第1話 ディクショナリー・ライブラリーとは | デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-
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タイトル画像、第11回Webプロデューサー列伝 中村博久

来年20年をむかえる、フリーペーパー「ディクショナリー」。そのディクショナリーの過去の号がデジタル化された「ディクショナリー・ライブラリー」が公開された。発行元である株式会社クラブキングの代表であり、ディクショナリー編集長の桑原茂一氏に話を伺った。

第1話 ディクショナリー・ライブラリーとは


20年を経たからこそ感じられることがある


——ディクショナリー・ライブラリーとは何ですか?

桑原●人間って正しい記憶というのは無いんですね。歳とかにかかわらず、全部自分の都合のいいように記憶を塗り替えていってしまうようで(笑)。まずは、最初にそれをお断りして話しておかないと(笑)。今回フリーペーパー「ディクショナリー」の20年分をまとめてサイト上に公開するということは、それは僕たちがこれまで、どのくらい駄目なメディア作りをしてきたかということでもあるわけです。

全部を見せてしまうということは、良くも悪くも全てをオープンにするということで。僕たちは自分たちの都合のいいように記憶を変えていくものだから、結果として、私たちの歴史観とか、事実関係を都合のいいようにしてしまっているんです。でも、それが今の社会の大きな問題を作っている根本なのではないかと感じているんです。

「ディクショナリー」って『未来を明るく照らす智慧』なんて言いながらも、明るい未来なんてどこにもないじゃないかという話も一方ではあって(笑)。これまでキレイごとだけ言ってきたと言われても、しょうがないけれど。ただ、今回僕が20年分のディクショナリーを公開して思ったことは『人は生きているだけで美しい』ということで、それについ涙してしまったんです。










「ディクショナリー・ライブラリー」のトップページ、過去のバックナンバーのカバーがこれだけ揃うと圧巻

それはいったいなにかというと、最新号のフリーペーパー「ディクショナリー」でやったことなのですが、10年以上前の人たちが書いた原稿と、いま書かれた原稿とが並んだ時に、そこにとても美しいものを見たような気がしたんですね。20年たったいまだからこそ、今まで知らなかった人間の見方ができるわけで。

そういったオルタナティブな面をクローズアップすることによって、よりポジティブなパワーが出てくるかもしれないし。20年ってそんなに変わってないと思うけれど、実はものすごく変わっているんです。そこにネガティブになってクヨクヨしてしまうというものもありますが、逆に『なんだ、こういうことか』ということで20年における結果を払拭できる可能性もあるんです。

それは、僕らが駄目だったからこそ言えるかもしれない。もし、ディクショナリーというメディアが凄くよくできたメディアだったら、そういったことが入りこむ余地もなかったかもしれない。だけど、僕らは見よう見まねで、その日その日を『楽しければいいや』って生きてきたようなところがあって、振り返ってみたら恥ずかしいプロセス、歴史しか残ってないかもしれないけれど。『でも、そんなものなんじゃない?それでも生きているから美しい』ということを凄く感じたんです。たった20年で、そんなことを感じられるのはテクノロジーのおかげだろうし、そこにおいてはインターネットというのは素晴らしいですね。

紙メディアのみで「ディクショナリー」をやっている頃、神戸で震災が起きたんですが、その時僕らは『何かしなきゃいけない』とせっぱ詰まったものがあってバタバタしたんです。たまたまその時、電通の友達がいてスペースを貸してもらってインターネットをできるようになった。当時はインターネットは大手しかできないような時代だったんです。それで、会社でインターネットに繋がった時に、今考えたらバカじゃないかと思うんだけど、ほんとに『おっ、世界と繋がってる!』って思ったりもしたんです(笑)。

そういう恥ずかしいところを経て、その後、藤幡正樹さんが慶応大学の藤沢キャンパスでやられている初期の頃ですが、藤幡さんにインターネットのことをいろいろ教えてもらったんです。その時に、一次情報というものに触れることの意味を教えてもらいましたね。

インターネットとシンクロした瞬間


桑原●僕らは自由を求めて生きてきた世代なので、それがインターネットの始まりとシンクロしたんです。「ディクショナリー」もAge of Aquarius(融合の時代)ということをずっと書いてあるのですが、やっと人間が少しはマシなことするようになるのではないかと淡い期待もあり、インターネットに多大な期待をしたのだと思います。インターネットというのは自由な空間で、誰もが自由に表現できる場所なわけで、そここそが僕たち「ディクショナリー」の本来の編集室だろうし、結果として、そこに紙に刷るべきものがあれば、それをフリーペーパーにしようと考えていたんです。

紙というのは、限られた枚数の中でやりくりしなければいけないわけですから、例えば編集者が貴重な話を3時間くらい聞いてきたとしても、見開きで終わってしまう可能性もある。その編集者の中には知識が貯まっていくけれども、読者は見開き分の情報しか伝えられない。だから、その3時間分全てがあったらどれだけいいだろうとスタッフとよく雑談していたんですね。それが僕らの考えるホームページのあるべき姿だったんです。

左:ディクショナリー50号の表紙

当時、「ディクショナリー」の50号では、ただ単に円だけがある表紙を作ったのですが、それは逆さにしても横にしても認識できるビジュアル表現で、紙の上で空間の閉ざされていないものを作ろうというイメージだったんです。そんなの理解してもらうのは最初から無理なんだけど(笑)。気持ちとしてはそれを伝えたかった。その時の気持ちが、116号目にしてやっとで形になってきたのかなという感じですね。

例えば、今だったら大量の資本を使って、大量な才能を使って、大きな権力のかたまりのようなサイトを作ることができるだろうし、逆にいつでも電源を切ろうと思えば、この自由な空間が真っ暗になることだってありうる。僕たちがこれまでの、いびつな石を山のように積み上げるような行為の20年間というものをさらけだすことによって、我々にしか出来なかった方法論というものが、きっとあるのではないかとも思うんです。

ただ、それはきっとひとりのアーティストとかでは出来なかったことだろうし、ひとりの実業家でも企業でも出来なかったことなのではないかと思う。それが存在することによって今何かやっている人たちが『これでも、いいんじゃないか』とか『こういう方法から先がまだあるんじゃないか?』と思ってくれればいい。そこでやっと「ディクショナリー」という言葉に帰結できるのかなと思うんですね。


(取材・文:服部全宏(GO PUBLIC) 編集:蜂賀亨  撮影:谷本夏)


桑原茂一氏 プロフィール

桑原茂一
Moichi KUWAHARA
選曲家/プロデューサー/株式会社クラブキング代表

1973年より米国『ローリングストーン』日本版を創刊号から運営、
'77年『スネークマンショー』をプロデュースしYMOと共演、
同年『コムデギャルソン』のファッションショー選曲を開始する。
'82年原宿に日本で初のクラブ『ピテカントロプス』をオープン、
'88年フリーペーパー『dictionary』を創刊、
'96年東京SHIBUYA FMにて「club radio dictionary」を開始する。
'01年の911を機に発行された坂本龍一氏とsuspeaceが監修する『非戦』に参加したのをきっかけに、独自の世界観をコメディという切り口で表現する「コメディクラブキング(CCKing)」を展開。
現在、フリーペーパー/コミュニティラジオ/TV/携帯サイト/映像表現/コメディライブ、またそれらを統括するWEB「メディアクラブキング」をプロデュースし、LOVE&PEACEに生きるオルタナティブなメディアを目指し活動を続けている。
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