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第1回 株式会社マイティスペース 太田耕一郎氏の場合
株式会社マイティスペースの取締役・太田耕一郎氏は、ゲームのグラフィッカーという異色の経歴をもつWebデザイナー。インターネットの進化、もっと大きく言えばデジタルの進化とともに、つねに「新しいものを攻略する」べく仕事をしてきた結果、気がつけばWebデザイナーとしての今のポジションに到達していたという太田氏。異業種からの転身はどのようにして成功したのか。その経歴にせまります。
第3話 インターネット黎明期のお仕事事情
──その後、Webの仕事が増えていった感じですか?太田●だーっと一気に増えましたね。印象に残っているのは、講談社の『Web現代』が立ち上がる前、漫画誌『モーニング』のWeb「モーニング・オン・ライン」を作ったことがあったんですけど、掲示板に問題が起こって閉鎖されてしまうという事件がありました。みんな掲示板を軽く考えていて、漫画家批判がその中で起こってしまい、漫画家が辞める事態にまで発展してしまったという……当時としては大問題に。
──まだその頃は「2ちゃんねる」もなかったですよね?
太田●当時はBBSが主流でしたね。
──そういった掲示板での発言に対する免疫もなかったというか……。
太田●はい。みんなまだ、そういったことに対する対処法が慣れていなかったように思います。それで、その後にスタートした『Web現代』の中で「e-manga」という動く漫画コンテンツを扱いました。サイト立ち上げ時の1コンテンツとして……。その頃はまだFlashがなくてShockwaveを使ってつくりました。当時としては、すごく斬新でおもしろかったですね。
──それは、今の携帯電話で見る漫画の起源と言ってもいいくらいですね。
太田●そうですね。紙とは違う、どんどん新しいことに挑戦していくのが、とにかくおもしろかったですね。やってることはすごく画期的だったと思います。当時、まだWebが文字ベースだった時に、『Web現代』は画像がいっぱいあって、ページはすっごく重かったんですけど(笑)、やってることは全部斬新でしたね。「e-manga」はISDNを使っても、3、4分待たされるようなコンテンツだったんですけど……今考えると、よくつくってたなって思うんですが(笑)。
──その他にはどんなサイトを手がけていましたか。太田●アスキーのECサイトもやりましたね。……とにかく、いろんなジャンルの仕事をやってました。みんなあの時は初めてづくしで、手探り状態で。全部初めての挑戦だったのですが、デザインをやって、コーディングをやって……Javascriptをやってくれって言われた時は、全然勝手が違うんで……それはどうしたものかと(笑)。
──オーダーする側は、その違いについては認識してたのでしょうか。
太田●わかってたとは思うんですけど、ずいぶん軽く言うんですよね(笑)。他のサイトを見て「これいいじゃん!」みたいな。それで、「こんなことがしたいんだけど……」みたいなことをよく言われました。その「こんなこと」が、当時としてはものすごく先端のことだったりして。
──その他に苦労したことはありますか?
太田●ブラウザの相互の互換がなくて、制作してるのはMacだけど、見る人はWindowsだから「違うじゃん」ってことは、よく言われました。あれは参りましたね。Windowsで確認はするんですけど、同じWindowsでも98と95で違うとか……。向こうの環境が違いすぎて困ることがありましたよね。その点、今はずいぶん改善されました。
(取材・文:草野恵子 撮影:栗栖誠紀)
次週は「第4話 Webデザイナーの魅力と、その可能性について」についてお届けします。



