーで活動し、浜田省吾、尾崎 豊などさまざまな音楽関係のデザインを手掛ける。 |
洗練された欧文のタイポグラフィと イラストレーション 英語表記のロゴタイプや欧文のみのコピー、スペースを生かしたレイアウトなど、非常にストイックなデザイン。出渕 裕のイラストに田島氏が実際に撮影した雲の写真を合成して制作。「自分としてもエポックメイキングなものだと思う」(田島照久氏) 「機動警察パトレイバー the Movie」ポスター/1989/松竹 |
―― 音楽のジャケットデザインがメインだった田島さんにどういう経緯でアニメのデザインのお仕事の依頼が来たんでしょう? その当時、ECHOESというロックバンドのデザインをやっていたんですね。そのECHOESの事務所の方に「会って欲しい人がいる」といわれたんです。それが現在のバンダイナムコの代表取締役副社長・鵜之澤伸さんと、『王立宇宙軍 オネアミスの翼』※1(1987年)を企画した渡辺 繁さん。その当時はまだバンダイビジュアルという会社もなく、バンダイの一事業部でした。そこがオリジナルビデオ作品として『機動警察パトレイバー』をやるということで、新しいデザイナーを探していたんですね。 アニメという別分野の仕事は面白いと思った ―― 当時、音楽系のデザイナーがアニメ作品のデザインをするというのは、かなり異例だったんじゃないですか? そうですね。音楽の人は音楽、アニメの人はアニメと割とハッキリ分かれていました。僕も尾崎豊※2くんとかソニー系の人を手がけてたんで、アニメの仕事と接点はまったくなかった。 |
―― そういうまったくの別分野から話が来たときはどう感じましたか? うーん……はっきりは思い出せないけど、半分は面白いと思いましたね。僕は現在のソニーミュージックに当たるレコード会社に就職してこの世界に入って、それからずっと音楽の仕事ばっかりしてきたわけです。なので、アニメって疎かった。というより、当時は接する時間もなかったんです。忙しくて。だから、まったく新しい世界に思えたので、面白いと思ったでしょうね。 ――「半分は面白いと思った」とおっしゃいましたが、もう半分はどんな気持ちで? 「僕の方法論は通じるのかな?」とは思いました。やっぱり新しい世界ですから。端的に言えば、あまり欧文のタイポグラフィとかを寄せ付けない世界じゃないかという気がしましたね。僕は逆に欧文のタイポグラフィなどを扱う世界でやってきたので、それが通用するか、自信がないといえばないわけです。 |
※1『王立宇宙軍 オネアミスの翼』
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※2 尾崎 豊
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本記事は『MdN』2014年8月号(vol.244)の特集「アニメのグラフィックデザイン」からの転載です。
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