第1話 事始めはインテリアデザイナー | デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-
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様々なジャンルで活躍するデザイナーの来歴をたどるシリーズ。今回は株式会社スロウの原大輔さんを取材し、アートディレクターとして活躍する今日までの足跡をたどりま


第1話 事始めはインテリアデザイナー



原大輔さん

渋谷区大山町のオフィスにて、原大輔さん


漠然と「CMを作りたい」と思った中学時代



──小さい頃はどのような子供でした?

原●いま考えると、若干変わっていたと思うんです。生まれが長崎の田舎なので、野山を駆け上がったりするじゃないですか。もちろんそれもあったのですが、自分の世界が好きで、やっぱり絵を描いてましたね。少年漫画誌サイズの中は全部真っ白のノートを買ってもらって、自分なりに絵を描いたり。ちょっと空想癖みたいなものがあったんです。

──どんな絵を?

原●動物とか、あと歴史モノが好きでした。特に日本史で、当時買ったのが『別冊太陽』の武将の甲冑を並べているやつ。それをボロボロになるまで見て模写してましたね。あと墨絵で馬を描く人が佐世保のデパートに来たときに連れて行ってもらって、なんか引っかかったんでしょうね。次の日、筆ペン買って馬を描いてたり。

──ご家庭は美術系で?

原●いや、そんなことないです。でも、うちの父親の実家が有田なんですね。そこにご先祖様が描いたという墨絵集みたいなものが残ってて。よくよく聞いてみると、殿様に絵を描いてあげたり、雀や鳥の描き方なんかもちゃんと残してる。そういう趣味人が何代目かにいて、家系図も残ってるんです。祖父の家に行くと、それをよく見てたり真似して描いたりしてました。で、祖母の実家は伊万里焼きの管理をしてたんです。なんかしら、そういうルーツはあるのかな……。

──大雑把にいうと美術関係にあふれた環境で。

原●そうですね。まあ、街を歩けば有田焼にあふれ、そういうのは触れてましたし。その頃は意識的というよりも生活の中にあった。で、陶器市っていうのが毎年5月にあるんでけれど、うちも陶器屋さんに貸してたりしてました。

──その頃、将来の夢は?

原●意外とこじんまりしてましたよ。親父は工場で働いてて、東京というものも想像してなかった。福岡すら意識してなくて、地元で生まれて暮らすんだろうなって。でも小学校4年で名古屋に転校するんです。そこで初めて都会ってものに触れて。最初はテレビが全チャンネル映るっていうのが衝撃だった(笑)。

──相変わらず絵は好きで?

原●図画工作は5はとってましたね。モノを作るのが好きだったんです。ただ、絵とかで食べていきたいという意識はまったくなかった。その後、中2のときに今度は千葉に移るのですが、その頃、何を見たか定かではないのですが「CMをやりたい」と漠然と思い始めた。テレビを見ながら「面白いな」と。高校の頃はラグビーをやってたので、半分体育会系、半分文化系みたいなところがありましたね。

──進路の展望とかは?

原●いろいろ調べてみると、CMをやるには美大に行かないとならない、と。でも僕は冬までラグビーの全国大会を目指してて、普通はその頃、絵画の予備校とかに通うじゃないですか。だから、なかば諦めていたんです。もう美大に行かないと、そういうことができないと思い込んでたから。


DTPWORLDshoesmaster

原大輔さんの仕事より
左:『DTPWORLD』124号(ワークスコーポレーション)

右:『shoesmaster』(マリン企画)


デザインへの興味が生まれた大学時代



──専門学校とかは?

原●まったく考えてなかった。で、浪人して普通の大学に入って、バイトしていたのがお茶ノ水の「レモン画翠」という画材屋さんのやっている喫茶店だったんです。そこに美大生がバイトしてるんですよ。僕は造形大学とか受けたけど全部落ちて、商学部に進んだのですが……そのときもアメフトとか体育会のほうに行くべきか、迷ったんです。CMやデザインに興味があるなら、将来的なことを考えたらダブルスクールみたいなところに通わないとって。で、親父に相談したら「一生を考えるんだったら、デザインのほうがいいんじゃないの」と言われて。それで体育会はすっぱり諦めて、美術の専門学校に通おうと決めたんです。

──どちらへ?

原●最初は、まず「レモン画翠」のバイトの美大生たちに詳しいことを聞きました。それまで一切、触れたことがない世界で「デザインやるとしたら何がいいの?」と聞いたら「いまだったらインテリアがいいんじゃない?」と。そっちもまったく知らない分野だから、その後いろいろ本を読み始めて。

──デザイン的なものに、それまで触れたことは?

原●自分で描くとか、そういうのは一切してなかったですね。でも、見るのは好きだったんですよ。とにかく雑誌が好きで、当時『ポパイ』から『キューティ』なんかも見てました。ごっつい男が『ポパイ』の下に隠して『キューティ』を買って(笑)。

──エロ本、買うみたいですね(笑)。

原●女の子の雑誌、買うの恥ずかしいじゃないですか。それもラグビー部の友達に面白い奴がいて、自分でシャツを作るようなお洒落な奴だったんです。そいつに「面白い本あるか?」と訊いたら『キューティ』だと。そのとき、ものすごいカルチャーショックでしたね。初めてサブ・カルチャーを知って「こういう世界も面白いな」と。ファッションの世界には影響を受けなかったけど、サブカルにはすごく影響を受けました。で、なんか面白いことやりたい……と、漠然とデザインというものを意識するようになったんです。

──それがインテリアに行き着いた、と。

原●調べるのは好きなのでガーッと本を読んで、無認可ですが雑誌『室内』の学校を見つけて通うようになりました。大学も2部でしたから、昼間も勉強して「インテリアデザイナーになろう」と盛り上がって。その学校で、初めてグラフィックデザインに触れたんです。白谷敏夫さんという先生のグラフィックデザインの授業で「グラフィックも面白いな」と。そこで初めてアートディレクターという言葉を知るわけです。で、先生に「アートディレクターになりたい。どうしたらなれるの?」と訊いたんです。いわく「だったら、ちゃんとデザインの勉強して、何年かデザインを経験しないとダメだ」と。

──そろそろ就職のことも?

原●インテリアの勉強を終えてから、台湾の設計事務所の日本支社に就職しました。そこで初めてMacに触れたんです。僕ら下っ端だったので「やれ」と言われて独学ですね。そのときプレゼンシートみたいなものを作ったのですが「グラフィックってこういうものなのかな」と興味を抱き始めて。図面を引くのは好きじゃなかったんです。インテリアデザイナーを目指していたのに(笑)。でも、Macに触れて「こんなにアウトプットが簡単にできるのは素晴らしい」と思ったんです。


次週、第2話は「真剣勝負の『場』作り」を掲載します。

(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)


原大輔さん

[プロフィール]

はら・だいすけ●1971年長崎県生まれ。明治大学商学部卒業後、インテリアデザイン事務所に就職。その後、デザイン事務所勤務を経て独立。フリーランス集団「スチーム」に参加した後、自身が主宰する「スロウ」設立。現在、エディトリアルデザインを中心に活動中。http://www.s-low.com




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