「iPad普及に賭けるジョブズの意気込み」



「iPad普及に賭けるジョブズの意気込み」
2010年3月23日

TEXT:大谷和利
(テクノロジーライター、原宿AssistOnアドバイザー)

iPadの出荷時期が迫り、一部の有力デベロッパーにはテスト用の実機の供給も開始されたとの噂もある今日この頃。アメリカでの予約開始初日に推定120,000件の注文があったと言われるこのデバイスが、アップル社を率いるスティーブ・ジョブズにとってどのような意味を持つのかを考えてみた。


“iPad Keyboard Dock”と公認伝記本をつなぐ糸

前回、iPadの発表時に意外に思ったものとして、専用の“iPad Keyboard Dock”を挙げた。

アップル社は、つい先頃、アップルストアからiPhoneやiPod向けの画面保護フィルム製品をすべて予告なしに撤去させたほどの会社である。

iPadの発売を前にしたこの動きには、たぶん、iPhone/iPod/iPadは(タッチ面の触感が変化したり、剥がれかかると見栄えが悪くなる)保護フィルムなしに使ってもらうのが一番美しく、また最近のモデルはスクリーン自体の表面が傷つきにくくなっているという事実をアピールする狙いがあるのだろう。


充電用のDockとフルサイズキーボードを統合した「iPad Keyboard Dock」


もちろん、「アップル社は」と書いたが、この決定がスティーブ・ジョブズの鶴の一声でなされたことは想像に難くない。そこまで製品の美観や使い方にこだわる人物が、iPhoneでも用意しなかった純正外付けキーボードをiPad用に開発させた。繰り返しになるが、そこには高等教育市場攻略への並々ならぬ決意が感じられる。

すでに米国オレゴン州のジョージ・フォックス大学のように、9月の新学期から新入生にMacBookかiPadを選択させるポリシーを打ち出したところもあるが、単に低価格で魅力的なマシン(iPad)やアプリケーション(iWorkなど)、そしてインタラクティブな電子教科書が提供されるだけでは、導入決定に際して超えられない壁が存在する。それは、長文の文書作成に耐えうるテキストの入力方法だ。「タッチキーボードだけで論文が書けるのか?」という疑問を有無を言わさず封じ込めるためにも、“iPad Keyboard Dock”の開発は必須だった。

おそらく、その決断をするにあたって、ジョブズは彼なりに葛藤したものと思う。しかし、最終的には自分の理想とのギャップに多少目をつぶっても、iPad普及のために実を取ったのだ。

その後、ジョブズのiPadに賭ける意気込みを改めて感じたのは、彼と親しいライターが公認の伝記を執筆中という話が伝わってきたときのこと。彼は、プライバシーの公開を極端に嫌い、非公式の伝記・評伝の類をアップルストアに置かせないようにしている。そもそも自分の業績に自負はあっても、ジョブズには、それを晴れがましく自慢することを避けるシャイな一面もある。

そんな彼が、あえて伝記を用意させているとすれば、その目的はただひとつ。それをiPad向けのiBook Storeのみで限定配信することだ。そうすれば、公式伝記を読むうえで、iPadの購入が必須となる。

そこまでしてiPadの普及を推進するのは、彼自身の引退はまだ少し先だとしても、やはり2回の大手術から生還した身として、陣頭指揮を執る新規ハードウェアプラットフォームの立ち上げは、これが最後だと思っているためではないだろうか。

考えてみれば、Apple I、Apple II、Apple III、Lisa、Macintosh、iPod、iPhoneと、過去にジョブズがアップル社において多少なりとも関与したプラットフォームは7つあり、そのうち、Apple IIIとLisaを除く5つを(Macのような紆余曲折はあっても)成功に導いてきた。

スティーブ・ジョブズはiPadを6番目の成功例として確実なものとし、何年先に宣言するかは別だが、自身のキャリアを締めくくるに相応しいハードウェアプラットフォームに成長させようとしていることは間違いない。それが、“iPad Keyboard Dock”と公認伝記本という、およそジョブズらしからぬ、そして互いに無関係と思える2つのアイテムから筆者が感じ取ったことなのである。



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[筆者プロフィール]
おおたに・かずとし●テクノロジーライター、原宿AssistOn(http://www.assiston.co.jp/) アドバイザー。アップル製品を中心とするデジタル製品、デザイン、自転車などの分野で執筆活動を続ける。近著に『iPodをつくった男 スティーブ・ ジョブズの現場介入型ビジネス』『iPhoneをつくった会社 ケータイ業界を揺るがすアップル社の企業文化』(以上、アスキー新書)、 『Macintosh名機図鑑』(エイ出版社)。


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