第2回目 Kanón | デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-
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日本アニメ(ーター)見本市から読み解く
アニメ制作現場の“モノづくり”


自分が作ったものに裏切られる。クリエイターの深すぎる内面世界

Kanon

第2回 Kanón 監督:前田 真宏/演出:吉崎 響

2015年3月16日 Text:秋山由香(株式会社Playce)

「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」の監督として名高い前田真宏氏が生み出したのは、創造主アダムの苦悩がユーモアたっぷり描かれた、風刺的アニメーション。常識に囚われることなく、様々な実験的制作手法が試されている。レイアウトの工程を飛ばした「直原画」という制作スタイル、機械翻訳を用いたシナリオライティングなど……。通常では考えられない独特の「前田メソッド」や作品の楽しみ方ついて、前田氏ご自身、演出の吉崎響氏に伺った。



「Kanón」の原作になった名作戯曲、『創造者アダム』とは……!?

─― 「Kanón」を拝見して、1回見ただけでは理解できず何回も繰り返し見てしまう、ある種の中毒性がある作品だと感じました。非常に難解なテーマが設定されているように思うのですが、その原点は、どういったところにあるのでしょうか?

前田真宏監督
試行錯誤の痕跡がよくわかる、前田監督直筆の絵コンテたち。バツ印が付けられている右側のシーンが、泣く泣くカットをした箇所だという
前田監督(以下、前田)● 実はこれ、原作があるんです。チェコの作家、カレル・チャペックの『ADAM CREATOR』(原題:『Adam stvořitel』)という戯曲を元に制作しました。

 『ADAM CREATOR』は、全7幕から成る壮大な喜劇です。アダム、エヴァ、リリスといったキャラクターが登場するキリスト教的世界をモチーフにした物語で、アダムが良かれと信じて創造した人や社会に、次々と裏切られていく……という筋書きになっています。

 この戯曲が書かれたのは、1926年。チェコも隣国ドイツもすでに共和制にありましたが、ドイツではナチ党内でのヒトラーの地位が確立。空前の好景気に突入するも世界恐慌はスグ目の前というビミョーな時代。旧時代の価値観を疑う姿勢や、閉塞した時代ならではのユーモアが詰め込まれており、原作を読んでみてとても面白いなと思ったんですよね。

─― 具体的にはどのような点が、特に面白いと思われたポイントだったのでしょうか?

前田● たとえば、アダムのモデルがニーチェっぽいというところ。当時ニーチェは国家権力寄りの人間だと誤解されており、戯曲全編を通して、盛大に茶化されているところが面白いなあと思いました。また、良いと信じられているものに悪い側面があったり、真実だと思われているものが真実でなかったりと、ものごとの裏表が描かれているところが興味深いなと。

 権力に抗う姿勢、社会情勢を反映した薄暗い空気、真実が崩れ落ち新たな真実が見え始める状況、そして思わず笑ってしまうようなヒューマニズム……。『ADAM CREATOR』で描かれているこれらの要素は、現代にも通じるところがあると感じました。今読むからこそ面白い、とても含蓄のある作品だと思いますね。

主人公は創造者アダム
3月13日に公開された「Kanón」。主人公は“クリエイター”。「『エヴァンゲリオン』に携わっていることもあり、単純に“アダム”という響きにも心惹かれた」と前田監督は語る
(c) nihon animator mihonichi LLP.


「Kanón」の原作になった名作戯曲、『創造者アダム』とは……!?

―― なぜ『ADAM CREATOR』を原作に選ばれたのでしょうか?

前田● もともとチャペック作品のファンだったんですよね。どの作品にも深い考察とユーモアがあって、さらにカリカチュア(※)的な表現がふんだんに盛り込まれている。いつかチャペックの作品を原作にしてアニメを作りたいなと考えていたので、「日本アニメ(ーター)見本市」のお話をいただいてすぐに、チャペック作品を洗い直しました。そこで目に留まったのが『ADAM CREATOR』だったというわけです。

 『ADAM CREATOR』に惹かれた理由は、クリエイターの内面世界にあるよくわからない妄想みたいなものがぐちゃぐちゃに描かれていたから(笑)。作ったものに裏切られ、生み出したものに振り回されているアダムの様子が、なんだか、孤高の思想家の悲哀というよりは、僕らいわゆるクリエイターの姿と重なって見えちゃったんですよね。で、「“クリエイター”である自分を笑ってやれ!」というテーマで取り組もうと決めました。

―― 前田監督ご自身とアダムがリンクしている、というようなイメージでしょうか?

前田● そうですね。アニメやキャラクターには、多かれ少なかれ、作った人の姿が投影されているものだと思います。僕自身も思いや感情をキャラクターに投げ込みながら作っていて、それだけに、上がりを見て「うわっ、恥ずかしい!」だとか「やっちゃったなあ」と思うことも多くて。まさに「作ったものに振り回されている」状態ですよね。

―― 「Kanón」で言うとどんなところに、前田監督が「振り回されている」姿が現れていると思いますか?

前田監督直筆の絵コンテ
試行錯誤の痕跡がよくわかる、前田監督直筆の絵コンテたち。バツ印が付けられている右側のシーンが、泣く泣くカットをした箇所だという
前田● 無理やり短編にしたことで生まれたぐちゃぐちゃ感に、尺を削ろう削ろうとしてもがく僕の姿が現れているような気がします(笑)。実は「Kanón」の絵コンテは、当初、テレビアニメ1本分ぐらいのボリュームがある長いものだったんです。そこから削って削って削りまくって……。ぶっちゃけた話、「こんなに削りまくって、僕のやりたいことはできるんだろうか」と思った瞬間もあったほどでした。自分から「やりたい!」と言い始めたのにまとめられない、僕のぶざまさみたいなものが出ているかと(笑)。

 その面白さを強調するため、というわけではないんですが、スタッフたちには「僕の作ったものを壊してほしい」とお願いして制作を進めていきました。ギリギリまで尺を削り、一方でセリフを詰め込みまくり、作ったものを周囲のスタッフに壊してもらいながら制作して。まさに「作ったものに振り回されている僕の姿」をよく表している作品になったなあと(笑)。だからこそ、最後にアダムが言うオチのセリフは、けっこう「気持ち入ってます」(笑)。
※カリカチュア…特徴を大げさに強調して描いた風刺画。戯画。カリカチュール。文章や芝居での風刺的な表現にもいう。


絵コンテから即「直原」。それって、どんな手法?

―― 制作する上でこだわったところについて教えてください。

前田● パラパラまんがのように動かしたい、というところにこだわりました。最近のアニメは、ものすごく丁寧に、美しく作られている。それは素晴らしいことだし、大切にすべきことだと思うのですが、一方で昔のアニメのような、いい意味でのいい加減さや勢いが失われているような気もするんですよね。「Kanón」では、まだアニメという言葉がない、「テレビ漫画」の時代の、プリミティブなアニメを表現することを目指しました。そのために、迷い線をわざと残したり、通常の4分の1程度のフレームサイズで制作してガサガサ感を表現したりと、いろいろな試みに挑戦しています。

 また、レイアウトのプロセスを省略して、コンテの拡大コピーから直接原画を描いてもらっています。絵コンテがそのまま動画になっているようなイメージ。かなり特殊な作り方なのですが、おかげで力強く勢いのある、かなり面白い動画を作ることができたと感じています。作画監督も立てていないんですよ。どうしても気になるところだけ、僕が修正して、あとはほとんどそのまま、各スタッフにお任せで進めました。

迷いに迷ったアダムが作り出した理想の女性・リリス
迷いに迷ったアダムが作り出した理想の女性・リリス。彼女だけは一般的なアニメの手法に則って、デジタルで美しく制作された。「なぜならリリスは、“俺の嫁”だから」と前田監督
(c) nihon animator mihonichi LLP.

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前田真宏氏

【プロフィール】
前田 真宏(まえだ まひろ)/1963年生まれ。アニメーション監督。東京造形大学在学中より「風の谷のナウシカ」「超時空要塞 マクロス」などの作品にアニメーターとして参加。その後スタジオジブリ、GAINAXを経て92年有志と共にアニメーションスタジオGONZOを設立。98年GONZOの出世作となったOVA作品「青の6号」で監督デビュー。その斬新な映像スタイルは業界内外で高い評価を得る。代表作は「ANIMATRIX The Second Renaissance 1&2」、「巌窟王」、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」など。現在はスタジオカラーに所属している。

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