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ゴッホの絵画は暗かった?~ 暗から明へ。ゴッホはいかにしてゴッホになったのか~

2019.11.14 THU

ゴッホの絵画は暗かった?~ 暗から明へ。ゴッホはいかにしてゴッホになったのか~
上野の森美術館で、ポスト印象派(後期印象派)を代表する画家フィンセント・ファン・ゴッホの画業をたどる「ゴッホ展」が開催されている。ゴッホというと、精神病を患い、自ら耳を切り落としたエピソードなどが有名だが、彼の画家としての人生はどのようなものだったのだろうか。本展ではゴッホの原点ともいうべきオランダ、ハーグ時代の作品から、鮮やかな色彩と力強い筆致を持つゴッホ流の絵画が確立するまでの流れを、ゴッホ自身が残した手紙と共に追っていく。

2019年10月25日
(取材・文/編集部)
▷ 「暗」から「明」へ、そしてまぎれもないゴッホの絵画へ
フィンセント・ファン・ゴッホは、強烈な色彩とうねるような筆のタッチで多くのファンを持つポスト印象派の画家である。本展でも、7年ぶりの来日となる『糸杉』をはじめ、『麦畑』『オリーヴを摘む人々』など、晩年の重要なテーマを扱った作品が一堂に会し、“これぞゴッホ!”という画家のエッセンスが詰まった迫力の作品群を見ることができる。
フィンセント・ファン・ゴッホ『糸杉』 1889年6月 メトロポリタン美術館所蔵 Image copyright © The Metropolitan Museum of Art. Image source: Art Resource, NY

フィンセント・ファン・ゴッホ『糸杉』 1889年6月 メトロポリタン美術館所蔵
Image copyright © The Metropolitan Museum of Art.
Image source: Art Resource, NY

しかし、ゴッホの描く絵画は、初めから鮮やかな色彩に満ちていたわけではない。画家になる前からゴッホの心をとらえていたのは、農民画家として知られるジャン=フランソワ・ミレー。画家になる決意をしたゴッホは、別名“灰色派”と呼ばれるオランダのハーグ派の画家たちとの交流を通して絵画の基礎を学んでおり、ゴッホ自身もくすんだ色調と写実的なタッチの絵画を描いている。

ミレーはハーグ派に大きな影響を与えたフランスのバルビゾン派を代表する画家であるから、この頃のゴッホの好みは“ゴッホ”の名前から我々がイメージするものとはかけ離れた形ではあるが、おおむね一貫していたと考えてよい。ゴッホが画家として活動した27歳~37歳までのおよそ10年のうち、6年近くは暗く写実的な絵画を描いていたことになる。
オランダ時代の絵画 右:フィンセント・ファン・ゴッホ『器と洋ナシのある静物』 1885年 ユトレヒト中央美術館所蔵 左:フィンセント・ファン・ゴッホ『鳥の巣のある静物』 1885年10月 ハーグ美術館所蔵

オランダ時代の絵画
右:フィンセント・ファン・ゴッホ『器と洋ナシのある静物』 1885年 ユトレヒト中央美術館所蔵
左:フィンセント・ファン・ゴッホ『鳥の巣のある静物』 1885年10月 ハーグ美術館所蔵

ゴッホとの関わりにおいて、「ハーグ派」の作品が大きく取り上げられるケースは珍しい。しかし、本展では敬愛するミレーの絵を模写した作品から、農民たちを描いたデッサン、油彩の風景画、静物画、人物画、さらにはゴッホが教えを受けたアントン・マウフェらハーグ派の画家達の作品も広く展示し、画家としてのゴッホを導いた“ハーグ派”の全貌を展覧することができる。

初期のデッサンの中には、すこし稚拙に見える作品も混ざっており、正式な美術教育を受けたことがなかったゴッホが、模写やハーグ派の画家達の教えのもと技術を高めていく過程がみられるのも貴重である。

「第1部 ハーグ派に導かれて」の展示室の最後を飾っているのは、ゴッホ自身が初めて売り物になると自負した油彩画『ジャガイモを食べる人々』のリトグラフ(版画)。この作品の完成に大きな自信を持ったゴッホは、そのイメージを版画に起こして、家族や友人に送っているが、友人であり画家のファン・ラッパルトには酷評されてしまったようだ。
フィンセント・ファン・ゴッホ『ジャガイモを食べる人々』(油彩)1885年4-5年 ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)所蔵 ※「ジャガイモを食べる人々」の油彩画はゴッホ展には展示されていません。

フィンセント・ファン・ゴッホ『ジャガイモを食べる人々』(油彩)1885年4-5年 ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)所蔵
※「ジャガイモを食べる人々」の油彩画はゴッホ展には展示されていません。

フィンセント・ファン・ゴッホ『ジャガイモを食べる人々』(リトグラフ)1885年4-5年 ハーグ美術館所蔵

フィンセント・ファン・ゴッホ『ジャガイモを食べる人々』(リトグラフ)1885年4-5年 ハーグ美術館所蔵

そしてこの後、印象派の絵画と出会い、ゴッホの絵画は劇的な変化をとげる。ミレーを敬愛し農民画家を志したオランダ時代のゴッホ、パリで印象派と出会い鮮やかな色彩を手に入れたゴッホ、そして、精神病と戦いながら独自の画風を確立していったゴッホと、画家の様々な面が見られるのが本展の最大の魅力である。
▷ 「ゴッホ展」もう一つの見どころ ~ 手紙とともに辿るゴッホの人生

本展のもう一つの特徴は、残された手紙の中から、絵を描いたときの発見や感動、目指していたものなどを読み解き、その時の画家の心境を追体験するかのように辿っていく点だ。

特に、良き相談相手であり、経済的な支えであった4つ下の弟テオドロス(愛称テオ)の存在は大きく、ゴッホは、その日描いた絵のことや、興味をひかれた物事、芸術や文化について、影響を受けた画家達のことなど、ありとあらゆることを書き記して弟テオに送っている。かなり筆まめだったようで、ゴッホの手紙は、現在確認されているだけでも820通。そのうち658通は弟テオに向けたものである。
この手紙(言葉)と絵画を合わせて見ていく展示が極めて効果的で、ゴッホの絵画にかけたその時々の思いが、手にとるように伝わってくる。例えば「農民画家」を目指していたオランダ時代のゴッホは、大地に働く農民たちに目を向け、彼らの暮らしを丁寧に描くことに専念している。
作業中の農民の姿を描くこと、それこそが人物像の何たるかだよ。
Showing the FIGURE OF THE PEASANT IN ACTION, you see that's a figure is.
1885年7月14日頃 弟テオへの手紙より(ニューネン)
左:フィンセント・ファン・ゴッホ『麦畑で屈む女』 1885年 ハーグ美術館所蔵 右:フィンセント・ファン・ゴッホ『ジャガイモの皮を剥くシーン』 1883年 ハーグ美術館所蔵

左:フィンセント・ファン・ゴッホ『麦畑で屈む女』 1885年 ハーグ美術館所蔵
右:フィンセント・ファン・ゴッホ『ジャガイモの皮を剥くシーン』 1883年 ハーグ美術館所蔵

そしてパリに出て、印象派との出会いを果たしたゴッホ。それまで落ち着いた色調の絵画に馴染んできたゴッホにとって、モネやルノワール、ピサロ、シスレーらの躍動的な絵画は、さぞかし衝撃的だったことだろう。この頃の言葉には、印象派の絵画に出会った感動と、その技法を自らの絵画に取り入れようという意欲が表れている。
あぁ、クロード・モネが風景を描くように人物を描かなければ。
Ah, to paint figures like Claude Monet paints landscapes.
1889年5月3日 弟テオへの手紙より(アルル)
左:クロード・モネ『花咲く林檎の樹』 1873年以前(?) モナコ王宮コレクション 右:クロード・モネ『クールブヴォワのセーヌ河岸』 1878年 モナコ王宮コレクション

左:クロード・モネ『花咲く林檎の樹』 1873年以前(?) モナコ王宮コレクション
右:クロード・モネ『クールブヴォワのセーヌ河岸』 1878年 モナコ王宮コレクション

南仏アルルの明るい光は、パリで得た明るい色彩を試すことができるまたとない機会だった。手紙の言葉からも創作意欲に駆り立てられていた様子がよく伝わってくる。
この一週間はずっと小麦畑の中にいて、太陽にさらされながらとにかく仕事をしたよ。
I've had a week of concentrated hard work in the wheatfields right out in the sun.
1888年6月21日 弟テオへの手紙より(アルル)
ゴッホが印象派の絵画から取り入れたのは鮮やかな色彩だけではない。筆触分割と言われる印象派の点描画法にも大きな影響を受けており、わずか2年のパリ滞在の間に、ゴッホの絵画は筆触においても大きな変化を遂げている。
後半の展示「第2部 印象派に学ぶ」では、変化していくゴッホの絵とともに、彼に影響を与えたピサロ、セザンヌ、シスレー、モネ、ルノワール、ゴーギャン、ポール・シニャックなど印象派、後期印象派の巨匠たちの絵画が一同に会し、約30点の名画を見られるのも見どころの一つとなっている。
左:フィンセント・ファン・ゴッホ『パイプと麦藁帽子の自画像』1887年9-10月 ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)所蔵 右:フィンセント・ファン・ゴッホ『アニエールのヴォワイエ・ダルジャンソン公園の入口』1887年 イスラエル博物館所蔵

左:フィンセント・ファン・ゴッホ『パイプと麦藁帽子の自画像』1887年9-10月 ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)所蔵
右:フィンセント・ファン・ゴッホ『アニエールのヴォワイエ・ダルジャンソン公園の入口』1887年 イスラエル博物館所蔵

▷ 最終章 ~ ゴッホ流の絵画の誕生 ~

印象派の技法を取り入れていったゴッホだが、印象派の一員になったわけではない。手に入れた新たな手法は、自分の描きたいものをより自由に描くための手段に過ぎなかった。その証拠に、パリで印象派の絵画に大きな衝撃を受けたわずか2年後、今度は南仏のアルルに旅立っている。

この頃の作品は、彼の画業の中で最も鮮やかで強烈な色彩を用い、絵具も厚く盛ったものが多い。我々がゴッホの名から想像する絵画は、この南仏アルルやサン=レミの精神療養院で描かれたものがほとんどであろう。ゴッホの代表作として知られる「ひまわり」もこの頃の作品である。まるで画家の情熱がカンヴァスにあふれ出たかのようで、作品においても、絵具が乾かないうちに次の絵具を重ねるなど逸る気持ちが現れている。
左:フィンセント・ファン・ゴッホ『麦畑とポピー』1888年 イスラエル博物館 右:フィンセント・ファン・ゴッホ『麦畑』1888年6月 P.&N.デ・ブール財団所蔵

左:フィンセント・ファン・ゴッホ『麦畑とポピー』1888年 イスラエル博物館
右:フィンセント・ファン・ゴッホ『麦畑』1888年6月 P.&N.デ・ブール財団所蔵

そして精神病の発作を起こし、「耳切り事件」を起こした後の作品はまた異なる段階へと進んでいる。色彩は原色を用いながらもいくぶん落ち着いたトーンになり、あの独特のうねるような筆遣いが表れ始める。「糸杉」や「オリーブ」は晩年のゴッホが繰り返し描いたテーマだ。本展では、ここでもゴッホ自身の手紙の言葉を引用し、独自の題材に挑み続けたゴッホの絵画に対する思いを伝えている。
そうだ、僕は絵に命を懸けた。そのために半ば正気でなくなっている。それも良いだろう。
Ah well, I risk my life for my own work and my reason has half foundered in it - very well -
1890年7月23日 テオへの手紙より(オーヴェール=シュル=オワーズ)
左:フィンセント・ファン・ゴッホ『オリーブを摘む人々』1889年12月 クレラー=ミュラー美術館所蔵 右:フィンセント・ファン・ゴッホ『薔薇』1890年5月 ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵

左:フィンセント・ファン・ゴッホ『オリーブを摘む人々』1889年12月 クレラー=ミュラー美術館所蔵
右:フィンセント・ファン・ゴッホ『薔薇』1890年5月 ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵

ゴッホは極めて多作な画家であり、わずか10年の画業で残した作品の数は、油絵が約850点、素描に至っては約1000点に上る。外出が禁じられていたサン=レミの精神療養院でも中庭を描き、最晩年に主治医のポール・ガシェを頼って転地したオーヴェル=シュル=オワーズでは、一日約1点という驚異的なスピードで制作をつづけたという。しかし、この手紙を書いた僅か数日後にピストル自殺を図り、1890年7月29日、弟テオに見守られて37年の短い生涯を閉じた。


『ゴッホ展』
https://go-go-gogh.jp/
会期:2019年10月11日(金)~2020年1月13日(月・祝)
開館時間:9:30~17:00(金曜、土曜は20:00まで、入場は閉館の30分前まで)
休館日:12/31(火)、1/1(水・祝)
場所:上野の森美術館
問い合せ先:03-5777-8600(ハローダイヤル)
入館料:一般 1,800円、大学・専門学校・高校生 1,600円、中学・小学生 1,000円
読者プレゼント情報

「ゴッホ展」の展覧チケットを、抽選で5組10名様にプレゼントいたします。応募期間は11月13日(水)まで。応募方法は専用ページよりご確認ください。
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