まるでワイン!? 寝かすほどに深みが増す、墨の世界 第四回/ならや本舗 〜墨編〜 | デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-

まるでワイン!? 寝かすほどに深みが増す、墨の世界 第四回/ならや本舗 〜墨編〜

2018.9.19 WED

似て非なる画材、この差って何?
あべちゃんのサブカル画材屋 紀行


まるでワイン!? 寝かすほど深みをます墨の世界
第四回/ならや本舗 〜墨編〜

都内近郊に点在する画材や文具の専門店をめぐる連載企画。大型店ではカバーしきれないマニアックな商品と知識を求め、イラストレーター兼ライターの筆者が専門店に潜入します。今回訪れたのは、東京・五反田の書道用具店「ならや本舗」。どうやら良い墨は、年を重ねるごとに色に深みが出るという不思議な道具のようです。ならや本舗で、墨の魅力にどっぷりと浸かります!
(取材・文・イラスト:阿部愛美)

<<< 第一回目「東京鳩居堂」〜筆編〜
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経年変化によって色に深みが増す、墨の魅力
ここ数ヶ月、ずっと欲しかった画材がある。

「墨(すみ)」だ。

水を入れて硯の上で磨(す)って使う、あの固形の墨。書道用品の4つの命・文房四宝(硯・墨・紙・筆)のひとつである。書の嗜みがない私だが、以前取材に伺った銀座・鳩居堂で墨の奥深さを知ってしまったのである。

筆者を惹き付けたのは、その墨の性質だ。固形墨は、煤(すす)と膠(にかわ)を混ぜてつくられるそうだが、できたての墨は粘り気があり墨色(ぼくしょく)も冴えないという。墨の真価を発揮するのは数年、数十年後。古いものは古墨(こぼく)※と呼ばれ、その色味はなんともいえず素晴らしいそうだ。

……まるで、ワインの話でもしているようで自分でもおかしい。

水彩絵具、岩絵具、油絵の具……筆を使って彩色するものは数あれど、年を経るごとに劣化どころか良くなるものなんて、気にならないわけがない!

筆者も、墨の変化を楽しみたい……! と、 駆け込んだのは、東京・五反田にある書道用具専門店「ならや本舗」だ。
店内にはところ狭しと書道用具が並ぶ

店内にはところ狭しと書道用具が並ぶ

墨だけでなく、筆などの文房四宝が充実

墨だけでなく、筆などの文房四宝が充実

店の入り口すぐにある墨コーナーの一部。大きさや値段にはかなり幅があるため、筆者のような初心者は、まずは安価なものからトライ

店の入り口すぐにある墨コーナーの一部。大きさや値段にはかなり幅があるため、筆者のような初心者は、まずは安価なものからトライ

勢い余って店に乗り込んだが、墨が並ぶ棚で悩んでしまった。というのも、価格はかなり幅ひろく、その上素人から見ればどれも「黒い固まり」に見える。

しまった。違いがさっぱり分からない。

そんな墨シロウトの私を見かねて、お店の奥から声をかけてくれたのは、ならや本舗の代表取締役会長・南八郎(みなみ・はちろう)さん。ご実家である奈良の墨屋「製墨 南松園(なんしょうえん)」では、大正11年から今日に至るまで固形墨一筋でつくり続けてきた。いわば、南さんが創業したならや本舗は、墨を出発点としている書道用具店なのだ。

東京の地で店を構えて46年、墨の大ベテランにその奥深さを伺った。
※古墨……唐墨(中国で作られた墨)は清時代までに、和墨(日本でつくられた墨)は江戸時代までにつくられたものは古墨と呼ばれる。大変貴重なもの

百聞は一見に如かず。古墨の魅力を体験

古墨は大変な貴重品。おいそれと目にしたり買えるようなものではないが、どうしてもその色が見たい。すると、面白いものを見せてくれるという。

「まず、墨を磨ってみましょう。これは、つくられてから4、5年程度の新しいものです。ここに、『汲古(きゅうこ)』という古い煤を加えてみます。これは採墨されてから80年程たったもので、混ぜることでまるで古墨のような味わいが楽しめるんですよ」と、南さん。

汲古には膠は含まれていないため、墨ではなく煤。単体で使用することはできないが、墨と併用することで使用することができるのだという。

その味わいはまるで古墨。
「5年モノ+80年モノ÷2=50年の味わい」というわけか。

「墨を磨るコツはとにかく力を抜くこと。墨色の濃さは、磨る時の力加減で決めるものじゃない。ほんの少しの水で濃く磨ってから後で薄めていくんです。そうすると、発墨(はつぼく/墨の発色)が良くなりますから」

硯にほんの1滴水を垂らし、するする……と墨をする南さん

硯にほんの1滴水を垂らし、するする……と墨をする南さん

少ない摩擦で墨を磨ることができる、人工ダイヤモンドでつくられた硯。摩擦を抑えることで墨の粒子が分散し、紙に書いたときののびが良くなるのだとか

少ない摩擦で墨を磨ることができる、人工ダイヤモンドでつくられた硯。摩擦を抑えることで墨の粒子が分散し、紙に書いたときののびが良くなるのだとか

墨の濃さ、水の量で表現力が大きく変化する。

墨の濃さ、水の量で表現力が大きく変化する。

そういって、磨った墨に水を足して墨を薄めると、用意していた和紙にするするっと筆を走らせる。紙にじわ〜っと墨の色が広がっていく……。

黒でもない、ただの灰色でもない。

これが墨の色か!

おお、と感動していると不思議なことに気がつく。
書いた線が浮きあがってくるのだ。

画像左上と中央部分で、線の重なり合う部分に上下があることが分かるだろうか。先に書いた線が浮き出ている。不思議……!

画像左上と中央部分で、線の重なり合う部分に上下があることが分かるだろうか。先に書いた線が浮き出ている。不思議……!

「基線(きせん)といって、線が重なった部分が一緒にならず浮き上がって来る。まるで書き順が逆になったみたいでしょう。古墨はこうなりやすいのですが、汲古を入れることで古墨調になったというわけです」

文字に立体感が生まれている。す、すごい……!

南さんの書の力あっての表現力には違いないが、まさか墨の色だけでこんなに表情豊かになるとは思わなかった。墨の世界は予想以上に奥深い……!!

墨の長い歴史が生んだ、松煙墨と油煙墨
墨の歴史はとても古い。

その起源は、中国の殷の時代(紀元前1500年頃)まで遡る。墨には二つの種類があるが、そのうちの一つ「松煙墨(しょうえんぼく)」が元祖といわれている。

「松煙墨と油煙墨の違いの一つは、材料の煤にあります。松煙墨は、松の木を燃やした時に発生する煤を使う。松煙墨のなかでも、青みがかった墨色の『青墨(せいぼく)』は、水墨画や絵はがきなどを描く際に好まれています。青く染められているものもありますが、本来は古くなることで青墨化(墨が青くなること)が進むものなんです。良いものは、4、50年置いておくとどんどん良くなる」と、南さん。

漢の時代に入り紙が発明されると墨の需要が急速に高まり、現在の墨の原形が誕生。そして、文献上では推古天皇18年(西暦610年)に日本に伝来したとされている。今から1400年以上前の話だ。

一方、もうひとつの墨・油煙墨が生まれたのは日本の室町時代。明徳・応永の頃に奈良興福寺の二諦坊(にたいぼう)で国内初めての固形墨が作られたという。この油煙墨は松煙墨の品質を遥かに上回っており、奈良では地場産業として墨づくりが発達した。

「油煙墨に使われる煤は、“油”を燃やして採墨されます。松煙墨は和紙に煤を付着させますが、油煙墨の場合は土器を用います。使う油は、菜種油や、桐油、胡麻油などがあり、油の種類によっても墨の色は変わってくるんです」
油を燃やして作られる油煙墨と、松を直接燃やして作られる松煙墨。 固形墨の元祖・松煙墨は、現在ほとんど手に入らなくなったが、ならや本舗では変わらず取り扱っている

油を燃やして作られる油煙墨と、松を直接燃やして作られる松煙墨。
固形墨の元祖・松煙墨は、現在ほとんど手に入らなくなったが、ならや本舗では変わらず取り扱っている

油煙墨は松煙墨に比べると煤の粒子が細かく均一なため、 艶やかな光沢と深みがあるといわれている。現在、販売されている固形墨のほとんどは油煙墨となったが、ならや本舗では昭和初期に作られた松煙(煤)を使用して、製造・販売している。

どちらにしようか、迷ってしまう。

「どの墨を使うかということはもちろん、使う硯、紙、使う水によっても墨色は変わる。磨り方や書くスピードも重要です。そこが難しくもあり、楽しいところですね。いろいろな要素によって色合いが変化する墨の色を、言葉で表現するのは難しいよね」

「七色に光る」と言われるほど、墨は多彩な表現を見せるのだ。

|墨にまつわるet cetera(エトセトラ)|

ならや本舗ではネット注文にも対応。お客さんのなかには外国人も多いという。
「一番多いのはスイスからの注文だね。あとは、イタリア、ドイツ、ロシアかな」と、あまりに意外なお答え。書道と水墨画はヨーロッパでの人気が高く、毎年のように書道用具や表装(書画を掛け軸などに仕立てること)の注文が入るのだとか。
「日本で開催された『イタリア書道展』に行って、作家の方たちと直接話をしたことがあります。皆さん趣味でやられているんだけど、IT関係や、医者、エンジニアといった職業が多かった。感性がすごくよくて、我々が感心するような作品ばかりでしたよ」。なかには「空海の風信帖(ふうしんじょう/空海が最澄に当てた手紙)」を研究している人もいるとか。

外国人もハマる世界。うーん、奥深い……!!


墨はどのように作られているのか?
さて、煤と膠だけでどのように墨は作られるのだろうか。

行程は、大きく分けて4つだ。

1、煤をとる
2、煤と膠と混ぜる
3、型に入れて成形する
4、乾燥させる

こう見ると単純に思えるが、その作業は、熟練した技術と根気が求められる。その上、店頭に並ぶまで3〜5年(ならや本舗は7〜8年程)かかるというから驚きだ。

「実際に見たこと、ありますか?」

と、出して頂いたのは、少し高さがあるお皿と、取っ手のついたフタ。そして捩じり上げられた紐のようなもの。筆者は初めて目にする。油煙墨をつくる土器である。
手前の土器に乗っているものは、「灯芯(とうしん)」。蝋燭でいえば芯にあたる部分だが、いぐさから作られている。とても特殊な編み方でつくられている

手前の土器に乗っているものは、「灯芯(とうしん)」。蝋燭でいえば芯にあたる部分だが、いぐさから作られている。とても特殊な編み方でつくられている

「土器に油を入れて灯芯に火を灯します。上蓋(うわぶた)を少し上の方に設置しておくと、フタの裏側に煤がたまるんだね。炎は上蓋の一部に当たるようにして、時間の経過とともに少しずつ回転させることで、全体に煤を付着させる。この『土器式採煙法』という方法が近代まで広く行なわれてきました」

土器はいくつも並べられ、約30分ごとに6回転させる。煤がいっぱいになればほうきで煤を払って採煤し、また繰り返す。

「炎を小さくあげる場合と、大きくあげる場合がある。炎が小さいと採煤するのに時間がかかるけれど、煤の粒子は細かくなる。すると、墨にした時にのびが良くなるんですよ」

最近は煤を取れる人が少なくなってきてしまったね、と残念そうな南さん。

とても根気のいる大変な仕事なのだ。

墨の品質を大きく左右する、膠(にかわ)とは
墨を構成するもうひとつの素材、にかわについても教えてもらおう。

膠といえば、動物や魚の皮の部分から取り出したタンパク質・コラーゲンだ。絵具を紙に接着するためなどに使われることは、前回の喜屋さんで伺ったばかりだ。

「膠を湯煎で溶かして採取した煤と一緒に練りあげます。膠には、牛やロバ、鹿、などが使われますね。透明度が高い膠はハリがあって強いけれど、そればかりでは墨が固くなってしまう。柔らかい膠も一緒に混ぜることで使い勝手を良くしていきます。この調合は門外不出。墨づくりの命です」
膠は「墨の善し悪しは膠で決まる」といわれるほど、墨の品質を左右する大きな要素だ。

というのも、年を経るごとに膠の粘度が低下していくからだ。

「我々は、墨が “枯れる” という言い方をします。膠のタンパク質が分解されることで、墨の伸びと分散や接着力のバランスのとれた良い状態へと変化します。ただ、どんなものでもいいわけじゃない。質のよい材料と優れた技術で作られたものだから経年変化が起きるんです。たとえばこれ。こんな上等な墨にはまず出会えないよ」
三つ葉葵の紋が入ったこの墨は、なんと徳川吉宗の時代に作られたもの

三つ葉葵の紋が入ったこの墨は、なんと徳川吉宗の時代に作られたもの

木材のように細かい線が入っている「糸目(いとめ)」と呼ばれる墨。このように細かい凹凸がしっかりと残っているのは良質の証

木材のように細かい線が入っている「糸目(いとめ)」と呼ばれる墨。このように細かい凹凸がしっかりと残っているのは良質の証

奥が松煙墨で、手前が上記の油煙墨

奥が松煙墨で、手前が上記の油煙墨

松煙墨(奥)と比べると磨口(すりくち/墨を磨った面)の差は歴然。鏡のように光っている。

墨の善し悪しを判断する時は「太陽の光の下で、磨口を見ろ」といわれるのだとか。すべての可視光が含まれる太陽の光源下で観察すると、良い墨は「紫光」を発するのだそうだ。

練られた墨は柔らかいうちに型に入れて成形され、灰の中で乾燥させる。しめった灰から乾燥した灰に、徐々に替えていく「灰替え」をすることで、急激な乾燥による割れを防ぐ。毎日灰替えを行い、空気乾燥させる。その間、小さいものなら1〜3ヶ月。大きい墨なら3~5ヶ月もの日数を要する。

その後、磨きなどの行程を経て、やっと店頭に並ぶのだ。

煤と膠を練り合わせた後、成形に使われる木型。梨の木から作られており、装飾が施されている。乾燥後の墨を入れて比較してみると、乾燥していかに体積が減っているかがよく分かる

煤と膠を練り合わせた後、成形に使われる木型。梨の木から作られており、装飾が施されている。乾燥後の墨を入れて比較してみると、乾燥していかに体積が減っているかがよく分かる


よい作品のためには、よい道具が必要
南さんの優しいお人柄と深い知識に感激しっぱなしの筆者だったが、同時にその向上心と探究心にも驚かれる。

南さんは、新しい商品の開発にも積極的に取り組んでおり、店にはオリジナル商品がたくさん並ぶ。冒頭の「汲古」や、筆についた墨を落とすイオン再生液「蒼龍泉(そうりゅうせん)」、墨を磨る際の摩擦を抑えることで墨ののびを良くする人工ダイヤのモンド硯など。さらには、新しい商品開発に向けて研究に取り組んでいるのだ、とこっそり教えてくれた。
ならや本舗オリジナルの洗浄液「蒼龍泉」。筆や硯を痛めることなく汚れを落とす

ならや本舗オリジナルの洗浄液「蒼龍泉」。筆や硯を痛めることなく汚れを落とす

「汲古」は煤だけでできているため、そのままでは紙に定着しない。そのため、他の墨に合わせて使うほか、セットのイオン水と合わせることで手軽に古墨調の味わいが楽しめる

「汲古」は煤だけでできているため、そのままでは紙に定着しない。そのため、他の墨に合わせて使うほか、セットのイオン水と合わせることで手軽に古墨調の味わいが楽しめる

人工ダイヤモンドがちりばめられた硯は、墨を磨る際の摩擦や熱を抑えることができる優れもの。優しい力でも早く磨ることができる

人工ダイヤモンドがちりばめられた硯は、墨を磨る際の摩擦や熱を抑えることができる優れもの。優しい力でも早く磨ることができる

既存の道具だけで満足せず、墨のポテンシャルを引き出す新たな道を生み出している。幅広い知識と経験が、墨の世界を広げているようだ。

墨の表現力がこんなに幅広いなんて、全然知らなかった。

「墨の表現は、書く時の気持ちや感情によっても仕上がりが左右されます。そこに、自分の心が写し出されるような面白さがありますね。それは同時に、道具の面白さでもあると思います。書道や水墨画だけでなく、なにかを創造する時に、自分の技術を磨くことはとても大切なこと。けれど、それと同じくらい良い道具を理解して使いこなすことで、良い作品は生まれるんじゃないかな」と南さん。

道具のポテンシャルを最大限に引き出して、その組み合わせを考えるためには深い知識と経験、そして技術が必要だ。一方で、己の技術を最大限に発揮してくれるのは、良い道具なのである。

どちらが欠けてもいけない、と教わった気がした。
最後に、墨色が分かりやすく手軽な小さな白の硯とオススメの油煙墨を購入した。

見た目は黒だが、これから出る色は、何色なんだろう。そして、10年後、20年後が待ち遠しい。
選んで頂いた油煙墨の「糸目(いとめ)<写真中央>」と「長楽萬年(ちょうらくまんねん)<写真右>」。

選んで頂いた油煙墨の「糸目(いとめ)<写真中央>」と「長楽萬年(ちょうらくまんねん)<写真右>」。

●ならや本舗
ならや本舗の始まりは、奈良の墨屋「南松園」。南八郎さんのお父様とおじいさまが奈良で大正11年に創業した。南八郎さんは、南松園の墨をはじめとする書道用品を営業車で全国販売。昭和47年に今のTOCに店を構えた。
ならや本舗が入居する「東京五反田TOCビル(東京卸売りセンター)」は、小売店舗や飲食店でひしめく複合施設。親切な店員さんが優しく案内してくれるので、初心者も肩肘をはらず書道用品の魅力に触れてみたい。

住所/東京都品川区西五反田7-22-17 東京五反田TOCビル3階
アクセス/JR山手線・都営浅草線「五反田駅」より徒歩8分、東急池上線「大崎広小路駅」より徒歩5分、東急目黒線「不動前駅」より徒歩6分
営業時間/平日・土曜日 10:00〜18:00
       日曜・祝日 8月11日〜16日 11:00〜17:00
休業日/5月 第4火・水曜日、12月30日〜1月5日
TEL/03-3494-2905
URL http://www.naraya-honpo.com/shop/

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