様々なジャンルで活躍するデザイナーの来歴をたどるシリーズ、第8回はエディトリアルからCD、パッケージなど、細やかでクールなデザインワークに定評ある岩淵まどかさんを取材し、その経歴から現在に至るまでの足跡をたどります。
第2話 アナログとDTPの転換期
岩淵まどかさん
海外からのデザイン新潮流
──当時、キャップは何人ぐらい?
岩淵●10人前後かな。入れ替わりも激しかったですが、その人数で雑誌を3?4冊抱えるという態勢でしたね。
──現場は、そこですべて学んだ?
岩淵●そうですね。5年間在籍して、雑誌作りは叩き込まれました。
──その過程でコンピュータの導入があったのではないですか?
岩淵●はい。途中からDTPになっていきましたね。
──その転換期を経験して感じたことは?
岩淵●もちろん、事務所全体が一気にDTPに移行したというわけではなく、徐々に始まっていったことですが……その当時、新しいデザインの流れが海外からいろいろ入ってきましたよね?
──ええ。ブームでしたね。
岩淵●で、当然「これがどうしてできるのか?」とういう話になる。若いスタッフはそういうデザインをやりたいと思うわけです。でも、それは手作業ではできない。これはコンピュータでないと作れない……と気づいて、最初、試験的に2台ほどMacを導入したんですね。そういうものが好きな人って、どこにでも一人はいるもので、先輩のスタッフの一人がPCに詳しかった。その人の知恵もあって、だんだん扱うことができるようになっていったんですね。
──海外の手本というと、西海岸のデヴィッド・カーソンとか?
岩淵●そうですね。あれは完全にDTPでないとできなかった。あとロンドン系の人たちもコンピュータがないとできないような加工をしてて。だから、最初は私たちも雑誌の見出しを加工して、版下にして入稿するのに使っていました。
岩淵●10人前後かな。入れ替わりも激しかったですが、その人数で雑誌を3?4冊抱えるという態勢でしたね。
──現場は、そこですべて学んだ?
岩淵●そうですね。5年間在籍して、雑誌作りは叩き込まれました。
──その過程でコンピュータの導入があったのではないですか?
岩淵●はい。途中からDTPになっていきましたね。
──その転換期を経験して感じたことは?
岩淵●もちろん、事務所全体が一気にDTPに移行したというわけではなく、徐々に始まっていったことですが……その当時、新しいデザインの流れが海外からいろいろ入ってきましたよね?
──ええ。ブームでしたね。
岩淵●で、当然「これがどうしてできるのか?」とういう話になる。若いスタッフはそういうデザインをやりたいと思うわけです。でも、それは手作業ではできない。これはコンピュータでないと作れない……と気づいて、最初、試験的に2台ほどMacを導入したんですね。そういうものが好きな人って、どこにでも一人はいるもので、先輩のスタッフの一人がPCに詳しかった。その人の知恵もあって、だんだん扱うことができるようになっていったんですね。
──海外の手本というと、西海岸のデヴィッド・カーソンとか?
岩淵●そうですね。あれは完全にDTPでないとできなかった。あとロンドン系の人たちもコンピュータがないとできないような加工をしてて。だから、最初は私たちも雑誌の見出しを加工して、版下にして入稿するのに使っていました。
独立後に手がけた主な雑誌から、
左/STUDIO VOICE別冊『SKOOL OF EDGE』(INFAS/1996年)
右/『SPUTNIK』(IDEE/2000年)
媒体の内容をフルに“特性化”した思い切りの良さが岩淵さんらしい
左/STUDIO VOICE別冊『SKOOL OF EDGE』(INFAS/1996年)
右/『SPUTNIK』(IDEE/2000年)
媒体の内容をフルに“特性化”した思い切りの良さが岩淵さんらしい
学んだエディトリアルの基礎
──では、基本は手で線を引っ張って?
岩淵●ええ。私がキャップを辞めるまでは、その状態でした。ただ、途中で私もDTPに興味を持ってしまって、自分でMacを買ったんですね。アルバイトで個人的な仕事も始めていたから、その時点ですべて自分でやらなくてはならなくなっていた(笑)。
──自宅で?
岩淵●ええ。自分の家で完全DTPの仕事を始めちゃったから、キャップでもできたらそうしたいなぁ……と思っていました。でも、やっぱりまだ出版業界自体がそういう態勢ではなかったので、それは無理でした。
──チーフデザイナーとして『スタジオボイス』を担当されていましたが、その他には?
岩淵●担当はそれだけ。毎月1冊、私ともう一人ぐらいの態勢でしたが、次第に単行本とかも増えてきてましたね。1ヶ月に『スタジオボイス』と単行本2冊のときもあったから、結構大変でした。
──キャップで学んだ一番大きいものは?
岩淵●その前の会社が、まず精神論から叩き込まれるところだったんですね。文字ひとつ選ぶにしても、書いている内容の時代のものを図書館で拾ってくるような世界。一字一字詰めていく、丹念な仕事をしていて。でも、キャップに行ったらすごくシステマティックに、いかに時間をかけずにきれいなものを作るか……という作業が構築されていました。それは基本として、いまも私の中に残っていますね。
──わかりやすく言うと、シンプルなもの?
岩淵●そうですね。藤本さんのデザインって、余白をいかにきれいに使うか……というところが特徴だと思うんです。その他にも、文字組の設定とか、行間をちょっと広めにとるとか。そのへんのベースがなくて一人でエディトリアルを始めていたら、違うものを作っていたかもしれません。
岩淵●ええ。私がキャップを辞めるまでは、その状態でした。ただ、途中で私もDTPに興味を持ってしまって、自分でMacを買ったんですね。アルバイトで個人的な仕事も始めていたから、その時点ですべて自分でやらなくてはならなくなっていた(笑)。
──自宅で?
岩淵●ええ。自分の家で完全DTPの仕事を始めちゃったから、キャップでもできたらそうしたいなぁ……と思っていました。でも、やっぱりまだ出版業界自体がそういう態勢ではなかったので、それは無理でした。
──チーフデザイナーとして『スタジオボイス』を担当されていましたが、その他には?
岩淵●担当はそれだけ。毎月1冊、私ともう一人ぐらいの態勢でしたが、次第に単行本とかも増えてきてましたね。1ヶ月に『スタジオボイス』と単行本2冊のときもあったから、結構大変でした。
──キャップで学んだ一番大きいものは?
岩淵●その前の会社が、まず精神論から叩き込まれるところだったんですね。文字ひとつ選ぶにしても、書いている内容の時代のものを図書館で拾ってくるような世界。一字一字詰めていく、丹念な仕事をしていて。でも、キャップに行ったらすごくシステマティックに、いかに時間をかけずにきれいなものを作るか……という作業が構築されていました。それは基本として、いまも私の中に残っていますね。
──わかりやすく言うと、シンプルなもの?
岩淵●そうですね。藤本さんのデザインって、余白をいかにきれいに使うか……というところが特徴だと思うんです。その他にも、文字組の設定とか、行間をちょっと広めにとるとか。そのへんのベースがなくて一人でエディトリアルを始めていたら、違うものを作っていたかもしれません。
『Spick and Span』(ベイクルーズ/1999年)
NYADC特別賞を受賞したアパレルメーカーのカタログ
きりりと細やかなデザイン、凝った仕様に目を奪われる
次週、第3話は「DTPが変えた独立意識」についてうかがいます。
(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)
(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)