第1話 スタートはグラフィックデザイナー | デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-
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転職はゴールではない 3年目の壁、5年目の転機

“仕事の壁”は誰にでもやってきます。そんなとき、ほかのみんなは、どうしているのでしょうか? このコーナーでは、今まさに壁を乗り越えようとしている人、乗り越えて一歩先に進んだ人など、クリエイティブ業界でがんばる仲間たちが登場。これまでの失敗談・成功談や現在の課題、そして将来像を語ります。今の仕事に前向きに取り組み、階段を一段登るためのヒントが得られるはずです!


第6回 株式会社ソニックジャム 木村靖裕さんの場合


株式会社ソニックジャムの木村靖裕さんはグラフィックデザイナーの出身だ。まだDTPがさほど普及してなかった時期で、今となってはめずらしい版下制作の経験を持つ。その後“動くコンテンツ”に魅せられWeb制作を希望、28歳のときに1回目の転職を果たす。FlashもLightWave 3Dも、すべて独学でマスターしてきた彼の現在の職場は、2回目の転職で出会ったもの。自分の納得するクリエイティブをつねに追求した結果、転職という選択肢を選びとって来た木村さんに、これまでの軌跡、そして現在の仕事についてお伺いしました。

[プロフィール]
きむら・やすひろ●北海道出身の36歳。東京デザイナー学院グラフィックデザイン科を卒業後、印刷系の制作会社に就職。グラフィックデザイナーとして7年ほど勤めたのち、どうしてもWeb制作にトライしてみたくなり、転職を果たす。システム系のWeb制作会社に入社し、Flashを中心にWebデザイナーとしての再スタートを切る。その後、さらにシステムと密接に関わりをもつクリエイティブを求め、ソニックジャムに入社。公私ともにFlashと3Dの可能性を求め、忙しい日々を送る。
http://www.sonicjam.co.jp/


第1話 スタートはグラフィックデザイナー

──木村さんは専門学校でグラフィックデザインを専攻されていますね。グラフィックデザインを目指した、そもそものきっかけを教えてください。
木村●もともと絵が好きだった……ただそれだけなんです(笑)。実は子どもの頃、小児喘息で身体が弱かったんですね。それで、母がなぜか絵画教室に行かせたんです。それが、そもそもの始まりと言えば始まりです。なので、何となくデザインやそういう仕事に就けたらいいなという気持ちは、比較的子どもの頃からあった気がしますね。

──木村さんは北海道のご出身ですね。専門学校入学のために上京されて……。
木村●そうですね。やっぱり「クリエイティブを目指すなら、東京でしょう!」……ということで、上京を決めました。学校も東京デザイナー学院のグラフィックデザイン科に通って。

──専門学校の2年間では、どのような勉強をされたのでしょうか。
木村●ひと通り、いろんなタイプのデザインがカリキュラムに組み込まれてたと思うのですが、当時はまだDTPは導入されてませんでしたね。パソコンを使っての授業はまだない、そんな時代でした。ちょうど僕が入学したのが1991年だったので、アナログからデジタルへの過渡期ではあったと思うのですが……。けっこう自由な学科だったので、卒業制作は大きな絵を描きました。ちょっとグロな感じの絵でしたけど……(笑)。

──当時、学校を卒業するにあたって、就職先を絞り込む際に、どのようなジャンルのデザインをやっていきたいと思っていたのでしょうか。
木村●漠然と「大きなポスターのデザインができたらいいな」と思ってまして……広告デザインの会社を探していましたね。今思うと、エディトリアルデザインなどは、なかなかその面白さがわかっていなかったような気がします。文字組みの美しさよりは、ぱっと見た感じのインパクトが強いほうに惹かれてましたね。とにかく大きいものがやりたかったんです。単純に大きいもの、ポスターなんかをやってみたかったんですね。

──では、そういう広告デザインができる会社を中心に就職活動をされたのでしょうか。
木村●そうですね。とはいっても、自分が作った作品集を持って3〜4社まわったくらいで……ちょうどバブルが崩壊して不況に入りかけた頃だったこともありましたし、あまり積極的に動かなかった覚えがあります。そんな中で一社、内定をいただきまして。

──それが初めて就職された会社ですね。
木村●はい。印刷系の制作会社にグラフィックデザイナーとして採用されました。会社は当時30人くらいの規模で、その中でグラフィックデザイナーは5〜6人くらいいた感じでしょうか。最初は先輩についてアシスタントとして修業、その後、デザイナーとして担当することができました。この会社では雑誌広告とかパンフレットとか……残念ながらポスターの仕事は少なかったのですが、広告関係が中心でしたね。でも、この会社でいろいろな基礎を教えていただいたなと思っています。当時はまだDTPがそんなに普及しきっていなかったので、最初は本当に手作業でした。写植版下の時代で……まさに版下を作っていましたね。今考えても、その経験は良かったなと思っています。文字の組み方などは、なかなかDTPから入ったデザイナーでは教えてくれる人がいないと思うので……。

──なるほど。確かに最初からDTPでやってきているデザイナーさんと、版下時代を経験しているデザイナーさんでは、文字に対する考え方が違うなと感じることもあります。
木村●そうですよね。当時、職人気質の先輩デザイナーに、いろいろと鍛えてもらった部分があった気がします。その後、Macintoshを使ってIllustratorやQuarkXPress、Photoshopなどを駆使して入稿するようになりました。当時は縦組みだとキレイに組めなかったり、印刷に出すとよくわからないエラーが出たり……そういう時代でしたね。


(取材・文:草野恵子  撮影:谷本夏)


株式会社ソニックジャム
http://www.sonicjam.co.jp/
2001年の設立当初より、企画・情報構築・デザイン・システム開発などWebサイト構築をトータルで手がけるソニックジャム。これまでにビジネス・セールスプロモーション、コーポレートサイト、会員向けウェブサービス、イントラシステム開発など多くのWebサイトを制作してきた実績をもつ。フォト・イラストクリエイティブに主軸を置いたビジュアルコミュニケーションや、FlashとDB連動のリッチクライアントアプリケーション開発などを得意とする。


ソニックジャム(自社サイト)

http://www.sonicjam.co.jp/

GROWING UP WITH SEplus

http://web-director.jp/

ニチレイ アセロラドリンク「恋する国から。」

http://www.nichireifoods.co.jp/topics/acerola/

次週は「第2話 30歳手前でWebデザイナーに転向」についてお届けします。
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