第1話 マイコンに魅了された少年時代 | デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-
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まざまなジャンルで活躍するデザイナーの来歴をたどるシリーズ。今回はマルチメディア・デザイナーの岡村浩志さん(Ages5&up)を取材し、今日までの足跡をたどりま


第1話 マイコンに魅了された少年時代



岡村浩志さん

中目黒の仕事部屋にて、岡村浩志さん


ゲーセンの「光」が好きだった



──小さい頃はどのような子供でした?

岡村●やっぱり絵を描くのが好きで、なにか想像して描くのが好きでした。母親に聞いた話ですが、散らかした缶詰を「片付けなさい」と言われたときに、その缶で城を作っていたそうで。身の回りの物で何かを作るのが好きだったみたいです。

──ご家庭は芸術的な環境だったのですか?

岡村●いえ、実家は下町で塗料を販売する商売です。小学校高学年か中学ぐらいからマーキングフィルムやカッティングシートを売るようになって。だから学生時代のアルバイトは家の手伝いをしてました。タイポグラフィに興味を持つのは、もっと後の大学時代ですが、割とレタリング的なことは身近にあったんですね。あと、母親方の祖父が表具師で職人さんでした。あまり直接は影響ありませんが……。

──小学校時代は?

岡村●体育がすごく苦手でしたね。外で遊ぶことが嫌で、教室の中で絵を描いたり、楽器弾いたりするのが好きなインドア派です。部活も運動系のところに入ったことが一度もなくて、工作クラブとか実験クラブとかでしたね。

──やっぱり美術が得意だった?

岡村●そうですね。自分がクラスで一番うまいと思っていました。漫画を描いたりデッサンとかも自負してて。

──当時、何が流行っていました?

岡村●やっぱり『キン肉マン』とか『ビックリマン』とか、ちょうど『ドラゴンボール』の連載が始まった頃。ただ、自分の場合は漫画も影響あるけれど、やっぱりゲームでしたね。ファミコンの前に駄菓子屋のゲームにハマって、旅行に行った時も旅館のゲームコーナーが大好きで(笑)。特に画面が光っているのが好きだったんですよね。昔のゲームって画面が黒くて、赤い光とかが動くじゃないですか。映像というより、光が動いているイメージが好きでした。

──いまの活動原点って、そのあたりにありますか?

岡村●絵の他に自分の中で改革があったのはコンピュータですね。小学校4年ぐらいのときに、いとこの家の物置にコンピュータが置いてあったんです。SC3000というセガのマシンで、小さいメモリのBASIC機ですが、それで縦スクロールを利用して車が走るゲームを作ったり。車といっても「A」みたいな普通の文字で、雑誌に載っていたプログラムを打ち込んだだけなのですが。でも、打ち込むと画面が動くことにすごく衝撃を受けて。それ以降、興味を持っていとこのお兄さんが買ったパソコンを触らせてもらったり。

──マイコン世代ですね。

岡村●ええ。それから『ログイン』とか『I/O』とか雑誌を買ってみたり、小学校高学年になると秋葉原に行って店頭のマシンを触ってきたり。それでMSXだったらお小遣いで買えそうだと思って、ワクワクしてましたね。で、中学に入って自分のコンピュータを買ってからは「これで自分の未来が開けるんだ」という気持ちになったのを憶えています。その時のワクワク感と春の香りが交じった感情がいまだに忘れられないです。


○○○○

neon lightsneon lightsneon lights

岡村浩志さんの仕事より
上段:"○"(2001年)
国内外の10組のアーティストが参加した「Mind The Banner プロジェクト—Love your“?”」に出品したインタラクティブ広告

下段:neon lights(2004年)
グラフィックデザイナー千原航(ミュージックソー)とAges5&up(ギター+iPod)によるユニットのライブ用映像



音楽を「色」で感じる



──以降、いつかコンピュータを使う職業につきたいと思うように?

岡村●特にそういうわけではなかったのですが、ずっと興味を抱いて触っていました。モノ作りをしながら遊ぶという感覚。小学生の頃は漠然と「漫画家になりたい」と思っていましたが、コンピュータを手に入れてからはもっと多角的にやりたいという気持ちが大きくなった。それはいまと変わってないですね。コンピュータが中心で、そこで表現をしながらという感じです。

──高校進学のときは?

岡村●中学校のときに日本大学豊山に入学して、高校はエスカレーターだったんです。大学も日大は芸術学部があるから、それがいいなと思ってて。その中に映画や音楽などの学科がありますが、まだどの学科に行くかは決めてなかった。予備校でデッサンの勉強したり、ピアノの練習や作曲もしてたし、コマ録りでアニメ作ったり、いろんなことに興味があったんですが、最も興味があって得意だった美術学科に進みました。

──憧れの人とかいました?

岡村●ちょうどその頃、YMOとかのジャケットやビジュアルで奥村靫正さんや井上嗣也さん、立花ハジメさんがやっている仕事を見て「面白そうだな」と。で、テイトウワさんが坂本龍一さんと一緒に音楽やりたかったけど、まず美術的なアプローチで近づいて……という話をどこかで読んで「そういう戦略もいいな」と。とても音楽で坂本さんや細野晴臣さんに太刀打ちすることはできないけれど、自分の得意なジャンルだったら何かできるんじゃないかな……と。

──音楽の興味は、やっぱりテクノポップとか。

岡村●ですね。というか、生ドラムの音楽が全然聴けなくて、打ち込みというかゲーム・ミュージックしか聞いてなかった。ゲーム・ミュージックにいろんな要素が詰まっている感じがしていたんです。テレビから聞こえる音楽が全部同じようなテイストに感じて興味が持てなくて、特にロックは「茶色しかない」ってイメージがあって。もっといろんな色のある音楽が聞きたいなと思っていました。

──音を「色」で感じていたんですね。

岡村●はい。生ドラムを聴けるようになったのはYMOの後、JAPANとかトーキングヘッズとかニューウェイブの音楽を聴くようになってからでした。やっと好きなドラムもあるな、と。80年代のドラムってリバーブが多くて、音像が曇っていて好きになれなかった。でも、ニューウェイブは割とチャキチャキとしてて、こういう音だったら聞けるな……と。メロディとかじゃなくて、響きのほうが気になっていたんですね。


次週、第2話は「大学入学、そして就職」を掲載します。

(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)


岡村浩志さん

[プロフィール]

おかむら・ひろし●1975年東京都生まれ。日本大学芸術学部美術学科卒業後、IMJに入社。97年に「Ages5&up」として活動開始。デザイン、プログラム、映像、音楽など、知的玩具のようなひねりと分かりやすさ、対象年齢5歳以上を基本に作品を展開している。ロッテルダム国際映画祭への出品の他、銀座「CHANEL」アニメーション、携帯Webサイト「THE END」参加など。http://www.ages-five-and-up.com/




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