様々なジャンルで活躍するデザイナーの来歴をたどるシリーズ、第8回はエディトリアルからCD、パッケージなど、細やかでクールなデザインワークに定評ある岩淵まどかさんを取材し、その経歴から現在に至るまでの足跡をたどります。
第3話 DTPが変えた独立意識
岩淵まどかさん
自分一人でデザインができる時代
──独立のきっかけは?
岩淵●まあ『スタジオボイス』も長いことやって、同じことを続けると飽きるじゃないですか。で、やはりDTPの転換期でもあったわけです。今後、コンピュータでデザインがどう変わっていくかわからないけれど、ここで勉強しておいたほうがいいのでは?……と思い始めたんですね。ちょうど『スタジオボイス』の編集長だった江坂健さんが、高城剛さんと新しい会社を作ることになって、そこでWebのデザインをやらないかと誘われたんです。だから、独立というか、そこに一度転職して。
──Webのデザインやったんですか?
岩淵●1年やりました。いろいろ技術が学べてよかったのですが、やはりWebのデザイン自体に面白みを感じなくて……。まだ当時は、デザイナーの「こうしたい」という意思が画面に反映しづらいものでしたから。何かをやろうとすればやるほど、動きが遅くなって文句を言われるという悪循環に陥って(笑)。
──で、一人で?
岩淵●まあ、そろそろいいかなと思って、右も左もわからず独立してしまったのですが。不安もあったから、キャップの後輩だった山田拓矢くんに声をかけて、一緒に独立しないかと。
──共同で事務所を借りられるし。
岩淵●そうそう(笑)。
──仕事は順調に入りました?
岩淵●意外にも順調にありましたね。デザイナーが独立するときって、いろいろ知り合いもいて、コネがあって始めるものだと思うのですが、やっぱりエディトリアル関係って狭い世界じゃないですか。全然、誰も知らないようなところで独立しちゃって、知り合いも少なくて……。そういう感じで独立したわりには、ちょくちょく仕事がありました。
──当時、世の中的にも独立して事務所を構える流れがありましたよね。
岩淵●そうなんですよね。それ以前は、先生から仕事を回していただいて、独立させていただく……みたいな感じだったと思うんです。でも、当時はそうではなくて、コンピュータの導入によって自分一人でデザインができちゃうという時代に突入した。そこは大きかったですよね。
──とはいえ、うまくいかないと思ったことは?
岩淵●やっぱりお金の問題は、最初の頃つきまといました。わからないじゃないですか。仕事が終わって請求して、何ヶ月後かにお金が入ってくる。でも、最初にお金の話をしてくれなくて、イマイチはっきりしない世界。入るときは入るけど、入らないときは入らない。そのへん、どううまくやるか……みたいなところはありました。
──営業は?
岩淵●一切したことがなくて。そのヒマもあまりなかったし、仕事がないから営業に行くのか、本当は独立したらすぐ営業に行くのか……わからないんですよ(笑)。そもそも営業苦手だから、いまマネジメントを立てている状態なのですが。
岩淵●まあ『スタジオボイス』も長いことやって、同じことを続けると飽きるじゃないですか。で、やはりDTPの転換期でもあったわけです。今後、コンピュータでデザインがどう変わっていくかわからないけれど、ここで勉強しておいたほうがいいのでは?……と思い始めたんですね。ちょうど『スタジオボイス』の編集長だった江坂健さんが、高城剛さんと新しい会社を作ることになって、そこでWebのデザインをやらないかと誘われたんです。だから、独立というか、そこに一度転職して。
──Webのデザインやったんですか?
岩淵●1年やりました。いろいろ技術が学べてよかったのですが、やはりWebのデザイン自体に面白みを感じなくて……。まだ当時は、デザイナーの「こうしたい」という意思が画面に反映しづらいものでしたから。何かをやろうとすればやるほど、動きが遅くなって文句を言われるという悪循環に陥って(笑)。
──で、一人で?
岩淵●まあ、そろそろいいかなと思って、右も左もわからず独立してしまったのですが。不安もあったから、キャップの後輩だった山田拓矢くんに声をかけて、一緒に独立しないかと。
──共同で事務所を借りられるし。
岩淵●そうそう(笑)。
──仕事は順調に入りました?
岩淵●意外にも順調にありましたね。デザイナーが独立するときって、いろいろ知り合いもいて、コネがあって始めるものだと思うのですが、やっぱりエディトリアル関係って狭い世界じゃないですか。全然、誰も知らないようなところで独立しちゃって、知り合いも少なくて……。そういう感じで独立したわりには、ちょくちょく仕事がありました。
──当時、世の中的にも独立して事務所を構える流れがありましたよね。
岩淵●そうなんですよね。それ以前は、先生から仕事を回していただいて、独立させていただく……みたいな感じだったと思うんです。でも、当時はそうではなくて、コンピュータの導入によって自分一人でデザインができちゃうという時代に突入した。そこは大きかったですよね。
──とはいえ、うまくいかないと思ったことは?
岩淵●やっぱりお金の問題は、最初の頃つきまといました。わからないじゃないですか。仕事が終わって請求して、何ヶ月後かにお金が入ってくる。でも、最初にお金の話をしてくれなくて、イマイチはっきりしない世界。入るときは入るけど、入らないときは入らない。そのへん、どううまくやるか……みたいなところはありました。
──営業は?
岩淵●一切したことがなくて。そのヒマもあまりなかったし、仕事がないから営業に行くのか、本当は独立したらすぐ営業に行くのか……わからないんですよ(笑)。そもそも営業苦手だから、いまマネジメントを立てている状態なのですが。
音楽ソフトのデザイン&パッケージにも、
ブックレットやTシャツなど特典盛りだくさんなのが特徴。
上/FLIP FLAP『Jungle Django Jumbo』初回盤(キューンレコード/1998年)
下/wilberry プロモーションキット(ポリドール/2000年)
雑誌から離れて仕事をしたい……
──様々な仕事があって、ひとつひとつ振り返るのは大変ですが、自分のデザインで「これは確立できた」と思ったときは?
岩淵●それも、なんだかわからないうちに「できているのかな……」という感じ。最初の頃は、自分が作るものがいちいち嫌で。全部気に入らないわけではなくて、どこか何かが気に入らないんですよね。
──それは時間があれば解決するもの?
岩淵●うーん……それもありますが、技量的なものもあったと思います。
──雑誌からスタートして、書籍、CDなどへと広がっていきましたね。
岩淵●独立してからは、もう雑誌はあまりやりたくないと思っていました。まあ『スタジオボイス』で飽きていたせいもあったし、一回、雑誌から離れて仕事をしたいと思っていたんですね。そうしたら自然に、そういう仕事も入るようになってきて。
──エディトリアルのデザイナーというイメージが強いけれど、実はそうでもないんですよね?
岩淵●そうですね。独立してから手がけた雑誌って、そんなにない。実はそんなにやってなくて、大体2回ぐらいでツブしてますからね(笑)。
──雑誌では『PAPER SKY』が代表的です。
岩淵●あれは特例ですね。でも、このたび辞めることになりました。5年続けて、丸20冊出したので、このまま私がやり続けるのも展望がないな……と。雑誌そのものは続きますが、私はお役御免ということで。
──そうやって自分で判断できるのは、素晴らしいことだと思います。
岩淵●そうですか?(笑)
岩淵●それも、なんだかわからないうちに「できているのかな……」という感じ。最初の頃は、自分が作るものがいちいち嫌で。全部気に入らないわけではなくて、どこか何かが気に入らないんですよね。
──それは時間があれば解決するもの?
岩淵●うーん……それもありますが、技量的なものもあったと思います。
──雑誌からスタートして、書籍、CDなどへと広がっていきましたね。
岩淵●独立してからは、もう雑誌はあまりやりたくないと思っていました。まあ『スタジオボイス』で飽きていたせいもあったし、一回、雑誌から離れて仕事をしたいと思っていたんですね。そうしたら自然に、そういう仕事も入るようになってきて。
──エディトリアルのデザイナーというイメージが強いけれど、実はそうでもないんですよね?
岩淵●そうですね。独立してから手がけた雑誌って、そんなにない。実はそんなにやってなくて、大体2回ぐらいでツブしてますからね(笑)。
──雑誌では『PAPER SKY』が代表的です。
岩淵●あれは特例ですね。でも、このたび辞めることになりました。5年続けて、丸20冊出したので、このまま私がやり続けるのも展望がないな……と。雑誌そのものは続きますが、私はお役御免ということで。
──そうやって自分で判断できるのは、素晴らしいことだと思います。
岩淵●そうですか?(笑)
次週、第4話は「一人で仕事する態勢」についてうかがいます。
(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)
(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)