コンテンツ消費がもたらす悲劇的な結末。メディアがコントロールを失っている理由

コンテンツ消費がもたらす悲劇的な結末。メディアがコントロールを失っている理由



2016年2月22日
TEXT:小川 浩(シリアルアントレプレナー)

現在、ありとあらゆるメディアにおいて、コンテンツ消費の最小単位はどんどん細く小さくなっている。

一般社団法人 日本レコード協会の統計によれば、2015年に発売されたCDは、約16,000枚(邦楽:洋楽=10,000:6,000)。ダブっている曲もあるだろうし、複数曲を含むCDももちろんあるから、明確な曲数はわからないが、ざっくり30,000曲はあると思っていいだろう。

このうち、我々が覚えている曲、せめて聞いたことがある曲はどれだけあるだろうか。というよりも、1曲を通してフルコーラス聴いたことがある曲は、どれだけあるだろう。

例えば、最近話題の人気アーティスト ゲスの極み乙女の代表曲「私以外私じゃないの」は、さすがに知っているのだが、実はサビの部分しかとっさにフレーズを思い出すことができない・・・。あなたはいかがだろう?

つまり、音楽というコンテンツは、CDというパッケージどころか、3-5分程度の一曲分のパッケージさえ、完全に消費してもらいづらくなっている。もはやコンテンツの消費単位としては、フレーズ単位になっている。

フレーズを超えた、長尺の楽曲とその集合体としてのパッケージは、もはやライブの中でしか成立しない。

そして、この変化に敏(さと)いアーティストは、CDを含め、楽曲そのものはほぼライブへの集客ツールと悟り、それらを細分化してでも極力多くのリスナーにリーチさせ、お金を稼ぐのはライブ、と心得ている。マドンナやプリンスなど、往年のスターはその実践者と言える。

特にマドンナは、インスタグラムなどソーシャルメディアを使いこなし、多くの情報を発信しており、すべての行動をライブへの集客につなげることを徹底している。

さて、この傾向はすべてのコンテンツへと波及している。

音楽の最小消費単位がいまやフレーズに過ぎないように、動画もまた短尺の動画消費が主流だ。細小消費単位となるのは、数秒から最大でも1-3分の動画だ。直接課金できるのは、音楽におけるライブであり、動画におけるドラマや映画だ。

文字情報をメインとする新聞や雑誌の場合は、端的に内容を知らしめるタイトル+サムネイル画像、いわばヘッドラインが音楽におけるフレーズ同様 細小消費単位となる。新聞紙や雑誌というパッケージは破壊され、記事ごとに細分化されてさまざまな場所で消費される。

このように、メディアはいまや、最小消費単位のさらなる細分化、という波にさらされており、カタストロフィーというかエントロピーの増大というか、とにかくメディア業界がコントロールを失っていくという流れはもはや不可逆な傾向なのだ。

この流れを理解し、マドンナのように、どこで自分の価値を換金するかを心得た者だけが、今後のコンテンツ制作やメディア運営において、生き残る資格を持つのである。


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[筆者プロフィール]
おがわ・ひろ●シリアルアントレプレナー。著書に『ビジネスブログブック』シリーズ(毎日コミュニケーションズ)、『Web2.0BOOK』(インプレス)、『仕事で使える!「Twitter」超入門』(青春出版社)、『ソーシャルメディアマーケティング』(ソフトバンククリエイティブ/共著)などがある。
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