第1話 興味が多くて絞りきれない学生時代 | デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-
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様々なジャンルで活躍するデザイナーの来歴をたどるシリーズ。今回はグラフィックデザイナーの仕事と並行しながら、美術作家としても活動を展開する鈴木真吾さんを取材し、紆余曲折の学生時代から今日までの足跡をたどります


第1話 興味が多くて絞りきれない学生時代



鈴木真吾さん

神田のギャラリー「KANDADA」にて、鈴木真吾さん


桑沢デザインを中退、多摩美に入学



──小さい頃は、どのような子どもでした?

鈴木●絵を描いたり工作したり、そういうことはやっぱり好きでしたね。小学校の頃はポスターを描いたり、映画のチラシを真似してパロディっぽいものを作ったり。

──いまのような仕事に憧れも?

鈴木●中学校では美術部に入ってましたが、高校までは全然自覚してなかったです。普通高校だったのですが、勉強はあんまりできたほうじゃなくて。将来のことは特に考えてもいなかった。

──進路はいつ決めたのですか?

鈴木●そろそろ受験という頃になってからですね。美術の先生が割とくだけた方で、髪の毛を立てて授業するような人だったんです。学校の壁や中庭に「絵を描いちゃおう」みたいことを率先したり。もちろん学校に許可を得てですが、授業がすごく面白かった。

──その先生の影響も?

鈴木●進学率があまりよくない学校だったので、先生が冗談まじりで「うちの学校から行ける大学は美大ぐらいだ」と言ってて。その一言から、美大ってどんなところなのだろう……と考え始めたのがきっかけでした。

──とはいえ、進むのは難しいですよね。

鈴木●ええ。それから地元の鎌倉にある、美大の受験予備校に通い始めました。小さいところでしたが、デッサンから一通り学び始めたんですね。そこから興味がいろいろ広がり始めた。グラフィックはもちろん、バイクや車に興味があったからプロダクトデザインもやりたいと思ったり、オブジェみたいな立体を作ってみたり、ファインアートにも興味がありました。

──受験先は?

鈴木●いくつかの美大のグラフィックデザイン学科、プロダクトデザイン学科、工芸学科を受けました。いま考えるとバラバラですね(笑)。結局一浪して、桑沢デザイン研究所のリビングデザイン科に進みました。グラフィックからプロダクト、インテリアなど総合的に学べる学科ですね。でも、入学した初日に「アートをやりたい人はうちの学校は辞めたほうがいいよ」と言われたんですよ。

──割と商業的な、即戦力としての勉強を?

鈴木●そうですね。それはある意味、学校としてはいいことなのですが、自分の中でまだ迷いがあって……2年間の在学中に将来を決めることができそうにない。もっといろんなことをやる時間が欲しいと思って、1年後に大学を受け直したんです。で、多摩美術大学のデザイン学科に受かった。だから、実質二浪だったんです。


「手のひらを太陽に」



鈴木さんの作品より「手のひらを太陽に」
(2007年/KANDADA)
今年7月に開催された個展の模様。立ち上げから参加するアート集団「commandN」の拠点=神田のギャラリー「KANDADA」にて。マッチ棒や紙幣、結束バンド、チェンリングなどを素材に、集める/並べる/繋げる/重ねる……といった行為から、フラクタルなミニマル空間を作り出した


グラフィックから映像制作に興味をもつ



──大学での専攻は?

鈴木●基本はグラフィックデザイン。でも、実は多摩美に入った翌年も、東京芸術大学の工芸科を受けていたんです。金属で作品を制作したくて。結局受からず、そのままでしたが。

──チャレンジャーですね(笑)。

鈴木●まあ、学費も大変でしたからね。国立のほうが安いので。

──いろんなものへの興味もあって。

鈴木●ええ。どうしても学校ではやりたいことが分けられてしまう。本当はアートもプロダクトもやりたかったのですが……。だから、授業とは全然違うところで作品を作って公募展に出したりしてて。

──でも在学中は、そろそろ将来のことも?

鈴木●3年のときに、また分岐点がありました。当時、グラフィックデザイン専攻には一学年160人から170人ぐらい在籍していたのですが、大体みんな広告系の専門課程に行くんですね。卒業後、広告代理店やデザイン事務所への就職を目指して。それとは別に伝達系というものがあって、そっちを専攻する生徒は10人いるかいないか……僕はその人気のないところを選んだんです。

──伝達系というのは、具体的に言うと?

鈴木●アート表現になるのかな? コマーシャルなものではない。だから学校の中では、伝達系に進むと言うと「就職しないの?」って(笑)。

──どうして、そちらを選んだのですか?

鈴木●教授が映像の先生だったんです。もともと映画もよく観てて、その頃はリュック・ベッソンとかテリー・ギリアムが好きでした。あとはドキュメンタリー。そこで映像にも興味が湧いて。

──80年代後半ぐらいだと、映像が新しいメディア表現みたいに注目されてましたね。

鈴木●ええ。でも、まだリニア編集で、PCで編集できるような環境ではなかった。Macも一式揃えると200万ぐらいの時代でしたから、卒業後は映像の制作会社に就職しようと思っていたんです。

──いよいよ就職活動を?

鈴木●ええ。ドキュメンタリー関係の制作会社にアプローチしてました。でも、就職活動の真っ最中にバイクで事故って、3ヶ月入院しちゃったんです(笑)。ちょうど卒業制作を始める頃で、作れないから1年留年することになりました。


次週、第2話は「予備校講師とアート制作」についてうかがいます。

(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)


鈴木真吾さん

[プロフィール]

すずき・しんご●1966年神奈川県生まれ。グラフィックデザイナー。桑沢デザイン研究所中退後、多摩美術大学デザイン学科グラフィックデザイン専攻卒業。98年よりコンテンポラリーアートの制作集団「commandN」に参加。99年より映像制作ユニット「√R」としても活動。

http://www.magnet-design.net




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