様々なジャンルで活躍するデザイナーの来歴をたどるシリーズ、今回はコーネリアスをはじめとする数多くのCDジャケット、サッカー番組のオープニング映像のアートディレクションなどを手がける北山雅和さんを取材し、その経歴から現在に至るまでの足跡をたどります 。
第4話 ひとつひとつ愛でられるものを
北山雅和さん
映像、そして雑誌のこと
——現在の仕事の状況は?
北山●音楽ものは、半分よりも少なくなってきています。それは時代の流れ、業界のことも関係していると思いますが……。あとは映像。サッカー番組のオープニング、エンディングの映像を弟と作っています。僕がアートディレクター、弟が映像制作ですね。
——ジャケット制作では、自分で写真を撮ったりもしていますね。
北山●それは信藤さんの影響が大きいですね。信藤さんはカメラマンとしても非常に優秀な方です。ユニークな存在ではあるけれど。スタジオでライティングの指示もできるプロのカメラマン。僕のレベルは押せば映るくらいなのですが、ああいうスタイル……自分で撮ってデザインするのは影響を受けてて。信藤さんは、よく「素材じゃないか」と言ってました。撮りたいものを撮りたいように撮ればいい。自分たちはデザインのプロなのだから、あとからなんでもできる……と。
——らしい発想ですね。
北山●真っ黒の写真を撮ってこない限りは、なんでもできるという考え。実際、信藤さんの撮る写真は、すごく使いやすいんです。それは勉強になって、自分が撮れるレベルで予算が少ないときは、進んで撮るようにしています。とはいえ、スタジオで照明をコントロールできるレベルでは全然ないですが。
——最近は、サッカー雑誌『STAR soccer』のADも勤めてましたが。
北山●昨年末までの1年間……大変でした(笑)。サッカーって、ゲームの結果に左右される時事性のあるもの。たとえば音楽誌もリリース・タイミングがあるから速報的な役割がありますが、サッカーはスピードが違う。たった一晩で局面が大きく変わってしまうから、それを待ってデザインするのはきつかった。3日徹夜とかしましたが、身体が持ちません(笑)。
北山●音楽ものは、半分よりも少なくなってきています。それは時代の流れ、業界のことも関係していると思いますが……。あとは映像。サッカー番組のオープニング、エンディングの映像を弟と作っています。僕がアートディレクター、弟が映像制作ですね。
——ジャケット制作では、自分で写真を撮ったりもしていますね。
北山●それは信藤さんの影響が大きいですね。信藤さんはカメラマンとしても非常に優秀な方です。ユニークな存在ではあるけれど。スタジオでライティングの指示もできるプロのカメラマン。僕のレベルは押せば映るくらいなのですが、ああいうスタイル……自分で撮ってデザインするのは影響を受けてて。信藤さんは、よく「素材じゃないか」と言ってました。撮りたいものを撮りたいように撮ればいい。自分たちはデザインのプロなのだから、あとからなんでもできる……と。
——らしい発想ですね。
北山●真っ黒の写真を撮ってこない限りは、なんでもできるという考え。実際、信藤さんの撮る写真は、すごく使いやすいんです。それは勉強になって、自分が撮れるレベルで予算が少ないときは、進んで撮るようにしています。とはいえ、スタジオで照明をコントロールできるレベルでは全然ないですが。
——最近は、サッカー雑誌『STAR soccer』のADも勤めてましたが。
北山●昨年末までの1年間……大変でした(笑)。サッカーって、ゲームの結果に左右される時事性のあるもの。たとえば音楽誌もリリース・タイミングがあるから速報的な役割がありますが、サッカーはスピードが違う。たった一晩で局面が大きく変わってしまうから、それを待ってデザインするのはきつかった。3日徹夜とかしましたが、身体が持ちません(笑)。
左/ADを務めたサッカー雑誌『STAR soccer』(2006年/扶桑社)
映像関連の仕事より
下左/CS局「J SPORTS」ロゴ(2003年)
下中央/同番組『Foot!』ロゴ(2000年)
下右/同番組『Barca es Barca』ロゴ(2006年)
以上、ジェイ・スポーツ・ブロードキャスティング
映像関連の仕事より
下左/CS局「J SPORTS」ロゴ(2003年)
下中央/同番組『Foot!』ロゴ(2000年)
下右/同番組『Barca es Barca』ロゴ(2006年)
以上、ジェイ・スポーツ・ブロードキャスティング
音楽パッケージの魅力にこだわる
音楽パッケージの魅力にこだわる
——今後について考えることは?
北山●月並みですが、自分で枠を決めることなく、何でもやりたいと思っています。でも一番やりたいのは、やっぱり音楽ソフトの仕事を続けること。自分が音楽好きだし、このままパッケージが廃れていいのか……と思ってて。雑誌は命が短いものと感じたせいもありますが、より長く残っていくものを作っていきたいと思うようになりました。
——配信の時代でパッケージいらずですからね。
北山●別に、CDにこだわっているわけではないんです。でも、音楽のパッケージそのものがずっと魅力のあるものであってほしい。配信だけでは埋められないものが絶対あるわけで、そこを関わる人みんなが考えていかないとダメだと思う。そのほうがロマンチックというか、求めたいものが僕にはあるんです。
——トラットリアの過剰なほどのパッケージ(笑)を好んでいた世代的には、それは非常に共感します。
北山●このままドライに配信に移行しちゃっていいのか、と。使い回しが楽なのはわかっているし、僕自身、アナログからDTPに移行してデータのほうが便利で早いのは経験していますが、それとこれとは別問題。全部が便利であればいいとは思えなくて。だったら生身の身体、いらないのかよって話になってくるし。
——モノとしてこだわりたいんですよね。
北山●ええ。グラフィック・デザイナーも、Webに移行したほうが仕事が多くなっていいのかもしれないし、業態を広くする人が強いのもわかる。でも、そうじゃなくてもいいじゃんという気もするんです。それよりも、ひとつひとつ愛でられるものを作ろう……と考えていますね。なんでもやりたいと言いつつも。いいもの作れば捨てられないし。
——では、最後に志望者にアドバイスを。
北山●偉そうなこと言えないですが……DTPによって誰でもデザインが簡単にできると言われても、それが行き渡ったら「どうなるの?」という話ですよ。使い手側の道具がすべて一緒なのならば、結局個人に帰る。どんなに便利なソフトやハードが出ようが、個に戻るんです。最終的には、自分の持っているセンス、引き出しに関わってくる。だからこそ、自分が好きなことにこだわるなり、自分を見失うことなく行動する事が大事だと思います。これは自分も含めて言ってるのですが。40歳にもなると、そうしたことを切実に感じますよ。
最近手がけたばかりの仕事より
ヒラマミキオ『When I feel the sun in tokyo』ジャケット(2007年/citys)
ヒラマミキオ『When I feel the sun in tokyo』ジャケット(2007年/citys)
「これがデザイナーへの道」第11回・北山雅和さんのインタビューは今回で終了です。
(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)
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[プロフィール] きたやま・まさかず●1967年神戸生まれ。桑沢デザイン研究所卒業後、デザイン事務所のアシスタントを経て、コンテムポラリー・プロダクションに入社。5年在籍後、98年に独立して「HELP!」設立。コーネリアス、felicityレーベル、The MiceteethなどのCDジャケット、J SPORTS「Foot!」などサッカー番組のタイトル・ロゴやオープニング映像のアートディレクションを手がけている。今夏、初の作品集を刊行予定。 |