マーク・ニューソンはなぜAppleを選んだのか?

マーク・ニューソンはなぜAppleを選んだのか?

2014年10月16日
TEXT:大谷和利(テクノロジーライター、原宿AssistOnアドバイザー)

米国現地時間の9月9日に行なわれたAppleの新製品発表イベントの少し前に、著名なインダストリアルデザイナー、マーク・ニューソンが同社に雇われたことが明らかになった。

ニューソンは、小さなものでは味の素の容器からauの携帯電話talby、ペンタックスのミラーレス一眼レフカメラK-01、ティファールのクックウェア、アレッシィの雑貨、Samsoniteのバッグ、大きいものではホテル・レストランのインテリアやバージングループの総帥であるリチャード・ブランソンが関係するスペースシャトルプロジェクトのための機体まで、さまざまなデザインを手がけてきたデザイナーだ。自身が共同設立したIKEPODという会社で腕時計や砂時計のデザインも行ない、同社を離れたのち高級時計の名門Jaeger-LeCoultreから置き時計も発表している。

デザイナー名が公表されている最新作としては、Appleへの合流と前後してHERMESから発表されたNautilusというペンがある。

一部の報道では、Appleは彼にデザイン担当上級副社長のポジションを与えたとされるが、Apple公式サイトのエグゼクティブプロフィールのページ(https://www.apple.com/pr/bios/)にも、世界中の企業の組織図や重役リストをデータベース化しているThe Official Board(http://www.theofficialboard.jp/組織図/apple)にも、原稿執筆の時点ではそのような記載はない。

また、ニューソンの公式サイト(http://www.marc-newson.com)でさえ、Appleはクライアントの一社として掲載されているのみだが、同社はニューソンに対して、イギリスの自身のスタジオで他社(むろん、同業者は除くだろうが)のプロジェクトにも関わって良い特権を許しているともいわれる。これは、Appleに所属する以前の作品についてコメントすることすら制限している同社にとっては異例の扱いだ。

しかし、その一方では、Apple Watchの発表会場となったクパティーノのフリントセンターや、フランスの高級ブティックColetteにおけるApple Watchの特別展示会の席上に、Appleのデザイン担当上級副社長であるジョナサン・アイブとともに顔を出すなど、デザインチームの重鎮としての役割もきちんとはたしている。

上記のことを総合すると、ニューソンの肩書きは「上級」のつかない「デザイン担当副社長」あたりが妥当のように思われるが、いずれにしても、特別待遇であることには変わりがないといえる。

ジョナサン・アイブ(最近では、対外的にも愛称のジョニー・アイブの名で紹介されることが多い)は、みずからが個人的に注目したデザイナーを直接リクルートして、社内のデザインチームをつくりあげてきた。ニューソンとアイブは旧知の仲でもあり、その実力と実績からしても、アイブの推薦で同社のデザイナーとなるに十分な資格を有している。

だが素朴な疑問は、スターデザイナーとして一枚看板を張ってきたニューソンが、なぜ、あえてAppleのインハウスデザイナーに加わる決断を下したのか、だ。

その答えは、彼が共同設立し、自由に采配を振るえたと考えられるIKEPODを、2012年に離れざるを得なかった理由と密接に関係しているだろう。IKEPODの設計者や技術者たちは、ニューソンの求める理想についていけなくなってしまったのである。

ニューソンは、1986年に初めてデザインした腕時計(“POD”と名付けられた)を100個、自身の手で組み立てた経験をもっている。その、いかにも完ぺき主義者的な作業を通じて、彼は構造まで含めた腕時計のデザインや製造の難しさを嫌というほど認識した。したがって、IKEPODのスタッフに対しても、それを考慮した要求を出していたはずだが、にもかかわらず、折り合いをつけられなかったことになる。

また、ニューソンは、過去の作品を振り返って、そうした製品を一緒につくりあげた人たちが非常にすぐれていたこともあれば、そうではないこともあったと述懐している。そして、IKEPODを離れてから置き時計を共同開発したJaeger-LeCoultreのスタッフについては、その知識や技能を絶賛したのだ。

あるいは、HERMESのNautilusにしても、機構面の開発と製造は日本の筆記具メーカーであるパイロットを指名し、過去4年にわたる作業で完成にこぎ着けた。ニューソン自身がパイロットのノック式万年筆のファンであったことから実現したコラボレーションだが、基本的な機構がすでに存在していながら開発に4年かかったという事実からも、彼のデザインに対する姿勢がうかがえる。

つまりニューソンは、みずからが目指すデザインを実際に高いレベルで製品化できるチームを探していたと考えられる。彼は、特に時計に対して深い関心と洞察をもっており、これからの腕時計がどうあるべきかをみずからのビジョンで示したかったとしても驚くには値しない。

その意味で、Apple Watchのインターフェースに見られる丸いアイコンも、ニューソンが好む円形のモチーフ(スペースシャトルのウィンドウにも採用した)に通じるところがあり、UI/UXデザインにも関わっている可能性が高そうだ。

また、Appleにとっても、つねに最高のものを追い求めるニューソンのデザインの方向性には自社の製品哲学と合致してしており、そのうえで、新しいテイストや発想をデザインチーム内にもたらせる存在として魅力的だったと考えられる。事実アイブは、ニューソンの才能について、素材の特性を理解し、そこから新しいデザインをつくりあげられる点を高く評価しており、今後Appleが目指すであろうリキッドメタルや3Dプリンティングを応用した製品デザインにおいても、大きな戦力となることを期待しているはずだ。

しかもニューソンは、ウェアラブルデバイスについても「今のGoogle Glassは、かけていると間抜けに見える」と、デザインが技術に追いついていないことを批判している。そして、「ファッション業界は、より素材技術の応用が進んでいる工業デザインの世界から多くを学ぶべきだ」とも語っている。

さらに、ラージウォッチの流行をつくりだし、“POD”すなわちカプセル的なものをイメージさせるボリューム感のあるデザインを得意とするニューソンの作風は、現時点ではバッテリー容量などの関係でどうしてもそれなりの厚みになるApple Watchにとてもマッチしている点も指摘しておきたい。

おそらく、Appleは今後、ウェアラブルデバイスと並行して、いわゆるIoT(モノのインターネット)分野にも積極的に進出していくだろう。このエリアと深く関係するインテリアや家電的な製品のデザインに関しても、ニューソンは長けている。だとすれば、Appleは、ウェアラブルとIoT系製品のデザインを統轄する立場に新たな上級副社長職を設け、ニューソンをそこに就かせることを考えているのかもしれない。

ファッションの世界では、ColetteでのApple Watch展示会の際にも姿を現した大御所ファッションデザイナーのカール・ラガーフェルドが、自身のブランド(現在はTOMMY HILFIGERに売却)に加えて、FENDI、Chanel、Chloeのチーフデザイナーを兼任している例がある。これに従えば、ニューソンも、自身のスタジオとAppleのリードデザイナーのポジションを兼任しても不思議ではなく、業界に先駆けてAppleがそのような試みに挑戦してもおかしくない。

目前に迫った米国時間の16日のスペシャルイベントでは、HomeKitのハブ的役割をはたすApple TVの新型が発表されるとも噂されている。その製品デザインにもニューソンの影響が見られるならば、Appleはすでにその方向に動きはじめたと考えて良いのではないだろうか。


Apple Watch




■著者の最近の記事
iPhone 6/6 PlusとApple Watchへの所感と、今後の展開予想
MacBook Airの「Stickers」篇CMの違和感
Appleはなぜ複数のウェアラブルデバイスを用意するのか
本来の意味で充実していたWWDC 2014は、秋に向けた“序章”
Appleのイベントから見えたティム・クックの強気なビジネス戦略
秋口のアップル新製品予想自己採点簿
秋口のアップル新製品発表予想とライバルの動向






[筆者プロフィール]
おおたに・かずとし●テクノロジーライター、原宿AssistOn(http://www.assiston.co.jp/) アドバイザー。アップル製品を中心とするデジタル製品、デザイン、自転車などの分野で執筆活動を続ける。近著に『iPodをつくった男 スティーブ・ ジョブズの現場介入型ビジネス』『iPhoneをつくった会社 ケータイ業界を揺るがすアップル社の企業文化』(以上、アスキー新書)、 『Macintosh名機図鑑』(エイ出版社)、『成功する会社はなぜ「写真」を大事にするのか』(講談社現代ビジネス刊)。

MdN DIのトップぺージ