第3話 自社サイト制作からクライアント… | デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-
【サイトリニューアル!】新サイトはこちらMdNについて
転職はゴールではない 3年目の壁、5年目の転機

“仕事の壁”は誰にでもやってきます。そんなとき、ほかのみんなは、どうしているのでしょうか? このコーナーでは、今まさに壁を乗り越えようとしている人、乗り越えて一歩先に進んだ人など、クリエイティブ業界でがんばる仲間たちが登場。これまでの失敗談・成功談や現在の課題、そして将来像を語ります。今の仕事に前向きに取り組み、階段を一段登るためのヒントが得られるはずです!


第13回 株式会社ビジネス・アーキテクツ 齋藤健太郎さんの場合


株式会社ビジネス・アーキテクツでプロジェクト・マネージャーのリーダーをつとめる齋藤健太郎さん。子どもの頃からパソコンに親しんではいたものの、いざ社会に出るにあたっては二転三転。当初はゲーム業界を目指すもうまくいかず、しばらくはフリーターへの道を進むことに。その後インターネットがブームとなった時代背景もあり、Web制作業界に入る。現在は多くの案件にプロジェクト・マネージャーとして関わりながら、リーダーとしてもさまざまなところに目を配る日々。そんな彼に、これまでの軌跡、そして現在、未来の仕事について、詳しくお話を伺ってみました。

[プロフィール]
さいとう・けんたろう●1974年、東京生まれ。高校を卒業後、浪人中に思い立って進学をやめ、就職を決意。とはいえ、なかなか思うように進まず、いくつかのアルバイトなどを経たのち、小規模な制作会社に「ホームページ作成補助」のアルバイトとして入社。正社員登用後、2000年に新設のWeb制作部門に異動し、初めて「クライアントのための」Web制作業務に関わることになる。2003年、より広い視野でWeb制作に関わるため、ビジネス・アーキテクツに転職。現在は企業Webサイトのリニューアルや戦略策定などの案件にプロジェクト・マネージャーとして関わるほか、プロジェクト・マネージャー・チームのリーダーとしても活躍中。
http://www.b-architects.com/


第3話 自社サイト制作からクライアント受注制作へ

──飲食店などでのアルバイトに区切りをつけ、企業のプロモーション支援全般を行う制作会社に入社した齋藤さん。当時おいくつだったのですか?
齋藤●ちょうど23歳で、最初はアルバイトからでした。その会社は企業のプロモーション活動全般の支援が主な業務だったのですが、その他に自社で書籍を出版していて、その書籍のプロモーションのためのサイト運営をしたり、他社が運営する情報サイトに掲載するニュース記事を編集したりしていました。ちょうどインターネットが普及していく時代で、まだ会社にネットに詳しい人間が少なかった頃なので、仕事以外でもインターネット関連の話があると、その話が僕のところに回ってきたりすることも。今思うとそれほど深い知識がなくても、手探りで何とかやりくりしながら仕事を回していましたし、そういう時代だったのだと思います。

──入社した年が1997年。まだホームページを持っていない企業もたくさんあるような時代でしたね。
齋藤
●そうですね。その会社は会社案内やセールスキットの制作、展示会などへの出展支援などが主な業務だったのですが、そうこうしているうちに、クライアントから「Webサイトを作りたい」という要望がたくさん来るようになり、2000年にWebサイト制作専門の部署が新設され、僕はその部署に異動することになりました。僕にとってもその異動はありがたい話でした。もともとそういう仕事がしたかったですし、いつの間にかWebディレクターという肩書きもついたりしていて(笑)。


──どんな企業のWebサイトを作っていたのですか?
齋藤●もともとその会社は外資系ソフトウェアベンダーのクライアントが多くて、そういった会社のサイトが主でした。扱っている商品のほとんどがB to Bのソフトウェアやサービスだったので馴染みの薄いものが多く、それを理解しながら作るのが大変でしたね。それと当然ですが、ちゃんしたワークフローなんてありませんでしたし、Web専門の営業もいなかったので、社長と上司と3人で提案資料や見積りを考えたり、仕様書を作ったりと、手探りで「サイト制作」という仕事をやっていました。ただ、レベルはともかく、やっていること自体は、今とほとんど変わらないと思います。


──その会社には6年ほどいらっしゃったわけですが、次の転職のきっかけは何だったのでしょうか。

齋藤●世の中ではインターネットというものが徐々に浸透してきて、企業のサイトも単なる会社案内から、より効果的で積極的な活用をしていくように変化していたと思うのですが、当時のクライアントの多くはWebにかけられる予算が少なかったり、米国本社の意向が強く、サイトでできることの自由度が少なかったりして……結果としてクライアントが違っても似たり寄ったりのサイトを作ることが多かったんですね。それに加えて会社自体の経営も不安定になってきて、行き詰まり感を感じていたことが大きかったと思います。ちょうどそれが20代の後半、30歳を目前にした頃で、会社に残るのか辞めるのか、辞めたとしてWeb関連の仕事を続けるのか、別の仕事に就くのか……いろいろと考えました。

──Web関連の仕事を辞めるということも考慮されたのですか。
齋藤●そうですね。その頃、Web制作という業態、この仕事が同じような形で続くとは思っていなくて。淘汰もあるだろうし、他の業界とまぜこぜになったり……少なくとも「Web制作」というカテゴリが単独で生き残ることはないだろうと思っていました。とはいえ、すぱっと切り捨てられるかというと、そうでもなくて、Web制作という仕事には愛着がありました。また、その会社での経験がWeb制作のすべてではないだろうという思いもあり、もっとレベルの高い、視野の広い会社でWeb制作をやってみて、それからもう一度進路について考えても遅くはないだろうということで、転職活動を始めました。

──そして、現在の会社「ビジネス・アーキテクツ」に入社されるわけですね。
齋藤●はい。僕の場合、2000年以降はディレクション業務をずっとやってきていたので「Webディレクター」という職種で転職先を探していたのですが、ビジネス・アーキテクツではそんな職種では募集しておらず、どうも「プロジェクトマネジャー」というのがそれっぽいということで(笑)応募してみたら、何とか採用されました。

──前の会社と比べて、ビジネス・アーキテクツはいかがでしたか。
齋藤●最初に感じたのは「やっぱりWeb制作専門の会社なんだ」ということですね。前の会社では、Web関係の人間は10人もいませんでしたから、規模が格段に違いました。ただ、そういう規模などは表面的な話で、実際にプロジェクトに参加していくうちに、仕事の進め方やプロジェクトに対する「深さ」みたいなものが全然違うなと感じました。情報共有の仕方や各ドキュメントの精度……たとえば、弊社での情報共有は基本的にメールベースなんですが、それは顔をあわせてのミーティングを否定しているわけではなくて、記録に残すことで直接話をした相手だけでなく、他のメンバーとも共有したり、後からプロジェクトに参加したメンバーが自由に参照できる環境を作っているわけです。最初は、そういった一つひとつの仕事のやり方はもちろん、メンバー全員のストイックな姿勢に、ただ者ではない感じをひしひしと感じながら、必死で仕事をしていたのを覚えています。

(取材・文:草野恵子  撮影:谷本夏)


株式会社ビジネス・アーキテクツ
http://www.b-architects.com/
顧客企業の事業を支援するコミュニケーション戦略を提案・実施する国内最大規模のWebデザイン企業。顧客企業の経営課題を的確に捉え最新の情報技術を活用し、デザインという切り口から多面的なサービスを提供することにより、大企業の新事業立ち上げや事業の再編・再構築を支援。制作したWebサイトを通じて国内外のアワードを多数受賞している。


ソフトバンクテレコム株式会社 コーポレートサイト

http://www.softbanktelecom.co.jp/ja/

森ビル株式会社 MORI LIVING

http://www.moriliving.com/

プジョー・シトロエン・ジャポン株式会社 プジョー オーナー&ファン サイト

http://www.leclubpeugeot.jp/

次週は「第4話 自分がどうありたいのか、現状を把握すること」についてお届けします。



twitter facebook このエントリーをはてなブックマークに追加 RSS
【サイトリニューアル!】新サイトはこちらMdNについて

この連載のすべての記事

アクセスランキング

8.30-9.5

MdN BOOKS|デザインの本

Pick upコンテンツ

現在