Apple Watchの次の一手、アップルのウェアラブル戦略は変わったのか?

2017年7月10日
TEXT:大谷和利(テクノロジーライター、AssistOnアドバイザー)
Apple Watchは、初代モデルでは最先端のファッションアイテムとしての側面が強調され、Series 2登場後はウェアラブルなフィットネスツールとしての魅力を全面に出したマーケティングに切り替わった。一部のメディアでは、これをアップルの販売戦略の失敗とする見方を示していたが、果たしてそうだろうか? ここでは、Apple Watchの持つポテンシャルから、ティム・クックが目指すもう1つの価値と思惑を考察する。

▷初代モデルからの販売戦略

Series 2登場後の販売戦略の転換に対して、一部メディアは、この製品をアップルが高価なファッションアイテムとして市場に浸透させることができなかったので、価格も下げて、より実用面を強調する方向に舵を切ったものだと報じた。もともと、アップル自体がApple Watchの正確な販売台数を公表していないことが憶測を呼んでいるわけだが、同じ時期にまったく違う調査結果を提示して、十分売れていると主張するメディアもあった。

アップルは伝統的に高付加価値、高利益率の販売戦略を展開しているが、新ジャンルの製品を発売した当初は特にその傾向が強い。魅力的で唯一無二の製品を作れば、多少高価でも必ず購入するアーリーアダプターが存在することを知っているからだ。

数字がアップル内部の販売目標に届いたかどうかは別として、Apple Watchは同社にとってまったくの新ジャンル製品であり、まずアーリーアダプターやオピニオンリーダーに行き渡らせることが重要だった。それを思えば、筆者としては、ハードウェアが熟したSeries 2以降にフィットネスの側面を強調し始めたのは、当初の計画通りだったように感じられる。

もちろん、実際の売れ行きに応じて軌道修正をしないわけではなく、むしろ、企業としてはそうしないほうが不思議である。Apple Watchの初期リリースでは、まず戦略の第一段階として質の良さをアピール。ウェアラブルデバイスに興味のない層からの注目度や認知度を上げるためにも、全体に高めの価格設定とし、話題性のあるゴールドのエディションモデルまで用意するなどしたものと考えられる。もしもこの時点でフィットネスを前面に出し、押さえ気味の価格で販売していたなら、他の製品との差別化を図りきれなかったのではないだろうか。

逆にいえば、市場をリードするために2015年に初代モデルを発売することはマストだったが、同様に、そこから1年でSeries 2の仕様を満たして発売することがプロジェクトチームにとってはクリティカルでもあった。結果として、性能とバッテリー駆動時間の大幅な向上が実現したからこそ、一般ユーザーを対象にする体制が整ったと判断でき、価格を下げてフィットネス支援の側面を強く打ち出せるようになった。そして、いよいよ次の一手を繰り出すための環境が整ったのである。


▷本体とバンドを分けた深慮遠謀

Apple Watchの応用分野のうち、当初から有望視されながら、まだ現実には具体的な進展が見えにくいものとして、血糖値や血圧を常時モニターすることで健康管理や病気の予防、治療経過のフォローなどに利用するという使い方がある。Apple Watchは、初代、Series 1、Series 2のすべてに心拍センサーが備わっているが、それ以外の生体データを計測する手段は内蔵されていない。むろん、初代モデルのときから本体のバンド装着部内側の小さな内部アクセスハッチの存在は知られており、将来的にはバンドを利用してバッテリー容量や機能の拡張が行われるのではとの憶測を呼んできた。

そして、ここにきてアップルは、これまで難しいとされてきた非侵襲型の血糖値センサーを完成させ、量産化の目途がたったとされている。

実は日本でも、この分野の研究開発は以前から続けられてきた。たとえば、日本原子力研究開発機構の量子ビーム応用研究センターでは、中赤外レーザー光がグルコース分子に吸収される性質を利用して、皮膚に照射したときの入射光と反射光の差分から血糖値を割り出す技術を確立し、手のひらサイズの測定機も試作済みだ。ところが、それでもウェアラブルサイズとまではいえず、輸入パーツに依存したコストやメンテナンス面での問題もあり、また、より規模の大きな臨床研究を行うため体制を整えることも難しいため、研究者自身、実用化には課題が多いことを認めているというのが現状だ。

これに対し、すでに千数百万台規模のApple Watchを世に送り出しながら数多くの専門医と連携し、医薬品や医療器具の規制と認可に深く関わっているFDA(アメリカ食品医薬品局)とも協議を重ねてきたアップルは、これらの課題をすべてクリアできる能力を備えている。

その上で、現実的なビジネスのために、アップルが本体とバンドの役割を分けたことが大きな意味を持つ。アップルは、Apple Watchの本体が医療機器には該当しないように、注意深くプロジェクトを進めてきたのだ。

というのは、医療でも使える精度の特殊なセンサーを組み込めば、それがハードウェアのコストに上乗せされることに加えて、FDAの認可プロセスに時間がかかり、市場へのタイムリーな製品投入ができなくなる恐れがある。しかし、本体とバンドを分離し、後者で医療用センサーをサポートする仕組みにすれば、本体はFDAの認可とは関係なしに販売でき、特殊センサー付きのバンドのみ医療機関を通じて必要とされる患者に販売、あるいは貸与することが可能だ。これにより、Apple Watchの価格や販売ルート、発売スケジュールに影響を与えることなく、医療機器としてきちんと管理された状態で普及させていけるようになるわけだ。


▷医療分野での進撃の始まり

コンシューマー機器として量産し、ベースとなる本体の価格をリーズナブルな範囲に留めながら、社会的にも意義のある医療用のウェアラブルデバイスとしての応用も両立させるには、Apple Watchをこのような構造にすることが不可欠だった。しかも、本体側の性能面では、おそらく初代モデルでも特殊センサー利用に十分な処理能力が確保されていると思われ、だからこそその時点から内部アクセスハッチを設けていたのだと言える。

一度、血糖値センサーが世に出て、ウェアラブル環境で使えることの有効性が広く認知されれば、他のセンサーメーカーや研究機関がアップルと組んで医療用バンドを実用化する動きも加速すると思われ、それで多くの命が救われたり、生活の質を向上させる患者も増えるに違いない。

それこそが、フィットネスを前面に出しつつも、ティム・クックが目指すApple Watchのもう1つの価値であり、アップルはそのウェアラブル戦略を変えたのではなく、1つずつ段階を踏んで実現しているというべきなのだ。



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[筆者プロフィール]
大谷 和利(おおたに かずとし) ●テクノロジーライター、AssistOnアドバイザー
アップル製品を中心とするデジタル製品、デザイン、自転車などの分野で執筆活動を続ける。近著に『iPodをつくった男 スティーブ・ ジョブズの現場介入型ビジネス』『iPhoneをつくった会社 ケータイ業界を揺るがすアップル社の企業文化』(以上、アスキー新書)、 『Macintosh名機図鑑』(エイ出版社)、『成功する会社はなぜ「写真」を大事にするのか』(講談社現代ビジネス刊)。
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