簡素な佇まいに秘められた、硯(すずり)の美学とは 第10回 宝研堂 〜硯編〜(前編) | デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-

簡素な佇まいに秘められた、硯(すずり)の美学とは 第10回 宝研堂 〜硯編〜(前編)

2019.8.23 FRI

似て非なる画材、この差って何?
あべちゃんのサブカル画材屋 紀行


簡素な佇まいに秘められた、硯(すずり)の美学とは
第10回/宝研堂 〜硯編〜(前編)

都内近郊に点在する画材や文具の専門店をめぐる連載企画。大型店ではカバーしきれないマニアックな商品と知識を求めて、イラストレーター&ライターのあべちゃんが、専門店に潜入します。今回訪れたのは、東京・浅草にある書道用具店「宝研堂(ほうけんどう)」。書道に関する様々な用具を取り揃えるだけでなく、都内では唯一、硯の工房をもつ専門店です。文房四宝(筆、墨、紙、硯)のなかでも特にその価値が重んじられ、長い歴史のなかで人々によって愛玩されてきた硯。その魅力とは一体ーー?

(取材・文・イラスト:阿部愛美)


<<< 第一回目「鳩居堂本店」〜筆編〜
<<< 第二回目「伊勢半本店」〜紅(べに)編〜
<<< 第三回目「喜屋」〜岩絵具編〜
<<< 第四回目「ならや本舗」〜墨編〜
<<< 第五回目「うぶけや」 〜はさみ編〜
<<< 第六回目「山形屋紙店舗」 〜和紙編〜
<<< 第七回目「インクスタンド」 〜カラーインク編〜
<<< 第八回目 「ラピアーツ」 〜額縁編〜
<<< 第九回目 「箔座日本橋」 〜金箔編〜
<<< 番外編 「菊屋」 〜左利き用品編〜
>>> 最終回  「岩井つづら店」 〜つづら編〜

文房四宝の王様、硯の魅力を求めて「宝研堂」へ
本連載ではこれまでに、書にまつわる用具「文房四宝(ぶんぼうしほう)」を三つご紹介してきた。文房四宝とは、書道発祥の地・中国で文人に古くから愛されてきた4つの道具のこと。「鳩居堂本店」では筆、 「ならや本舗」では墨、そして「山形屋紙店」では紙について、その魅力について興味深い話をうかがった。

残る最後の一つは、文房四宝の王様ともいわれる硯(すずり)。半永久的に使えることから骨董価値が高く、愛好家も多いという。そこで今回は、浅草に店を構える書道専門店「宝研堂(ほうけんどう)」にお邪魔した。お店を営むのは、硯の製造から修理まで請け負う、製硯師(せいけんし)の青栁貴史(あおやぎ・たかし)さんだ。
青栁貴史さん。“製硯師"の肩書きは、貴史さんの師匠であるお父様が名付けたもの

青栁貴史さん。“製硯師"の肩書きは、貴史さんの師匠であるお父様が名付けたもの

硯を使った経験はあっても、その記憶が小学校での習字の授業やお正月の書き初めで止まっている……、という筆者のような大人は少なくないはずだ。しかし、そんな記憶さえも打ち砕く、青栁さんの一言に衝撃を受ける。

「日本の小学校で使う『お習字セット』に入っている硯では、墨を磨ることはできません」

「えっ!?  じゃあ小学校の時に使ったあの硯は、何のためにあったの……?」そんな疑問を持った人は、本記事必読。1939年創業「宝研堂」の4代目・青栁貴史さんに、硯のあれこれについて話を伺った。

硯は一体何から作られている?

「『お習字セット』に入っている硯の多くは、プラスチック製。そうしたものは、墨をすることができないんです」と、青栁さん。どうして、プラスチックの硯ではダメなのだろうか。

硯のルーツは、遡ること約1500年前。現在の硯の原型となるものが中国で発案された。硯とは本来、石から作られるもの。その産地は中国大陸全土に点在しているものの、地球上の岩石のうち、ごく限られた石だけが硯に加工できる。

日本でも各地で幅広く採石されており、宮城県石巻市の「雄勝石(おがついし)」や山口県宇部市の「赤間石(あかまいし)」、山梨県南巨摩郡の「雨畑石(あまはたいし)」などが代表的な石として知られている。唯一北海道だけが採石地として未開の地だったが、青栁さんと現地の研究者の方が2017年に行った調査によって、硯づくりに向く石が採石できることが分かった。

硯の材料は石、ただ一つ。だからこそ「いい硯の条件は、100パーセント『石』で決まる」と、青栁さんは断言する。

硯の材料となる原石。ずっしりと重い

硯の材料となる原石。ずっしりと重い

「石は、数千年、古いものは1億5000万年くらいの時間をかけて自然のなかで作られます。硯づくりに向く石というのは、大地の変動などによって全方位から圧がかかったもの。硬さは均質ではなく、柔らかいところや硬いところがある。そして石を研ぐことによって、石の柔らかいところが、まるで角栓から脂が出るように抜けてくれます。硬いものは突起のように残るため、墨がよくひっかかってくれるということです」

この突起のようなものは、「鋒鋩(ほうぼう)」と呼ばれるもの。と言っても、硯の表面はつるりとしていて、「本当に突起があるのかな?」と感じるほどミクロな世界の話だ。石によって鋒鋩が粗いものや、細かいもの、混在しているものが存在する。プラスチックの硯には、こうした鋒鋩がない。だから墨がすれないというわけだ。

「のみ」を使って石から削り出される硯の制作工程

つるりとした硯で墨をすることができる理由は、石の鋒鋩だけではない。硯の造形にも墨がすれる秘密が隠されているという。

「硯の表面って平らだと思っていませんか? 機械で製造される現代の硯は平らなものも多いのですが、本来は複雑な三次曲面なんです。例えば、墨堂(ぼくどう)は、わずかにすり鉢状になっています。墨が面ではなく点で接地するからよくすれるし、すった墨は水たまりのようにそこにとどまる。これは、現在の硯の原型が発案された1500年前から受け継がれている造形です」

一見シンプルに見える硯の造形には、先人たちの知恵がたくさん詰まってるのだ。

実際に、石から硯を削り出す様子を見せてくれるという。使う道具は、数種類の「のみ」だ。青栁さんは、石の性格や表情を見極めながら、力加減を調整して石にのみを入れる。
作業工程によって、刃の形状や厚さ、肢の長さが異なるのみを使い分ける

作業工程によって、刃の形状や厚さ、肢の長さが異なるのみを使い分ける

彫刻用の細いのみが収められた道具入れ

彫刻用の細いのみが収められた道具入れ

墨汁をためておく場所として使われてしまっている墨池(ぼくち)だが、本来は墨をするための水をためておく場所

墨汁をためておく場所として使われてしまっている墨池(ぼくち)だが、本来は墨をするための水をためておく場所

石の良さを引き出し、道具としての使い勝手を高めるだけでなく、その造形には長く使える工夫が施されている。

「全体の重心や、手の引っ掛かりに関係する“縁"づくりには、特に注意を払っています。縁は生涯形が変わらず作り手が育てていくだけのところですし、手から落として硯は割れてしまったら終わりですからね。硯は、割らなければ、手入れ次第でずっと使えるもの。1000年前に作られた硯が、いまだに残っていて使われているものもあるんですよ」

石の採石から始めて、四隅の整形、造形まで、小さいものでも約7カ月はかかるという青栁さんの硯づくり。依頼するのはプロの書道家ばかりではなく、美術館に飾るレプリカの制作や、中国からは贈答品として注文が入るそう。その依頼内容は、「明代の硯を、この石で再現して欲しい」、「今は存在しない古硯(こけん)を、当時の製法で作って欲しい」といったものが多いという。

「古硯の再現とはいえ、材料の石は天然のものですから完全に合致するものは存在しません。でも、依頼の硯に使われていた石が、何時代にどの辺りの鉱脈で取れていたかは分かる。その石にもっとも近いものを探し出し、自分の足で山に入って採石します。そして、再現する硯の時代に合わせて、機械を使わず手作業で仕上げます。それが、僕が考える“技術のコピー"です」

二つの硯を通して見る、製硯師と石の対話

ここで、青栁さんが手がけた二つの硯を見せてくれた。

「これは、書の文化が栄えた中国の明(みん)代後期の作り方を再現したもので、歙州 淌池硯(きゅうじゅう しょうちけん)と呼ばれる形の硯です。眉子紋(びしもん)という模様の入った石を使っています。大きさや形にはフォーマットがあり、それに従って制作しています」

硯の表面に見える、波のような模様が美しい佇まいの硯だ。
眉子紋が美しい、歙州硯

眉子紋が美しい、歙州硯

1500年前から受け継がれている形式に法って設計されている

1500年前から受け継がれている形式に法って設計されている

そして、もう一つ見せてくれたのは、北海道の石で作られた硯。2017年の北海道で行われた調査で採石した石が使われている。歙州硯の造形とはだいぶ異なる造形だ。

「先ほどの歙州硯は古硯(こけん)を再現する目的がありましたが、こちらは、調査と記録のために作っています。北海道では、硯に向く石が採石できるといわれていたものの、採石された歴史がありませんでした。というのもアイヌ民族は伝統的に文字を使用せず、生活の知恵や歴史を口承で伝承してきたので硯が必要がなかったから。石の情報を損なわぬよう、自然石の形をそのまま残しています」

北海道の硯が欲しいとの声も多いが「国有林のものなので、販売はできません」 (青栁さん)

北海道の硯が欲しいとの声も多いが「国有林のものなので、販売はできません」 (青栁さん)

自然物の石と人工的な彫りが調和するよう、ふちのアウトラインや小口をつけた造形を施している

自然物の石と人工的な彫りが調和するよう、ふちのアウトラインや小口をつけた造形を施している

正反対とも思える二つの硯。だが、制作における心構えはどちらも「原石に味付けをしないこと」だと青栁さんは言う。そのために必要なのは、石との対話。石を見たり触ったり、叩いて音を聞いたり、時には舐めて(!?)みたり……。そうして石の性格を理解し、良いところを引き出してあげることが製硯師としての務めだという。

「若い頃は、彫刻ばかりに凝ったこともありました。でも、いい硯って、とてもシンプルなんです。素材である石の味が出切ったところがゼロ地点なのだと気がつきました。硯を育てていくのは、作り手ではなく使っていく人たち。ですから、硯を見た方に『いい硯だね』ではなく、『いい石だね』と言ってもらえることが、製硯師にとっては最高の褒め言葉ですね」


後半では、毛筆文化の継承者としての一面に迫る。

●宝研堂
1939年創業。文房四宝の取り扱いだけでなく、都内で唯一硯の工房を持つ書道用具店。先代のご父祖様やお父様の代には、中国で製造された石などを輸入して、硯の改刻(かいこく・ 彫り直し)や調整、研磨、研ぎまでを請け負っていた。4代目の青栁貴史さんは、原石から硯づくりを手がけている。硯の制作や彫刻、修理まで何でも相談できることから、貴史さんを「硯のお医者さん」と呼ぶ人もいるとか。

住所/東京都台東区寿4-1-11
アクセス/都営浅草線「浅草駅」A1出口より徒歩3分、東京メトロ銀座線「田原町駅」出口3より徒歩5分、都営大江戸線「蔵前駅」A5出口より徒歩5分
営業時間/9:00〜18:00(月〜土曜日)、10:00〜17:00(第1、3日曜日)
定休日/第2、4、5日曜日、祝日
TEL/03-3844-2976
URL:http://www.houkendo.co.jp/

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