様々なジャンルで活躍するデザイナーの来歴をたどるシリーズ、今回はコーネリアスをはじめとする数多くのCDジャケット、サッカー番組のオープニング映像のアートディレクションなどを手がける北山雅和さんを取材し、その経歴から現在に至るまでの足跡をたどります 。
第3話 満を持しての独立
北山雅和さん
アーティスト&レーベルとの密な関係
——独立のきっかけは?
北山●ちょうど30歳という年齢的な部分と、5年勤務したという区切りですね。その間、ものすごいサイクルで仕事が回っていたし、信藤さんのOKが出ないと外に出せないという二重チェックがあって……もうちょっとマイペースで自分のデザインをしたいと思い始めていたんです。あとコンテムポラリーを辞める前、カジヒデキくんの2ndアルバムからのシングル・カットを、レーベルから直接「北山に」という指名の仕事も来ていた。それまで、そんなケースはあまりなかったのですが、そういうのも自信になりつつあって。
——コンテムポラリーにいながらも、北山さんのカラーが出てきた?
北山●それは、トラットリアとの関係が大きかったと思います。カジくん以外にも、サッカーがテーマのコンピレーション『Bend It! Japan 98』を、先方が僕に頼みたいと言ってくれていたんですね、独立するしないに関わらず。A&Rの方も僕もサッカーが好きだったので。そこで信藤さんに「コンテムポラリーの仕事として受けたほうがいいか、あるいは個人でやっていいか」と相談したら、それは自分の最初の仕事としてやりなさい、と。
——快く、送り出してくれたわけですね。
北山●ええ。信藤さんには感謝してます。で、ダメもとで自分一人でやってみよう、と独立したんです。ちょうどコーネリアスのUK盤シングルの話も入って、コンテムポラリー時代に築いた密な付き合いから仕事が広がっていきました。
——営業などは?
北山●ありがたいことに、全然したことがなくて。僕のフットワークが軽かったのかもしれないですが。そんなに多くを求めないし、こつこつ自分のペースでできればいいので、とりたてて大きく広げようと思わなかった。一方で、ちょうど独立した時期とトラットリアがふくらんでいく時期が合致していたんですね。そこで、カヒミ・カリィからシーガル・スクリーミング・キス・ハー・キス・ハーなど他のアーティストとの仕事が増えていき、それを見たCS局のプロデューサーがサッカー番組の仕事をくれたり……。そうやって、どんどん枝葉が分かれていきました。
北山●ちょうど30歳という年齢的な部分と、5年勤務したという区切りですね。その間、ものすごいサイクルで仕事が回っていたし、信藤さんのOKが出ないと外に出せないという二重チェックがあって……もうちょっとマイペースで自分のデザインをしたいと思い始めていたんです。あとコンテムポラリーを辞める前、カジヒデキくんの2ndアルバムからのシングル・カットを、レーベルから直接「北山に」という指名の仕事も来ていた。それまで、そんなケースはあまりなかったのですが、そういうのも自信になりつつあって。
——コンテムポラリーにいながらも、北山さんのカラーが出てきた?
北山●それは、トラットリアとの関係が大きかったと思います。カジくん以外にも、サッカーがテーマのコンピレーション『Bend It! Japan 98』を、先方が僕に頼みたいと言ってくれていたんですね、独立するしないに関わらず。A&Rの方も僕もサッカーが好きだったので。そこで信藤さんに「コンテムポラリーの仕事として受けたほうがいいか、あるいは個人でやっていいか」と相談したら、それは自分の最初の仕事としてやりなさい、と。
——快く、送り出してくれたわけですね。
北山●ええ。信藤さんには感謝してます。で、ダメもとで自分一人でやってみよう、と独立したんです。ちょうどコーネリアスのUK盤シングルの話も入って、コンテムポラリー時代に築いた密な付き合いから仕事が広がっていきました。
——営業などは?
北山●ありがたいことに、全然したことがなくて。僕のフットワークが軽かったのかもしれないですが。そんなに多くを求めないし、こつこつ自分のペースでできればいいので、とりたてて大きく広げようと思わなかった。一方で、ちょうど独立した時期とトラットリアがふくらんでいく時期が合致していたんですね。そこで、カヒミ・カリィからシーガル・スクリーミング・キス・ハー・キス・ハーなど他のアーティストとの仕事が増えていき、それを見たCS局のプロデューサーがサッカー番組の仕事をくれたり……。そうやって、どんどん枝葉が分かれていきました。
左/『Bend It! Japan 98』(1998年/TRATTORIA)
下左/カヒミ・カリィ『One Thousand 20th Century Chairs』(1998年/ポリドール)
下中央/同『K.K.K.K.K.』(1998年/ポリドール)
下右/同『akisakisak』(1998年/ポリドール)
シングル〜アルバム〜リミックスと、連動変化するデザイン構成
渋谷系の極限から、削ぎ落としの究極まで
渋谷系の極限から、削ぎ落としの究極まで
——独立から、もうすぐ10年。自分のデザインの変化を感じることは?
北山●変わってきたところは、もちろん変わってきました。それは年齢的なところもあるかもしれないし、時代的なところもあるでしょう。独立以前にいた場所——コンテムポラリーが90年代の渋谷系のある意味中心ともいえる場所だったわけで、そこで極限までいった観がある。そこから考えれば、シンプルになってきたと思います。以前は密度で見せていたものを、間で見せる方向になってきている。そういう意味では、どんどん削ぎ落としてきていますね。
——転換期は?
北山●2000年に発表された、コーネリアスの『POINT』かな。彼の音楽的な姿勢の変化やモードもあり、それもデザインと合致していると思います。
——アーティストの成長にデザインが添って。
北山●すごく添ってますよ。やはり同世代だから、話をすると彼のアンテナはすごく早くて敏感だし、僕が引っかかっているものにも即反応してくれる。こっちが知らないものも持ってきてくれるし。あの頃は削ぎ落としの究極までいって、僕もミニマルアートやコンセプチュアルアートがもともと好きだったから、どんどん手数が少なく効果的に見せられるものへと考えがシフトしていった。それまでは、なんとなくそういうものを得意に感じていましたが、徐々に明らかに出てきたんですね。でも、いまはまた変わってきている感じが自分の中にありますが。
左/CORNELIUS『POINT』(2001年/TRATTORIA)
右/HUMANS CORNELIUS『PM』(2003年/felicity)
オリジナル・アルバム〜リミックス盤と、やはり連動変化したスリーブ
右/HUMANS CORNELIUS『PM』(2003年/felicity)
オリジナル・アルバム〜リミックス盤と、やはり連動変化したスリーブ
次週、第4話は「ひとつひとつ愛でられるものを」についてうかがいます。
(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)
(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)
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[プロフィール] きたやま・まさかず●1967年神戸生まれ。桑沢デザイン研究所卒業後、デザイン事務所のアシスタントを経て、コンテムポラリー・プロダクションに入社。5年在籍後、98年に独立して「HELP!」設立。コーネリアス、felicityレーベル、The MiceteethなどのCDジャケット、J SPORTS「Foot!」などサッカー番組のタイトル・ロゴやオープニング映像のアートディレクションを手がけている。今夏、初の作品集を刊行予定。 |