Apple Musicはアーティストとリスナーにとってプラスかマイナスか?

Apple Musicはアーティストとリスナーにとってプラスかマイナスか?

2015年08月26日
TEXT:大谷和利(テクノロジーライター、原宿AssistOnアドバイザー)



もっとも早く登録したユーザーでも、依然として無料の試用期間中にあるApple Musicだが、登録者が1100万人を突破した一方、サービス継続中のユーザーはその79%にあたることをApple自身が明らかにした。

MusicWatchによる別の調査(対象はアメリカ国内の5000人)では、自動更新のオフ率は61%にのぼるというが、それらのユーザーが単純に試用期間後に退会するとは限らない点には注意すべきだろう。なぜなら、知らぬ間に課金サービスに移行するよりは、確認して考えるステップが欲しいという場合もあるためだ。

さらに、先行するSpotifyの場合でも、2000万人という有料会員数は登録者全体の36%にすぎない。無料会員と試用期間中の無料ユーザーとでは当然意味合いは異なるが、Apple Musicで最悪のケースとして自動更新オフのユーザーが全員退会した場合でも、39%にあたる有料会員が残るならば、開始後3カ月のサービスとしては悪くない数字といえよう。したがって、これらの数字を基に「Apple Musicの前途に暗雲」といった論調の記事が散見されるものの、その判断は時期尚早といわざるをえない。

ところで、音楽配信サービスが、利便性と引き換えに音楽の価値を下げ、アプリや誰かの勧めるままに聴く習慣がアーティストの存在を希薄にするとの指摘もある。しかし、Apple Musicには「はじめての◯◯」という形でアーティストやジャンルごとの入門プレイリストなども数多く用意されており、リスナーがその気になれば、画一化するラジオやテレビの音楽番組などよりも新しい音楽との出合いを簡単に実現できると感じている。

24時間無休のインターネットラジオ局・Beats 1にしても、言語の壁や選曲の好き嫌いはあるだろうが、かつてのラジオの輝きを取り戻そうとする試みだ。現状のApple Musicでは、生放送のラジオ局が一局しかない(ライブではないチャンネルは多数用意されている)状態だが、将来的にはBBC Radioのように複数のライブチャンネルが整備されていくのかもしれない。

また、楽曲の送り手と受け手との交流の場となるConnectも、本来はアーティストの存在感を高めるための工夫といえる。現状では、すでにFacebookやTwitterなどのコミュニケーションチャンネルをもつアーティストが多いので、Connectはまだ(というよりも、前身にあたるPingの時代から引き続き)うまく機能していないが、逆にそうした既存チャンネルではプレゼンスを高めにくい新人にとっては、Connectを使いこなすことがブレークするチャンスにつながる可能性もある。

アーティストの印税に関しても、Information is Beautiful(http://www.informationisbeautiful.net/visualizations/spotify-apple-music-tidal-music-streaming-services-royalty-rates-compared/)によれば、Apple Musicの場合、一再生あたりの取りぶんは0.13セントで、これは同0.11セントのSpotifyよりもわずかながら高い程度になっている(ちなみに、YouTubeは同0.03セント)。

これを、CDや楽曲販売の印税と比較して数十分の1~100分の1になったという議論もあるが、この点はピーター・バラカン氏も指摘しているように、販売モデルでは一回だけの収入なのに対し、ストリーミングの場合は、再生回数に応じた掛け算になる点を考慮すべきだ。たとえば、Jay-Z(著名なラッパー、プロデューサー)が買収したTidalは、一再生あたりの印税が0.70セントとアーティスト寄りの設定となっているが、購読者数が50万人しかいないため、統計的に考えて実際の再生数はSpotifyやApple Musicよりも圧倒的に不利になる。

逆に購読者数が多く、すぐれた楽曲が繰り返し再生されるサービスならば、アーティストの収入は売り切りの販売モデルよりも多くなる可能性もある。CDは、アルバムごとだと印税がストリーミング一曲一再生あたりの700倍近くになるものの、曲単位での比較では(収録数にもよるが)70倍程度まで下がる。このくらいの違いであれば、すぐれた楽曲をひとりのリスナーが何度も再生したり、追加負担のないストリーミングのおかげでリスナー自体が増えることで、埋められない差ではないように感じる。

加えて、筆者自身もそうだが、ダウンロード販売のiTunes Storeでは曲単位での購入が多かったのに対し、購読モデルのApple Musicではアルバム単位でのストリームも増えた。その意味で、一度は崩れかかったアルバムという概念の復権につながる予感もしている。しかも、Apple Musicでは、一再生あたりの印税計算が、すでに購入済みの楽曲(=印税取得済み)に関しても適用される。また、もし異なる複数のストリームサービスを利用(または乗り換え)しても、個々の印税が加算されるため、楽曲の権利者にとっては切り売りより有利に働く面もある。

ちなみに、Apple Musicにおける無料期間後のAppleのレベニューシェアは、アメリカ国内で28.5%、国外の平均で約27%(エディー・キューの部下であるロバート・コンドルクの公式コメント)であり、これらの数字は、ストリーミングサービスでは標準的なものなので、そのこと自体が問題化することはなさそうだ。

だが課題は、印税率以上にその行方にあり、既存の音楽業界の枠組みでは、権利者(レーベル、音楽出版社、版権所有者、著作権協会など)が複雑に絡み合い、利益を分配しているため、中間搾取的なものが多い。

現状では、2万を超えるインディーズのレーベルも、インディーズ専門の大手版権会社を介してApple Musicと契約しているが、アーティストとリスナーをよりダイレクトに結びつけることがストリーミングサービスの使命ではないだろうか。そのための契約手続きの簡略化などを含め、デジタルだからこそ可能な透明性の向上を推進していくならば、そのときこそApple Musicは、アーティストとリスナーにとってほんとうの意味でプラスの存在となるはずだ。




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[筆者プロフィール]
おおたに・かずとし●テクノロジーライター、原宿AssistOn(http://www.assiston.co.jp/) アドバイザー。アップル製品を中心とするデジタル製品、デザイン、自転車などの分野で執筆活動を続ける。近著に『iPodをつくった男 スティーブ・ ジョブズの現場介入型ビジネス』『iPhoneをつくった会社 ケータイ業界を揺るがすアップル社の企業文化』(以上、アスキー新書)、 『Macintosh名機図鑑』(エイ出版社)、『成功する会社はなぜ「写真」を大事にするのか』(講談社現代ビジネス刊)。

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