第1話 ホームステイで体感した、ゲットー街での教え | デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-

第1話 ホームステイで体感した、ゲットー街での教え

2024.4.27 SAT

【サイトリニューアル!】新サイトはこちらMdNについて
成功を勝ち取れ!異業種からの挑戦

このコーナーではプログラマーからWebデザイナーへ、営業職からディレクター職へ、など、異業種・異業界からの転身を見事に成し遂げた人の成功談をうかがっていきます。最初に就いた仕事が自分に合わなかった……、夢を捨てきれない……、そんなあなたに力を与える先輩たちの実体験がここにあります!!

第2回 株式会社ベースメントファクトリープロダクション 施井史氏の場合


株式会社ベースメントファクトリープロダクションのWebディレクター・施井史氏の前職は、なんと役者。舞台や映画に出演するほか、CMやポスター、雑誌など、さまざまなメディアでモデルとしても活躍していた彼が、なぜWeb制作ディレクションへの道を選んだのか——。その興味深いキャリアの後ろ側には、意外な原体験が潜んでいた。

施井史氏 [プロフィール]
しい・ふみと●1980年、千葉県生まれ。調理師専門学校に在学中、モデルとしてデビュー。CMやポスター、雑誌など、さまざまな媒体で活動する。その後、役者としても映画『THE WINDS OF GOD−KAMIKAZE−』などに出演を果たし、活動の場を広げる。そのかたわら、舞台や自主制作の映画にも積極的に参加。役者としても着実にキャリアを積んで来たが、2007年、突如Web業界へと転身。ベースメントファクトリープロダクションに入社する。現在はWebディレクターとしていくつかの案件の窓口となり、クライアントとの交渉、制作チームの進行役にたずさわる。
http://www.bfp.co.jp/


第1話 ホームステイで体感した、ゲットー街での教え

──前職は役者、その前はモデルだったと伺いました。
施井●はい、そうです。実は、芸能活動の原点になったのは高校時代に留学したアメリカでの経験なんです。一年間、ノースカロライナ州の高校に留学してホームステイをしていたんですが、そのホームステイ先がゲットー街にあるトレーラーハウスを家にしているような一家で……生活保護を受けている家庭だったんです。

──……? 普通、ホームステイ先のホストファミリーというのは……通常よりも少し裕福なくらいのご家庭ですよね?
施井●普通はそうですよね。おそらく何かの手違いだったと思うのですが、お母さんがひとりでがんばってる、典型的な貧しい黒人一家でした。行ってみるとそんな状況が待っていたのには驚愕でしたね。どうやらそのホストファミリーは僕を受け入れることによって、お金がもらえると思っていたようなんです。ホストファミリーというのは、基本的にボランティアですから、お金は出ないわけなんですが。

──「お金がもらえない」ということがわかった時点で、ホストファミリーに放り出されるようなことは?
施井●ええ、それがなかったんですよ。すごく信心深いご家庭で「これも神様の巡り合わせだ」と言ってくれて。……僕は生まれてすぐにアメリカのロサンゼルスに家族で住んでいたこともあって、英語はさほど不自由はしていなかったのですが、そういった黒人街の真ん中に放り込まれてみて、“この際だから黒人英語や黒人文化を身につけたら怖いものナシだぞ”って思ったんです(笑)。自分の家族の中でも、そんな経験がある人間は誰もいませんから、家族の中でも秀でることができるぞ、なんて思いましたね(笑)。

──なるほど。確かにそんな経験をしている日本人はなかなかいませんね。
施井●しかも、ゲットー街での考え方がとにかくカルチャーショックだったんです。いちばん強烈だったのは、お金もなく仕事もない、そんな状況の中で「モノが欲しければ人のモノを盗れ」。それで警察につかまったら「刑務所に行けばいい」……「刑務所はエアコンもきいてるし食事も出てくる。エクササイズもできるし、あんないいところは他にない、刑期が終わって出て来て、困ったらまた盗めばいい」と、そんな調子なんですよ。でも、そんな中で、絶対やっちゃいけない教えがあって、それは「やりたくないことはやらない」ということと「死んじゃダメ」ということ。そのふたつさえ守れば、あとは何をやってもいいという考えなんですよね。そんな中で暮らすうちに、僕も「やりたいことをやった方がいい」と思うようになって、帰国後は大学に行かず、好きな料理の専門学校に進学することを決意し、その専門学校在学中にモデルの仕事をやるようになりました。

──なぜモデルの世界に入ったんでしょうか。
施井●実は、写真に撮られるのがすごく苦手だったんですよ。でも、その一瞬だけの写真の世界で何ができるのか……ということがずっと気になっていたんでしょうね。そこにたまたまチャンスが巡ってきたので、やってみたという感じです。若さが必要とされる職種なので、今しかないかなとも思いましたし。CMやポスター、雑誌など、いろいろやっていました。

──その後、役者のお仕事にも挑戦されたんですよね。
施井●映画『THE WINDS OF GOD−KAMIKAZE−』のオーディションに運良く受かったんです。特攻隊がテーマの映画で、コメディアンがタイムスリップしてその時代に行ってしまって“頭の中はコメディアンのまま、第二次世界大戦に向かわなくてはいけない”という話なんですけど、僕は特攻隊員の役どころをやらせていただきました。この映画は世界で上映したいということで、日本人のキャストなんですけど、全員英語で演じたんですよ。他には『プルコギ』という映画などにも出させてもらいました。舞台もやったし、自主映画を作ったりもしました。このように、いろいろな現場を体験してきたわけなんですが、この会社(ベースメントファクトリープロダクション)に入る1年前の2006年くらいから、少しずつ限界を感じ始めていたんです。演技すること自体はおもしろいんだけど、役者の仕事って、それ以外にもいろいろとあるんですよね。僕にとってはそのいろいろが非常にやっかいに感じて……。で、そのとき何がいちばんやりたいかを考えたら、それがWebだったんです。

(取材・文:草野恵子  撮影:栗栖誠紀)

株式会社ベースメントファクトリープロダクション
http://www.bfp.co.jp/
1997年に設立。現在ではクリエイティブを要する様々な分野で幅広く活動している。メインであるWeb制作においてはプロジェクトマネジメントからグラフィックデザイン、モーションデザイン、音源制作も含めたサウンドプロデュースの他、Webアプリケーション開発やネットワークサーバ構築などのシステム開発に至るまで、全てにおいて対応できる環境を自社グループ内で整えている。



次週は「第2話 モデルから役者、そしてWebの世界へ。」についてお届けします。

twitter facebook このエントリーをはてなブックマークに追加 RSS
【サイトリニューアル!】新サイトはこちらMdNについて

この連載のすべての記事

アクセスランキング

8.30-9.5

MdN BOOKS|デザインの本

Pick upコンテンツ

現在