様々なジャンルで活躍するデザイナーの来歴をたどるシリーズ。今回はfinch-talkの小林信広さんを取材し、アートディレクターとして活躍する今日までの足跡をたどります。
第1話 趣味はガンプラとバンド・ロゴ
渋谷区代々木のオフィスにて、小林信広さん
──小さい頃は、どんな子どもでした?
小林●やはり美術っぽいもの、作ることが好きでしたね。当時、やり遂げた感があるのはガンプラで、ブームが小学校から中学ぐらいですかね。結構、真剣にやってて、改造して自分のオリジナルを作ったり。モノを作るってことの最初の出会いというか面白さを知った時代だと思います。
──他に趣味は?
小林●普通ですよ。ゲームとか、キン肉マンの消しゴム集めたり。あと『キャプテン翼』を見ながらサッカーやったり。結構、うちに集まってゲームをやったりプラモデルを作ったり、やることは一緒のことが多かったですね。今日は何をやる、明日は何をやるって、友達と集まって遊ぶという感じでした。
──友達は多かった?
小林●そうですね。多分、小さい頃のほうが多かった(笑)。
──ご出身は埼玉のどのへんですか?
小林●熊谷市です。結構、奥地のほうですけど。
──ご家業は?
小林●鉄工業です。船の小さい部品とか、ネジみたいなものとかを作って、油だらけになるような。家の前に工場があったんです。
──子ども心に、そういう機械とか好きでした?
小林●そんなに好きじゃなかった。後に継がないかという話になってプレッシャーでし
たが……
──ご長男?
小林●そうです。結局、継がなくても大丈夫になったのですが。
──いまに繋がる原点って、その頃ありました?
小林●特になかったですね。ガンプラぐらいかな。中学になると音楽を聴き始めて、バンドのロゴとかが好きでしたね。ブルーハーツとかビートルズとか、CD買ってジャケット見たり、シールやTシャツなどのグッズを買ったり。で、カッティングシートにトレースして、ロゴを自転車に貼ったり。自転車、ステッカーだらけでしたね(笑)。
──そういうものを作る仕事に憧れたり?
小林●まだ、そういう仕事があるともわからなくて。その頃、将来の希望もまったくなかったんです。実家の仕事を継げっていう親の希望もありましたが、のらりくらり拒否していたのですが、自分の夢も特になくて。
──部活は?
小林●剣道部。それも当時『六三四の剣』という漫画があって、その影響もあって友達とチャンバラごっこをしていたから入ったんです。強くなかったけど弱くもなくて、引き分けの天才と言われてましたね(笑)。
──高校はどちらに?
小林●東京農業大学の付属です。自分の意志はあまりなくて、親の勧めと通える範囲内という理由で。場所は東松山です。自転車で1時間ぐらい。家業とも関係なくて、その頃から親も諦めていたのかも知れませんが。成績の都合もあるし、大学の付属ということも大きい理由でした。
──高校時代から専攻ってあるんですか?
小林●いや、高校の頃は普通校と変わりません。大学に行けばもちろんありますが、よその普通校と学ぶことは一緒です。入学してからはバンドを始めて、ヘヴィメタ・ブームが来るんですね。ガンズとかハードロック。そこでもロゴにこだわってまして、自分たちのロゴを作ったり。
──そっちのほうが一所懸命?
小林●でしたね(笑)。授業中も、机にロゴを描くのを通り越して彫ってましたから。
小林●やはり美術っぽいもの、作ることが好きでしたね。当時、やり遂げた感があるのはガンプラで、ブームが小学校から中学ぐらいですかね。結構、真剣にやってて、改造して自分のオリジナルを作ったり。モノを作るってことの最初の出会いというか面白さを知った時代だと思います。
──他に趣味は?
小林●普通ですよ。ゲームとか、キン肉マンの消しゴム集めたり。あと『キャプテン翼』を見ながらサッカーやったり。結構、うちに集まってゲームをやったりプラモデルを作ったり、やることは一緒のことが多かったですね。今日は何をやる、明日は何をやるって、友達と集まって遊ぶという感じでした。
──友達は多かった?
小林●そうですね。多分、小さい頃のほうが多かった(笑)。
──ご出身は埼玉のどのへんですか?
小林●熊谷市です。結構、奥地のほうですけど。
──ご家業は?
小林●鉄工業です。船の小さい部品とか、ネジみたいなものとかを作って、油だらけになるような。家の前に工場があったんです。
──子ども心に、そういう機械とか好きでした?
小林●そんなに好きじゃなかった。後に継がないかという話になってプレッシャーでし
たが……
──ご長男?
小林●そうです。結局、継がなくても大丈夫になったのですが。
──いまに繋がる原点って、その頃ありました?
小林●特になかったですね。ガンプラぐらいかな。中学になると音楽を聴き始めて、バンドのロゴとかが好きでしたね。ブルーハーツとかビートルズとか、CD買ってジャケット見たり、シールやTシャツなどのグッズを買ったり。で、カッティングシートにトレースして、ロゴを自転車に貼ったり。自転車、ステッカーだらけでしたね(笑)。
──そういうものを作る仕事に憧れたり?
小林●まだ、そういう仕事があるともわからなくて。その頃、将来の希望もまったくなかったんです。実家の仕事を継げっていう親の希望もありましたが、のらりくらり拒否していたのですが、自分の夢も特になくて。
──部活は?
小林●剣道部。それも当時『六三四の剣』という漫画があって、その影響もあって友達とチャンバラごっこをしていたから入ったんです。強くなかったけど弱くもなくて、引き分けの天才と言われてましたね(笑)。
──高校はどちらに?
小林●東京農業大学の付属です。自分の意志はあまりなくて、親の勧めと通える範囲内という理由で。場所は東松山です。自転車で1時間ぐらい。家業とも関係なくて、その頃から親も諦めていたのかも知れませんが。成績の都合もあるし、大学の付属ということも大きい理由でした。
──高校時代から専攻ってあるんですか?
小林●いや、高校の頃は普通校と変わりません。大学に行けばもちろんありますが、よその普通校と学ぶことは一緒です。入学してからはバンドを始めて、ヘヴィメタ・ブームが来るんですね。ガンズとかハードロック。そこでもロゴにこだわってまして、自分たちのロゴを作ったり。
──そっちのほうが一所懸命?
小林●でしたね(笑)。授業中も、机にロゴを描くのを通り越して彫ってましたから。
小林さんの仕事より
左:『PHaT PHOTO』2008年9-10月号 vol.47(2008年/CMS CORPORATION)
中:『WHAT's IN?』2009年4月号(2009年/SONY MAGAZINES)
右:Clammbon official magazine『HIBIKU』vol.2(2009年/トロピカル)
次回、第2話は「農大の造園学科に進学」を掲載します。
(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)
(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)
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[プロフィール] こばやし・のぶひろ●1973年埼玉県生まれ。東京農業大学、武蔵野デザイナー学院卒業。GREGE、Store inc.を経て、2002年独立。日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)会員。 |