今日のGoogleロゴは平塚らいてう生誕128周年
今日のGoogleロゴは平塚らいてう生誕128周年
Googleは、2014年2月10日のロゴを日本の作家、平塚らいてう生誕128周年を記念したデザインに変更した。「元始、女性は太陽であった」という言葉で有名な、1911年に平塚らいてうが発行した文芸誌『青鞜』をもった女性の姿(平塚らいてう自身か)がモチーフになっている。
平塚らいてうは1886年、東京都生まれ。本名は平塚明という。1906年に日本女子大学を卒業後、二松学舎大学や津田塾大学、成美女子英語学校に通いつつ、生田長江・森田草平が主催する「閨秀文学会」にも参加。そこで知り合った生田長江のすすめにより青鞜を創刊することになる。青鞜は女性文学者を中心につくられたもので、婦人問題を提起していたことで知られる。
平塚らいてうは1886年、東京都生まれ。本名は平塚明という。1906年に日本女子大学を卒業後、二松学舎大学や津田塾大学、成美女子英語学校に通いつつ、生田長江・森田草平が主催する「閨秀文学会」にも参加。そこで知り合った生田長江のすすめにより青鞜を創刊することになる。青鞜は女性文学者を中心につくられたもので、婦人問題を提起していたことで知られる。
その後、平塚らいてうは1919年に婦人団体「新婦人協会」を設立して婦人の権利擁護を訴えるなど、日本の婦人活動に尽力。戦後は反戦運動も展開し、1950年には米ダレス特使に「非武装国日本女性の講和問題についての希望要項」を提出、1951年には再軍備反対婦人委員会を結成、1953年には日本婦人団体連合会の初代会長および国際民主婦人連盟副会長を就任。数々の婦人活動や反戦運動に貢献した。1971年、胆嚢・胆道がんにより死去。
■追記
今日のGoogleロゴをオンマウスすると「平塚らいてう 生誕 43周年」と表示されていが、11時に確認したところ「平塚らいてう 生誕 128周年」と修正されている。
■追記
今日のGoogleロゴをオンマウスすると「平塚らいてう 生誕 43周年」と表示されていが、11時に確認したところ「平塚らいてう 生誕 128周年」と修正されている。