第2話 僕らを育てたグラフィックス | デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-
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春。新入学&就職など、新たな出会いが生まれる季節……にコジつけるわけではありませんが、今回の対談は“異文化コミュニケーション”編。登場するのは、タイの作家/アーティストのプラープダー・ユン氏と、日本のグラフィック・デザイナー=遠藤一成氏。二人の邂逅を通して、一冊の本が作られていく過程を追っていきます。文化、言語の違いを超えて「デザイン」はいかに出会い、距離を埋めていくか? お楽しみください。


第2話 僕らを育てたグラフィックス



プラープダー・ユンさん(左)と、遠藤一成さん(右)



ミックスされたデザイン観



──プラープダーさんは、いまの日本のデザイン・シーンについてどう感じていますか?

PY●日本のグラフィック・デザインは、とても高度に思っています。比較すると、タイはまだ幼い。タイ人の目から見ても、日本の状況への憧れがあります。そして、日本の影響を受けている人も多いですね。

──でも、自身の著作をはじめ、プラープダーさんが手がける作品も非常に高品質ですよね?

遠藤●ええ。かなり高度で魅力的だと思います。今回、最初に装幀の依頼があったときも、彼自身がやったほうがいいのでは……と思ったぐらい。でも、日本の市場のことを考えたり、日本語の文字組ができるわけではないので、ならば日本のデザイナーにまかせて、本人はいわばクリエイティブ・ディレクター的な立場で関わろうということになったわけです。

──これまでタイで出版した著作などを見ると、紙質や特色など仕様の面でもうらやましいほど手が込んでいる。

遠藤●彼から聞きましたが、日本の印刷事情と比べるとタイでは低予算でいろいろなことができるそうなんですね。制約の多い日本とは大違い。そうした状況を抜きにしても、プラープダーのデザイン・センスは群を抜いていると思います。僕らの目から見ると、単純にタイ語もかわいいし、英語との並記も違和感がない。あと、白窓など“間”の取り方が絶妙なんですよ。あれは日本人にはないセンス。

──それはプラープダーさんが米国留学後、グラフィック・デザイナーとして活動していたことも影響がありそうですね。

遠藤●ええ、ミックスされていますね。どんなデザイナーが好きだったのですか?

PY●留学中はグラフィック・デザインが再評価されている時代で、たとえば『RAYGUN』のデヴィッド・カーソンなどが人気ありました。僕自身は特に好きではなく、興味があったのは50〜60年代のものでしたが。

遠藤●昔の『ハーパスバザー』とか『ヴォーグ』とか?

PY●いや、スイスやスカンジナビアといった北欧系のデザインです。

──90年代前半の日本の当時の状況と似てますね。

遠藤●ネヴィル・ブロディの後とかですね。ロンドン系、西海岸系のDTPデザインが台頭してきた後、北欧のプロダクト・デザインが人気になった頃。日本のグラフィック・デザインも特色を使ったかわいいものが多くなった。そうした影響は、プラープダーさんのブックデザインなどにも感じられますね。


プラープダーさんの書籍デザイン作品プラープダーさんの書籍デザイン作品 プラープダーさんの書籍デザイン作品
プラープダーさんの書籍デザイン作品

プラープダーさんがブックデザインを手がけた、タイ出版の書籍から。
アーティスティックで現代的なアートワークをみせる

距離を感じながら、自分の作品を見直す



──遠藤さんの“入口”は?

遠藤●僕がグラフィック・デザインを真剣に考えるようになったのは、実は美大を卒業して水谷(孝次)事務所に入って仕事を始めてからでした。それまでは、ずっと写真を撮るのが好きで、ファインアートに近いことをやってたんですね。だから、デザインはビジネスとして(笑)。

PY●コマーシャルなもの?

遠藤●もともと、大学でグラフィックを学ぶということの限界を感じていたんです。社会との関わりがない中で、造形的、色彩学的な話だけを取り出して勉強しても、作ったものがいかに社会に流通していくか……というところを考えないと、デザインとは未完成なのではないか、と。それは水谷さんとも共通している考え方だったのですが、ならばビジネスから入ったほうがすんなりしてるかなと思って。

──水谷事務所時代に関わった『MERRY』プロジェクトは、ファインアート的なものとコマーシャル性がうまく寄り添った形でしたよね?

遠藤●無理に接着しようとはしていたのですが(笑)。僕はいま33歳ですが、中学生ぐらい、80年代にサイトウマコトさんとか水谷さんが広告で活躍していて、B倍ポスターとかバンバン作っていたのを眺めていたわけです。でも、大学卒業して水谷事務所に入ったら、水谷さん自身はもう広告に飽きていた……というか、やり尽くしていた観があって。で、僕はグラフィック畑から上がってきたわけではなく、そんな二人が出会って「じゃあ、こんなものを立ち上げよう」という形になって。

PY●僕は『MERRY』の展示を見たことはありませんが、ファインアート的なものをコマーシャルな方面に解き放つ手法は非常に興味があります。僕自身、現在、文筆、デザイン、絵、写真など、いろんな分野で活動していますが、それは一見ファインアートから離れていると思われるかもしれない。でも、自分としては、すべてファインアートだと思っているんです。商業的なものでありながら、自分で納得がいき、クライアントや受け手も気に入ってもらえているならば、コマーシャルなものでもファインアートに繋がるものだと考えています。

──いわば、総合芸術なんですね。

PY●自分がやっていることを、何の分野か……とは分けていないです。すべてが自分の表現であって、芸術的なものなら関わるもの全部できないとならないと思っている。写真を撮るときもカメラマンではなくて、単なる芸術家として撮っているんです。本を書くにしても、作家ではなく芸術家として書いている。それが基礎にあります。

遠藤●つまり彼が元にあれば、発表するメディアはなんであれ、構わないんですね。僕も元来はそういうタイプで、なにもかも自分でできると一番いいという思いはあって。だから写真を撮ったり、いろいろ手を出したいという気持ちがあった。でも、さっき彼が言ったように、任せちゃうのが面白いというのも理解できます。着地点がどうなるのかわからなくて、ブレが出てくることが逆にいいほうに転がることも多々ありますから。たとえば新しい写真家と組むと着地が見えないんだけど、上がりがすごくいいこともある。それは自分の能力を超えたところで創造する人がいるわけで、一人の力よりも複数の関わりからできるもののほうが質が高くなるかな……と思っているところです。


『MERRY IN TOKYO』『MERRY』カタログ


 遠藤さんが水谷事務所時代に関わった『MERRY』プロジェクトから。
 左は2003年、六本木、日比谷、汐留、丸の内で展開された『MERRY IN TOKYO』の1ショット。
 右は1999年に出されたカタログ




次週、第3話は「自分を見つめるコミュニケーション」を掲載します。

(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)



プラープダー・ユンさん

[プロフィール]

ぷらーぷだー・ゆん●1973年バンコク生まれ。中学卒業後、渡米してニューヨークの「Cooper Union for the Advancement of Science and Arts」で美術を学ぶ。終了後はグラフィック・デザイナーとして働き、98年にタイへ帰国。2000年に2冊の短編小説集を発表し、ベストセラーを記録。以降、作家、評論家、編集者、イラストレーター、写真家、脚本家、そして作詞家など、幅広く活躍中。http://www.wildwitness.com/



遠藤一成さん

えんどう・かずなり●1973年生まれ。水谷事務所勤務を経て、2005年4月より独立。アートディレクター/グラフィックデザイナーとして、広告、ファッション、パッケージなどのジャンルで活動の一方、エキシビション・シリーズ「MERRY」に関与。自身も「96」「BLUE」などの展覧会を開催。

http://endokazunari.com/


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