文字。すごくおおざっぱな括りですが、わたしたちの生活になくてはならない“デザインの元素”について、あらためて考えてみたい──と思う今日この頃。そこで現在、多摩美術大学情報デザイン学科で教授を務めているグラフィックデザイナー、永原康史さんと宮崎光弘さんを八王子キャンパスに訪ね、かねてより「文字」について語り合うことが多いというお二人に話をうかがいました。
第3話 組版ルール、実は無用?
宮崎光弘さん(左)と永原康史さん(右)
自分たちの言葉なのだから、自由にすればいい
——アナログ時代を知る編集者/ライターの立場から思うのは、以前は字詰め×行数指定があったのに、いまは何千字で……というようなデザイナーの指示が主流になりました。あれは書きづらいと感じている人も多いと思うのですが、いまの若いデザイナーはそれを言ってもわかってくれないことがあります。
宮崎●僕も仕事の現場では、そういう書き手の人によく遭います。いいライターだと、どこで行が変わるか、読みやすさを考えてこだわって書いてますからね。総文字量だけで、ただ流されてしまうのは嫌なんですよ。
——仮に何字詰め×何行と指定されても、仕上がりのデザインがまったく違うこともあります。あれはDTPの功罪かと思うのですが。
永原●特に横組みはプロポーショナル組版が主流で、欧文のように印象を均質のグレイに近づけようということですよね。そのあたり、従来の枡目組版と違う美意識が若者には育っているのかもしれない(笑)。
——ちなみに授業などで、モリサワのサイトで連載しているような組版の基礎は教えているのですか?
永原●いいえ。授業としては教えていません。でも、知りたいという学生も多いので、時間があればゼミでタイポグラフィの話をするようにしています。僕は基本的に「日本語は自分たちの言葉なのだから、煮て食うなり焼いて食うなり、自分たちの自由にすればいい」と考えているんです。
宮崎●僕も仕事の現場では、そういう書き手の人によく遭います。いいライターだと、どこで行が変わるか、読みやすさを考えてこだわって書いてますからね。総文字量だけで、ただ流されてしまうのは嫌なんですよ。
——仮に何字詰め×何行と指定されても、仕上がりのデザインがまったく違うこともあります。あれはDTPの功罪かと思うのですが。
永原●特に横組みはプロポーショナル組版が主流で、欧文のように印象を均質のグレイに近づけようということですよね。そのあたり、従来の枡目組版と違う美意識が若者には育っているのかもしれない(笑)。
——ちなみに授業などで、モリサワのサイトで連載しているような組版の基礎は教えているのですか?
永原●いいえ。授業としては教えていません。でも、知りたいという学生も多いので、時間があればゼミでタイポグラフィの話をするようにしています。僕は基本的に「日本語は自分たちの言葉なのだから、煮て食うなり焼いて食うなり、自分たちの自由にすればいい」と考えているんです。
——意外ですね(笑)。
永原●タイポグラフィは、時代や技術によって変わっていくのが当たり前で、僕がどう考えているかは話しますが「こうしなさい」とは言わない。
宮崎●僕も聞かれれば教える程度。こちらからルールは押し付けない。でも、違和感があれば「こっちのほうがキレイじゃない?」とは言う。視覚的に気持ちいいか悪いか……という感覚ですね。気持ち悪ければ「直そうよ」って。
——どう考えて実行するかは自由です、と?
永原●ええ。欧文は自分たちの文化にないものですから、ある程度勉強して、知っておいたほうがいい。でないと、大きく失敗する可能性があります。でも、日本語なら最低限の共通認識がありますから。自分たちの言葉をどう変えていきたいのか、あるいは変えたくないのか……それを自分たちで考えたい、という姿勢です。
——寛容ですね。ら抜き言葉に目くじら立てるのとは違う。
永原●あ、僕は関西弁で、もともと「ら抜き」だから(笑)。
気持ちいいか悪いか、ルールは自然に学ぶ
——確かに日本語は変わっていくものだから、時代による誤用も主流になれば受け入れるべき……という意見があります。
永原●たとえば、均等に字間を詰める「一歯詰め」という方法がありますよね。あれは写植時代にできたもので、活字時代の人は「邪道」と言うんです。でも写植で育った我々は、ベタで打たれるとどうしても詰めたくなりますよね?
宮崎●詰めたいですね(笑)。
永原●でも、たとえば3点リードがふたつ続くときに、一歯詰めは3点目と4点目の字間が詰まるんです。そういう不具合がいくつかあるので、枡目組版至上主義の人は「ベタ組みかアケ組みが正統」と言う。
——歴史上、綿々と続いてきたことだ、と。
永原●ええ。でも、それは技術上の制約と関係していることなのですが。
宮崎●活字は一本一本が金属のかたまりですから、物理的に詰められないですよね。
永原●いま「AV」は詰めるのが普通ですが、活字はどうしても空きますよね。それは仕方がない。
視覚的に気持ちいいか悪いか、感覚面での重要さを念押しする宮崎さん。ルールやメソッドをあれこれ問うよりも、デザインの“基本”に立ち返るべき現場からの発言だろう
——DTPが主流の現在、アナログのマナーをかたくなに守り、アシスタントに基礎を教えこむ昔堅気なデザイナーもいるし、正反対の人もいます。
永原●それはもう考え方の違いで、どちらが正しいとは言えないでしょう。本当に興味がある人ならば、古典を学びます。でも、タイポグラフィにうるさいデザイナーにしても学生にしても、ルール通りだから「これがいい」と思ってしまう傾向はよくない。逆に視覚的な水準をクリアすれば、文字組みというものは自然にできてくるはずなんです。
——ようは、収まるところに収まると。
永原●そういうことです。さっき宮崎さんが言ったように「気持ち悪い」というのは、割と共通の感覚としてある。そこが境目であって、組版のルールを知っているかどうかは境目ではないんです。気持ち悪いと思えば、自然ときれいな文字組みができるようになる。
宮崎●そう。ルールも自然に学ぶんです。自分で見て気持ちいい、読んで気持ちいい……というところを頼りにしていくのが大事だと思います。ルールやメソッド、あるいは流行など様々なファクターがありますが、結局そこで勝負するしかない。で、最後まで気持ち悪いのがわからない人は、向いてないってことかな(笑)。
永原●自信のないひとは、もちろん、ルールから学べば合格点まではできるようになりますから、到達の方法も自由に決めればいいと思います。
次週、第4話は「なぜ人は『文字』に向かうのか」を掲載します。
(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)
[プロフィール] |
みやざき・みつひろ●1957年東京生まれ。グラフィックデザイナー。多摩美術大学情報デザイン学科教授。デザイン誌『AXIS』のアートディレクションを務める一方、原美術館やモリサワなど企業のWebサイト制作、先行開発プロダクトのインターフェイス・デザインを手がけている。99年に発表したCD-ROM『人間と文字』で、F@IMP国際マルチメディアグランプリ金賞を受賞。 |