「P.A.セミ社を買収したアップル社の企みは?」



「リスク分散か、新たなる挑戦か
P.A.セミ社を買収したアップル社の企みは?」
2008年5月9日

TEXT:大谷和利
(テクノロジーライター、原宿AssistOnアドバイザー)


先ごろ、アップル社が低消費電力プロセッサを開発しているP.A.セミ社を買収して話題となった。アップル社(つまり、スティーブ・ジョブズ)は、このタイミングでなぜプロセッサ会社を必要としたのだろうか? この疑問の答えを探す前に、少し過去を振り返ってみたい。

アップル社がMacの使用CPUをインテル化したのは時間の問題だったと見る向きもあるが、同社は別にPowerPC自体を嫌っていたわけではない。ただ、本来のロードマップ通りに進まない同チップの開発状況にいらだちを覚え、そのままでは市場競争力を失うと考えてインテル化に踏み切ったのだ。

もちろん、インテルCPUを利用することによるコスト面でのスケールメリットや、Boot Campや仮想化ソフトによるWindowsのネイティブサポートなど、副次的な利点はある。それが、Windowsユーザーのスイッチングに貢献していることも事実だ。

しかし、その一方で、CPUとその周辺チップに関してWindowsと同じ土俵の上に立つことになり、差別化のポイントをひとつ失うとともに、インテル社からの最新チップの安定供給の確保をライバルメーカーたちと競う状況に陥った。

たとえば、ウォール・ストリート・ジャーナルによれば、インテル社のMID(モバイル・インターネット・デバイス)向けの新型省電力プロセッサ「Atom」は、3月の時点で業界10社が採用を表明し、すでに供給不足の様相を呈しているという。また、採用企業のひとつで人気の低価格マシン「Eee PC」を擁するエイサステック・コンピュータは、この供給不足が少なくとも9月期まで続くと見ている。

当初、「Atom」は、次期iPhoneやiPod touchにも採用されるものと思われていたが、このような状況下では、アップル社の需要を満たせるかどうか不透明だ。スティーブ・ジョブズが、他社の都合で自らのビジネス計画に支障が出ることを極端に嫌うという点を考えると、そのリスクを回避するために自社でCPUを確保する道を選択したとしても不思議ではない。

実は、P.A.セミ社の創立者は、かつてアップル社がNewton製品で採用し、現在のiPhone/iPod touchラインのCPUアーキテクチャのベースともなっているRISC系のStrongARMチップの設計者である。しかも、現在の主力製品である高性能・低消費電力プロセッサの「PWRficient」は、アップル社がかつてMacに採用していたPowerPCと同じIBMのPowerアーキテクチャに基づくもので、技術的に見ても両社は非常に近いところを歩んできた。

特に注目されるのは、P.A.セミ社が「PWRficient」の性能とスケーラビリティについて、シングルコアからオクタ(8)コアまで対応し、低消費電力を実現しながら、プリンタやゲーム機からスーパーコンピュータにいたるまでサポートできるとしている点だ(実際のところ、2005年の時点でも同社のプロセッサの性能は、当時のPowerPC G5を上回っていた)。つまり、「PWRficient」は、PowerPCが高性能さと省電力性を兼ね備えていればこうなったのではと思える存在であり、見方によってはアップル社が理想としたCPUの姿にほかならないのである。

この観点に立って想像を逞しくすれば、アップル社はiPhoneやiPod touchはもちろん、AppleTVやMacintoshラインでも「PWRficient」を採用してくる可能性がまったくないとは言えなくなる。同社は過去に何度もCPUのアーキテクチャ変更を乗り切ってきたうえ、現行のユニバーサルバイナリで提供されるOSとソフトウエアならば再びPowerPC系のプロセッサに戻すことも容易であり、しかもインテル化のときと同様に、CPUの変更にはほとんど気づかれないほど巧みに移行を進められるに違いない。

もっとも、PowerPC系に立ち返った場合、Boot Campや仮想化によるWindowsサポートができなくなるため、コンシューマー向けモデルではユーザーのスイッチングを促せなくなる可能性が高い。だが、サーバーであるXserveや、あくまでもMac OS Xとしてのハイエンド性能が求められるMac Pro、そして情報家電に近いAppleTVならば、その部分を無視しても「PWRficient」を使うメリットが出てくる。

さらに未確認ではあるが、「PWRficient」は、独自CPUの上に仮想化されたPowerPCマシンを動かしているという情報もあり、もしも同じレベルでインテル系チップの仮想化が可能だとすれば、上で触れたWindowsサポートの問題すら解決できるかもしれない。

……などと、上記の見方は、いささか穿ちすぎと思えるものの、常にサプライズなビジネス戦略を打ち出すジョブズゆえ、あらゆる可能性を考慮する必要がある。同社は、ハード、OS、ソフト、そしてサービスを統合的に開発することで製品の競争力を高めてきたが、もしここにCPUが加われば、それこそ自らが実現したい機能をプロセッサレベルでサポートしていくことができるようになるのだ。そして、それがPowerPC系アーキテクチャを持つならば、将来的にXboxやWiiに対する外販すら考えられる(実際には、PS3のCellプロセッサもPowerPC系アーキテクチャだ)。

それがあまりにも妄想だと言うのならば、確実なことをひとつ最後に書いておきたい。それは、アップル社が「PWRficient」プロセッサを手中に収めた結果、実際にそれを製品に使うかどうかは別として、今後のCPU供給に関するインテル社との交渉を有利に進められるという点だ。

スティーブ・ジョブズは、何が自らの強みとなり、何が相手の弱点なのかを常に見据えている。それが、今回のP.A.セミ社の買収劇にも如実に表れたといえるだろう。





[筆者プロフィール]
おおたに・かずとし●テクノロジーライター、原宿AssistOn(http://www.assiston.co.jp/)アドバイザー。アップル製品を中心とするデジタル製品、デザイン、自転車などの分野で執筆活動を続ける。近著に『iPodを作った男 スティーブ・ ジョブズの現場介入型ビジネス』(アスキー新書)、 『Macintosh名機図鑑』(エイ出版社)。



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