コンテンツマーケティングの基本に忠実なネイティブアドを作れ!
コンテンツマーケティングの基本に忠実なネイティブアドを作れ!
2015年05月11日
TEXT:小川 浩(シリアルアントレプレナー)
TEXT:小川 浩(シリアルアントレプレナー)
サイバーエージェントが、アメブロ上でのステマ問題で“炎上”したことは記憶に新しいが、今度は記事広告へのクレジット記載を意図的に回避して(いわゆるノンクレ記事=ノン・クレジット記事で)消費者を騙しているのではないか、という疑義に揺れている。(参照:http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamamotoichiro/20150430-00045307/)
これがどういうことかというと、広告なのに広告ではないような体裁で記事をつくっているということである。広告表記を掲載すると消費者が読んでくれない可能性があるので、意図的に外す――つまり嘘をつく、ということだ。本件についてはいろいろ解説しているメディアが多いが、単純にいって
・お金をもらって書いた記事であれば、それは広告である
・広告であるならば広告と表示しなければならない
この定義に外れたことをすれば違法ということだ。ただ、この問題には、ネイティブアドに関する根本的な認識のまちがいがあると僕は思う。
インターネット広告におけるさまざまな標準コンセプトをまとめていく団体であるインターネット広告推進協議会(JIIA)は、ネイティブアドを以下のように定義付けた。
【ネイティブ広告の定義】
デザイン、内容、フォーマットが、媒体社が編集する記事・コンテンツの形式や提供するサービスの機能と同様でそれらと一体化しており、ユーザーの情報利用体験を妨げない広告を指す。(参照:https://www.jiaa.org/release/release_nativead_150318.html)
日本では最近、ネイティブアドネットワークと銘打ったサービスを提供する企業が多く出ているが、その多くが提供するネイティブアドシステムは、じつは上記の定義に合っていない。どういうことかというと、デザインとフォーマットは近いが、内容自体は媒体(メディア)の編集記事と一体化しているわけではないからだ。実態は記事へのクリックを誘発するヘッドラインやバナーだけを提供しているだけだ。
僕が思うに、これと同じようにサイバーエージェント(や、ほかにも疑惑をかけられている媒体)の該当する記事は、真にネイティブアドといえる領域に至っていないのだ。だから、広告表記を外さなければ読んでもらえないと恐れることになる。
僕は以前から、ネットメディアのトレンドを以下のようにまとめている。
・Webメディアの雑誌化
・編集スキルのデジタル化ニーズの増大
・SEOからSMOへの転換加速
このうち、もっとも重要なのは、Webメディアが雑誌化に向かっている――というより、そうならなければならない、ということだ。雑誌には非常に多くの記事広告、タイアップ広告がならんでいるが、特に高級女性ファッション誌になれば、その内容も見せ方も、広告と表記されていたとしても、すぐれたクリエイティブで制作されている。だからこそ、逆に読者も気にしない。
現在のWebメディアにおいて、そこまでクリエイティブな記事制作をしよう、真のネイティブアドをつくろうという動きは、少なくとも国内では見えていない気がする。そしてそれこそが問題なのだ。ネイティブアドはコンテンツマーケティングと直結する考え方であり、良いコンテンツをつくって初めてネイティブアドといえるのに、そのコンテンツにあまりに自信がないから、姑息な手段に出てしまう。
思うに、JIIAはネイティブアドの定義を決めたり、出し方を指南していくよりも、広告として制作された記事自体の評価を行い、優秀な広告記事の作り手を表彰するような制度を整えたらどうだろう?
テレビCMやポスター、静止画的な広告にはそのクリエイティブを讃えるような制度があるが、クリックを誘発するバナーやタイトル、そしてその後に続くランディングページに記載されるテキストを中心としたコンテンツ。ネイティブアドを構成するすべての要素をまとめて評価する制度をつくるべきだ。
広告業界は、見た目のクリエイティブのみ過度に反応している。ネイティブアドは、テキストを軸としたフォーマットだ。そのフォーマットをベースとした評価制度を整えることが、胸を張ってこれは広告だ、それでも読んでもらえるはずだという作り手の誇りを生み、ひいては広告業界に蔓延する自虐的な自信のなさからくるまちがった手法への依存を、綺麗に除去していくと考える。
これがどういうことかというと、広告なのに広告ではないような体裁で記事をつくっているということである。広告表記を掲載すると消費者が読んでくれない可能性があるので、意図的に外す――つまり嘘をつく、ということだ。本件についてはいろいろ解説しているメディアが多いが、単純にいって
・お金をもらって書いた記事であれば、それは広告である
・広告であるならば広告と表示しなければならない
この定義に外れたことをすれば違法ということだ。ただ、この問題には、ネイティブアドに関する根本的な認識のまちがいがあると僕は思う。
インターネット広告におけるさまざまな標準コンセプトをまとめていく団体であるインターネット広告推進協議会(JIIA)は、ネイティブアドを以下のように定義付けた。
【ネイティブ広告の定義】
デザイン、内容、フォーマットが、媒体社が編集する記事・コンテンツの形式や提供するサービスの機能と同様でそれらと一体化しており、ユーザーの情報利用体験を妨げない広告を指す。(参照:https://www.jiaa.org/release/release_nativead_150318.html)
日本では最近、ネイティブアドネットワークと銘打ったサービスを提供する企業が多く出ているが、その多くが提供するネイティブアドシステムは、じつは上記の定義に合っていない。どういうことかというと、デザインとフォーマットは近いが、内容自体は媒体(メディア)の編集記事と一体化しているわけではないからだ。実態は記事へのクリックを誘発するヘッドラインやバナーだけを提供しているだけだ。
僕が思うに、これと同じようにサイバーエージェント(や、ほかにも疑惑をかけられている媒体)の該当する記事は、真にネイティブアドといえる領域に至っていないのだ。だから、広告表記を外さなければ読んでもらえないと恐れることになる。
僕は以前から、ネットメディアのトレンドを以下のようにまとめている。
・Webメディアの雑誌化
・編集スキルのデジタル化ニーズの増大
・SEOからSMOへの転換加速
このうち、もっとも重要なのは、Webメディアが雑誌化に向かっている――というより、そうならなければならない、ということだ。雑誌には非常に多くの記事広告、タイアップ広告がならんでいるが、特に高級女性ファッション誌になれば、その内容も見せ方も、広告と表記されていたとしても、すぐれたクリエイティブで制作されている。だからこそ、逆に読者も気にしない。
現在のWebメディアにおいて、そこまでクリエイティブな記事制作をしよう、真のネイティブアドをつくろうという動きは、少なくとも国内では見えていない気がする。そしてそれこそが問題なのだ。ネイティブアドはコンテンツマーケティングと直結する考え方であり、良いコンテンツをつくって初めてネイティブアドといえるのに、そのコンテンツにあまりに自信がないから、姑息な手段に出てしまう。
思うに、JIIAはネイティブアドの定義を決めたり、出し方を指南していくよりも、広告として制作された記事自体の評価を行い、優秀な広告記事の作り手を表彰するような制度を整えたらどうだろう?
テレビCMやポスター、静止画的な広告にはそのクリエイティブを讃えるような制度があるが、クリックを誘発するバナーやタイトル、そしてその後に続くランディングページに記載されるテキストを中心としたコンテンツ。ネイティブアドを構成するすべての要素をまとめて評価する制度をつくるべきだ。
広告業界は、見た目のクリエイティブのみ過度に反応している。ネイティブアドは、テキストを軸としたフォーマットだ。そのフォーマットをベースとした評価制度を整えることが、胸を張ってこれは広告だ、それでも読んでもらえるはずだという作り手の誇りを生み、ひいては広告業界に蔓延する自虐的な自信のなさからくるまちがった手法への依存を、綺麗に除去していくと考える。
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[筆者プロフィール]
おがわ・ひろ●シリアルアントレプレナー。著書に『ビジネスブログブック』シリーズ(毎日コミュニケーションズ)、『Web2.0BOOK』(インプレス)、『仕事で使える!「Twitter」超入門』(青春出版社)、『ソーシャルメディアマーケティング』(ソフトバンククリエイティブ/共著)などがある。
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