2020年東京五輪の公式エンブレムについて佐野氏と組織委員会が会見(後編)

2020年東京五輪の公式エンブレムについて佐野氏と組織委員会が会見(後編)

2015年08月06日
TEXT:編集部

前編はこちら>2020年東京五輪の公式エンブレムについて佐野氏と組織委員会が会見(前編)


東京2020オリンピックエンブレム(左)と東京2020パラリンピックエンブレム(右)

2020年東京オリンピックの公式エンブレムが、ベルギーにあるリエージュ劇場(Theatre de Liege)のロゴと酷似していると指摘された問題で、2015年8月5日(水)、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会は、エンブレムの制作者である佐野研二郎氏とともに記者会見を行った。後編では、会見での主題となったデザインのポイントについて紹介していく。

9分割のグリッドをベースに“T”と正円を組み合わせたデザイン
佐野氏によるボードを用いて行われた具体的な解説では、まずはじめに、東京2020オリンピック エレメント(エンブレム上方のマーク部)のデザインにおける“中核”の設定が前提として提示された。出発点は「東京の“T”に注目し(欧文書体の)DidotやBodoniの力強さや繊細さ、しなやかさが両立されたニュアンスを活かすことができないか」(佐野氏)という発想だ。そのうえで、DidotやBodoniのR(丸み/ふところ)は楕円的であるが、佐野氏は「大きな日の丸をイメージさせるものにもなるのではと思い、“T”の文字と正円を組み合わせたデザインができるのではないか」との発想を骨格とした。


DidotやBodoniの“T”が発想の原点であることを説明する佐野研二郎氏

また、正方形を9分割(垂直3分割/水平3分割)したグリッドが作図のベースとなっていることにも言及。中央の黒いラインは下方のオリンピックシンボルの黒との対比であり、赤い丸は“鼓動”をイメージしたため左上(向かって“左上”ではなくエンブレムを主体とした“左上”の発想と思われる)に配置し、オリンピックシンボルの赤の円とラインを揃えていることが解説された。右下の銀の部分については、佐野氏は「もともとの“T”からすると上に来るのが通常だと思いますが、赤い丸を“心臓”の位置に置きたいとの考えがあり、下に配置しました。全体的に円を描けるようにすることで、1964年(東京オリンピック)のDNAを引き継ぐことにもなります。安定性や力強さ、調和も出るので(銀の部分を)右下に置いたデザインとなっています」と意図を説明している。そのほか、今回の件ではワードマーク(TOKYO 2020)の部分でも類似性が指摘されていたが、ここについては佐野氏から「今回のオリンピック・パラリンピックのために書体を作成して使用しております」との発言があった。プロジェクトごとにオリジナル書体を作成することはデザインの世界では決して珍しいことではないが、これにより少なくとも同一の“書体”であるとの指摘は否定されたこととなる(類似性については別問題)。


設計の骨格の説明としてアウトラインのボードも用意された

さらに、「今回の東京2020のエンブレムは、このエンブレムで“おしまい”ではなく、“展開”を1つの重要な要素として考えています。それは進化・変化するロゴということです」(佐野氏)と設計上の根幹を紹介。「形を変え、文字になったり、パターンになったりする展開が可能になっているエンブレムです。このエンブレムを起点に、さまざまな形に展開していくという今までになかったアイデンティティになっていると思います」(佐野氏)と主張した。その実例として、エンブレムの形を変えてA〜Zの文字などに派生させたバリエーションを公開。これらは初公開となるが、同席した東京2020組織委員会マーケティング局長の槙英俊氏より「文字への拡張性などは、だんだん拡張していく計画的な展開を考えていましたが、そもそも全体像でデザインしていただいたことをお示しするべきだと考え、本日公表させていただきました」と補足されている。


初公開となったエンブレムの“拡張性”を示すバリエーション

今後の“デザイン”への影響や私たちが考えるべきことは?
今回のデザインでは、シンプルであるがゆえの問題もある。会見では、佐野氏も「最終的にエンブレムやロゴはシンプルでなければならない。たとえば(今回のように)アルファベットを主軸に作っていくと、どうしても類似するものが出てくることはある」と難しさを吐露したうえで、「一部分だけ取り出したりすれば、似ている所はもちろんあると思うのですけれども、全体を見ていただければそれは全くない」と主張した。シンプルさの追求は、すなわち要素を“削ぎ落とす”ことであり、1つの“正解”を目指すデザインでもある。今回の余波が“シンプルなデザイン”というものに大きく影響を及ぼす可能性も懸念されるが、それについては社会全体での慎重な熟考が求められるところだ。

巷では、当事者である双方それぞれに対して、辛辣な言葉が投げかけられていることもある。だが、現時点では決して第三者が判断を下せる状況ではない。本記事の読者には、根拠のない“過剰”な非難は避け、冷静に事態の推移を見守ることを呼びかけたいところだ。それと同時に、あらためて今回の件は、作品の“良し悪し”も含め、いかにデザインが社会と密接な関係にあるかということを感じさせる。デザインの仕事に携わる者は、そのことを再確認し、身を引き締めて自らのデザインに対峙することが望まれる。

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