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“インク沼”で自分らしく輝く、インクアーティスト・ハコペンさんの「ゆる書写」アートワーク

2020.03.02 Mon2021.10.13 Wed

インク×文学×イラストで開けた新しい世界。

“インク沼”で自分らしく輝く、インクアーティスト・ハコペンさんの「ゆる書写」アートワーク

取材・文:阿部愛美 撮影:YUKO CHIBA

街の文具店でさえ、色とりどりの万年筆インクが並ぶようになって久しい昨今。インクにハマって抜け出せない、いわゆる“インク沼”の世界には、豊富な色を気分によって使い分けたり、さまざまな種類のインクを集めて楽しめる奥深さがあります。そして、インクという道具はいまや文字を書く目的にとどまらず、濃淡を生かして制作する”インクアート“へと表現の幅を広げつつあります。

そこで今回は、文学作品とイラストを組み合わせたインクアートの作品をTwitter上で公開しているハコペンさんにインタビューをしました。手掛けられた作品や注目しているインクを見せていただきながら、インクの深い魅力とインクアートの世界に迫ります。インタビューの最後には、ハコペンさんによる描き下ろしイラストも。どうぞ、最後までお見逃しなく……!!

インクとの出会い:深き憂いのなかで出会ったのは、気持ちを明るく照らすインクの世界

今回取材にご対応いただいた、ハコペンさん

──ハコペンさんの経歴と、インクアートを始めたきっかけを教えてください。

ハコペン 映像の制作会社に新卒で入社して、3DCGの制作を行っていましたが、転職し、WEBとDTPのお仕事に就いて今に至ります。インクアートは、仕事の傍ら空いた時間を使って制作しているかたちです。始めたのは2年前の2018年から。絵を描くこと自体は幼い頃から好きでしたが、インクに興味をもったのは、写経を始めたことがきっかけでした。

──写経を始められた理由は?

ハコペン 結婚後に長く不妊治療をしていたことが背景にあります。心身ともに疲れ果ててしまい辛い時期が続き、精神面を整えようとして始めたものが写経でした。私は筆ペンではなくボールペンを好んで使っていたのですが、そのうちに字を上手に書きたいと思う気持ちが芽生え、写経からペン字に移行していきます。ただ、ボールペンのインクが黒だったこともあって……、書いていて気持ちが沈んでしまったんですね。

そんな時、Instagramである作品を見つけました。それは、台湾の方が万年筆を使って書かれた文字の作品で、何色かのインクが使われた色味が豊かなものでした。インクの濃淡やボールペンでは出せない色を含めた表現力に魅了され、ただ素直に「これは美しい」と思ったのです。それまで使ったことはありませんでしたが、万年筆とその作品に使われていたインクと同じものをさっそく購入して文字を書きました。興味を持ち始めたのはそこからです。

──スタートが2年前とは驚きです。すでに、インクが好きな方々との交流はありますか?

ハコペン 始めたばかりの頃は、同じ趣味の知り合いもいなければ、インクやペンについてもよく分かりませんでした。ですがタイミングよく、岡山の方が個人で開催されていた「書くことを楽しむ会」という催しをSNSで知り、参加させていただきました。そこで、たくさんのインクやペンに触れることができて、いろいろな方々と交流することが叶いました。それから、文具のイベント「文具女子博」にも参加し、SNSで交流のある“沼人(ぬまびと)”の方と直接お話させていただいたりして、皆さんとは後日一緒に遠足にも行ったんです。

──インク沼の人々のことを、“ぬまびと”と呼ぶのですね!(笑)遠足はどこに行かれましたか?

ハコペン 都心から出発して、日帰りで群馬まで。ホームセンターの「ジョイフル2」まで同社のオリジナルインクを買いに行きました。現地までの道のりでは、皆さんとインクの名前でしりとりをして遊んだり……(笑)、今振り返っても夢みたいに楽しかったですね。地方には、そこでしか手に入らない「ご当地インク」がたくさんあります。静岡なら「静岡茶」や「静岡蜜柑」(文具館コバヤシ)とか、神話にちなんだ名前のインクもあるんですよ。

制作の裏側:“見る人をあっといわせせる”遊び心に満ちた「文学作品の書写し」

── 写経からペン字と移行されて、今では文学作品の一文を抜き出してイラストを添えた「文学作品の書き写し」を制作されています。その経緯は?

ハコペン きっかけは、あるグレーのインクを買ったことでした。「万年筆用ボトルインク インク工房」(セーラー)の「123」番です。基本は淡いグレーですが、色が揺らぎやすくて紫や緑も感じられるもので、その色を見た時に『平家物語』の冒頭がふと浮かんだのです。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」と書いてみると、はかない色と物語の冒頭の部分が一致した感じがして、嬉しくて、楽しかった。そこから、ほかの作品も書いてみようと思って、知っているものやメジャーなものからトライしました。

──「#ゆる書写」と、ハッシュタグをつけて作品を公開されていますね。

ハコペン はい。SNS上でのお題のアカウントで、“楽しくゆるくやろう”という人たちのものです。

──全然“ゆるく”ないと思うのですが(笑)。

ハコペン 自分でもそう思っていました(笑)。でも、お題のアカウントに敬意を表して、ずっと使わせていただいています。

──ご自身の「文学作品の書き写し」には、どんな特徴があると感じていますか。

ハコペン 一つ目は、文字だけでなく枠や挿絵のようなイラストを描いているところが大きな特徴だと思います。二つ目にはブラックライトで光るものなど変わり種があるところ。見てくれる人をあっといわせたいという想いがあります。私が暗い気持ちで写経を始めてから、インクに出会った時の気持ちがパッと明るくなるあの感じが忘れられないんです。それを皆さんにも感じて欲しくて。

「123」番を使って書かれた『平家物語』。グレーの中にも複雑な色味が感じられる不思議な色合いだ
アメリカ「Noodler's(ヌードラーズ)」社製のインクを使った『星めぐりの歌』(宮沢賢治 著)。ブラックライトで星が輝くしかけ

──色から発想されて作品を制作することは今でもありますか?

ハコペン とても多いです。例えば、「万年筆用ボトルインク インク工房」(セーラー)の「173」番です。薄いオレンジのようなピンクのようなインクですが、“冬だけど暖かい”、そんなイメージで『手袋を買いに』(新美南吉 著)の一場面を描きました。

色から発想するほかにも、書写のお題をツイートしてくれるTwitterのアカウントからお題を拝借することも多いですね。例えば『雪女』という作品がそうです。寂しさみたいなものを色に感じたので、背景は「ダイヤモンドダスト」(Tono&Lims)、紫の部分は「樹氷アメジスト」(八文字屋)というインクで描こうと思いました。

添えるイラストは、物語のイメージから離れないように気をつけています。『竹取物語』なら竹、『銀河鉄道の夜』もリンドウやススキ、白鳥座といった作中に出てくるモチーフを取り入れました。

『竹取物語』より
『雪女』(小泉八雲 著. 田部隆次 訳)より
『銀河鉄道の夜』(宮沢賢治 著)より
『柘榴の花』(三好達治 著)より
『人間椅子』(江戸川乱歩 著)より。ブラックライトを当てると、椅子の中に人の姿が浮き上がる……!

使用画材:丁寧なプロセスで制作される作品づくりを支える相棒たち

── 「文学作品の書き写し」について、完成までのプロセスを教えてください。

ハコペン インクの色の印象やTwitterのお題などから描くものを発想し、最初はノートなどに小さいラフを描いています。ラフでイメージが固まったらコピー用紙に下書きをします。下書きにはトレーシングペーパーを使っていましたが、今ではコピー用紙を使うことが多いですね。ここでは本番さながら丁寧に描き、文字の枠組みも決めてしまいます。下書きの紙の裏を色鉛筆でこすって本番の紙に転写し、写しとった線をインクでなぞって本描きしたら完成です。

──制作時間はどれくらいかかりますか?

ハコペン 空いた時間を使って少しずつ制作しているので、作品にもよりますが、合計で5、6時間だと思います。最後の仕上げは早くて1時間かからないことも。アイディアがまとまるまでが一番たいへんです。

『銀河鉄道の夜』の下書き(画像提供:ハコペン)
「ガラスペンは、先がねじれているものが安価なものが多く、手を出しやすいと思います。長くねじれている方がインクのたまりがいいのでおすすめです」(ハコペンさん)

──今、一番よく使う道具は?

ハコペン 万年筆も使いますが、この2本のガラスペンが多いですね。細い線と太い線で使い分けています。制作時は「書写台」の上に紙を置いて制作しているのですが、最初の頃は使っていませんでした。時を忘れて描くことを繰り返していたら、少し前に頸椎を傷めてしまって……(笑)。今では手放せない道具です。

紙については、インクの紹介をする時には「トモエリバー」(巴川製紙所)をよく使っています。「レッドフラッシュ」(後述)などの現象がとても出やすい紙なんです。本番は水彩紙の「キャンソン」と「ミューズ」のコットン100パーセントの紙を使うことが多いですね。発色がよく、気に入っています。

インクの世界:まるでインクの万国博覧会! 自由に楽しむ色のゆらぎや輝き

──お気に入りのインクについても教えていただけませんか。

ハコペン 最近は“遊色(ゆうしょく)インク”(※)に夢中です!「シェードインク」と呼ばれるものの一種で、色が揺らぎやすく分離しやすいインク。『平家物語』を描いた「123」番も「シェードインク」です。色にゆらぎがあるという特徴はボールペンとかサインペンならば製品としてNGですが、万年筆インクならば魅力の一つになります。

それから、「シーンインク」という“光るインク”もあります。「レッドフラッシュ」と呼ばれる現象が起こり、表面で結晶化して角度によってベースの色とは違う色がギラギラっとみえるものです。ほかには、ラメが入った「シマーインク」というものもあります。こうしたインクは万年筆を傷めるせいか日本では敬遠される傾向にありますが、海外の製品では珍しくありません。

※ “遊色”という呼び方は、本来はオパールなど、鉱石の結晶の構造によって光の反射光ででるものをいうため、インクの呼び方としては賛否両論あり、まだ定まっていないという。本インタビューでは、「ゆらぎやすく、分離しやすいインク」の意味で使用しています。

「シーンインク」を使って書かれたもの。青いインクだが、角度によってピンクに輝いている
こちらは「シェードインク」。まるで2色使っているように見える

・シーンインク(Sheen ink)  ベースの色とは異なる色が光って見えるインク     
・シェードインク(Shade ink) 濃淡が出やすいインク     
・シマーインク(Shimmer ink)   ラメ入りインク

──ほかにも変わったインクがあれば教えてください。

ハコペン これは、パッケージに一目惚れして購入したカナダの「Ferris Wheel Press(フェリスホイールプレス)」というメーカーのもの。こんなにおしゃれなボトルは、ほかにはなかなかありません。 海外のメーカーでは、フィリピンのメーカーのインクが、沼人の間で今すごくアツイです! 特に「Troublemaker Inks(トラブルメーカー インクス)」「Vinta Inks(ヴィンタ インクス)」のものは、インクの種類も幅広いし色の幅も豊富で色も淡くて素敵なんです。

──インク沼のブームは、“文具大国”の日本ならではだと思っていましたが、世界中にインク好きが居るのですね。

ハコペン カリグラフィーの歴史からか、欧米はインクのメーカーも種類も豊富です。それに、今では海外向けに日本の“遊色インク”が販売され始めていたり、海外にしかなかったようなものが日本でも作られ始めていたりと、お互いに影響を与え合っていると感じています。

これは、「Tono&Lims(トノアンドリムス)」というメーカーのものです。日本と韓国の方が共同で作られているもので、今、大注目しています。例えば、同社のほかのインクに混ぜて使う無色のラメ入りインクがあったり、この「タピオカインク」は瓶を振ると……中に入っているタピオカのようなつぶつぶを感じることができる(笑)。色や色の変化だけでなく、プラスアルファの楽しみが付加されているなど、インクの世界は新しい楽しみ方が広がってきていると感じます。

「Ferris Wheel Press」のインク。社名の「Ferris Wheel」とは観覧車のことで、パッケージにもイラストが
手前は「Tono&Lims」のインク。「タピオカインク」やブラックライトで光るインクなど、これまでの日本製品では珍しいものが多数

ハコペンさんのこれから:挑戦してみたいこと。これから始めてみたいと思う人々へのメッセージ

──これから挑戦してみたいことはありますか。

ハコペン いずれ、これまでに描いた作品を飾って展示会を行ってみたいです。ブラックライトで光るものや、遊色、ラメのインクがもたらす表情を、ぜひ直接見て驚いてほしいですから。それから、インクのラベルやパッケージデザインにも関わることができたらいいなと考えています。

それから、今年はペン字に力を入れて頑張ろうと目標を立てています。現在の制作方法はレタリングに近いのでとっても時間がかかる。一発書きができたらそれも楽しいと思からです。それに、これまでは自己流で書いてきましたが、字の書き方を正しく学ぶことでより美しく制作したいという想いがあります。

──より一層、作品の魅力が増しそうですね。最後に、読者の方にコメントをお願いします。インクをまだ始めたことがない人に向けて、何かアドバイスはありますか。

ハコペン インクアートの世界は入り口が広い。インクとペンとがあれば、誰でも気軽に始められます。万年筆の「プレピー」(プラチナ萬年筆)なら300円くらいで買えてしまうし、インクも1000円程度のものが多いです。そうすると次なるハードルは「何を書けばいいのか」ということだと思います。そうしたお悩みには、書写のお題をツイートしてくれるTwitterのアカウントがありますし、グッときた文学作品や名言や一節があれば試しに書いてみてほしいです。ことわざでも、歌のフレーズでもいい。好きな言葉で短い文章を選ぶ方が、ハードルが低いのでスタートしやすいと思います。

あとは、とにかく楽しんでもらえたら。私は何の制約もなく自由に楽しんでやってきましたし、これからもそうしたいと思っています。それぞれの楽しみ方があっていいと思いますから。“十人十色”ですね、インクだけに。……あ、うまいこと言っちゃいましたね(笑)。

丁寧に描かれた作品の印象そのまま、優しいお人柄が感じられたハコペンさん。上のイラストは、取材後に特別に描き下ろしてくださったものです。インク瓶のなる木や、沼に沈みかけるペン、さらによく見ると、ハコペンさんの分身であるというカッパや、怪しいキノコまで……!! インクの色の美しさはもちろん、隅々までじっくりと見ていただきたい作品です。なお、インクは21色使用とのこと。

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    取材を受けた人

    ハコペン
    インクアーティスト
    色とりどりのインクを使用して小説の一節を書く「ゆる書写」や、偉人の名言、日本の伝統文様を描いているインクアーティスト。インクの色や変化の楽しさだけでなく、字体の美しさ、一緒に沿えられるイラストの表現力が独自の世界観を生み出している。その活動は、「news zero」(2019.12/日本テレビ)で取り上げられたほか、「文学作品イメージインク」(フェリシモ YOU+MORE!)の紹介用書写を担当するなど、活動の幅を広げている。
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