第2話 higher-frequencyが認知されるきっかけ | デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-
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タイトル画像、第11回Webプロデューサー列伝 中村博久

着実に浸透したエレクトロニックダンスミュージックのWEBメディア、higher-frequency。そして、その配信サイトであるhrfq。両サイトのプロデューサーでもある株式会社サウンドグラフィックスの代表、中村英訓氏に話を伺った。

第2話 higher-frequencyが認知されるきっかけ



——サウンドグラフィックスとしては、同時に音楽出版のお仕事をされているのですか?

中村●会社を辞めた直後は、レーベル的な仕事とか音楽出版をやろうかなと思っていたのですが、正直辞めたばかりでそこまで具体的に考えていない状態でした。特にあの時期に僕がワーナーを辞めた理由のひとつとして、大きくいろんなことが変化していた時期で、はたしてこれからレーベルをやっていて生き残っていけるのか?という思いも一方ではあって。私はワーナーに10年間いたのですが、確実に結果として仕事が登ったということがほとんどなかったんです。特に後半の5年間における会社での仕事というのは常に、いかに売れなくなってるCDの売れなくなるスピードを抑えるかという議論でしかなく、それを上げようということは、みんなどこか諦めてしまっていて。もちろん、その中でミリオンヒットなんかも幾つか誕生したりはしたのですが、特にまだパッケージ・ビジネスの代替となる「デジタル」という領域もそれほどクローズアップされていなかったですから、その売れなくなるスピードを緩和させる終末医療みたいな感じで10年間やってました。ですから、そういった何となく下り坂に差し掛かっている仕事よりは、少なくともよくわからないけどWebって登ってそうだなという非常に短絡的な(笑)発想でスタートしました。3〜4年やってみて、それは確かに登っていましたね。そんなに最初から戦略立ててというよりは、消去法でいったら、権利ビジネスとWebぐらいしかない。それが当時の心境ですね。

——今は配信もされていますね?

中村●そうですね、higher-frequencyを立上げたのが2004年で配信をスタートさせたのが2006年ですから、事実上2年くらいWebメディアサイトを運営してから配信はスタートしました。higher-frequency自体は、僕は商売というよりも自分のノウハウ作りという意味合いもあったんです。

現在月間約120万ページビューぐらいあって、一日1万人くらいが来てくれるサイトにはなったのですが、実はオープンした時にはあえて100人にしか情報を送らなかったんです。とりあえず、100っていう数字に限定して、100人だけにこういうサイトを開けましたと伝えた。その中にはクラブミュージックに全然関係ない人もいて、この人たちが、どれくらいのスピードでうちのサイトのことを広げていってくれるのかなということを検証してみたかったんです。

結局、労力と時間だけのサイトですから、いずれにしてもお金はかかっていなかったし、ワーナー時代には宣伝費を大きくかけてブレイクしたケースや、まったくしなかったケースもあって、自分の中で本当に宣伝費をかければ物って売れるのか?ということに懐疑的だったんですね。特にクリエイティブなものというのは本当に宣伝費というものがキーなのかな?という懐疑的な考えがあった。そういうこともあって、このサイトに関しては、最初から宣伝費をいっさいかけないということに決めたんです。

事実、higher-frequencyに関してはオペレーションを3年やっていますけど、1円も宣伝費を使っていないです(笑)。結果、その100人からスタートして、とりあえず音楽と一緒で定期的なリズムでクオリティの高いコンテンツを地道に、その反復のみということを武器にやっていくとどこまで延びるのか?それがhigher-frequencyで自分が実践したかったことでした。

やはりアーティストでも多大な宣伝費をかけることなく、定期的にキッチリいい作品を出しているアーティストは、1万枚しか売れなくても、長く10年20年やっているという例もある。そんなところをWebの世界で実現しようとすれば、毎週金曜日にはなんらかのコンテンツが変わる、ニュースは10本20本なくてもいいけど毎日2〜3本は上がっている。といったリズムを裏切らないようにして、ニュースに関してはおもしろいニュースからシリアスなニュースまでちゃんとしたものを提供していけば、ユーザーがついてくるかなと思ったら結果としてついてきた。

左:サウンドグラフィックがデザインを手掛けている、東京代官山にあるクラブ「UNIT」のサイト


当初は、クラブなんかもWebメディアへの信頼なんて皆無に等しく、正直言って取材行く時も自分でチケット買って入ってるような状態で、露骨に断られるお店とかもあった。それが大きく変わったのが、ある有名な海外のDJが突然都合が悪くなって来れなくなった時のこと。その土曜日のイベントが水曜日にキャンセルになってしまって。それで、そこのクラブの担当者から夜中に「higher-frequencyしかこういった情報流せるところ無いし」と言って電話がかかってきた。当時、オフィシャルのホームページだって携帯だってそんなにアクセスが多い時代ではなく、「当日の混乱を避けたいので、何とか頼めないか」ということで、翌朝一番にニュースを載せました。

で、結果土曜日当日になって来場者が1000人くらいいて、その中で来日キャンセルを知らなくてクレームしたのが4〜5人だったんですね。もちろんなかには言わなかった人もいると思うのですが。僕自身もこれには驚いて、その期間のアクセスをチェックしてみたのですが、アクセス自体は1日せいぜい300人程度。ただ、分かったのは、そのうちの記事をリンクで掲載してくれているサイトやブログがたくさんあって、そこからさらに繋がっているブログなどであっと言う間に伝わっているということだったんです。

そこで初めてビジネスを意識しましたね。やはり、これが今の情報の伝達のあり方だし、逆にシークレットパーティの情報もこれくらいの短期間でクオリティの高いものだったら伝えられると理解しました。それまではHigherFrequency のことを個人のブログ程度でしか考えられていなかったのですが、そういった事例が業界の中でも噂になって、結果として市民権を得てプレスパスなんかも貰えるようになりました。

それからは、そういった情報がとても早いサイトだということになって、1日4千人ぐらいにアクセスが伸びて、ビデオインタビューをしたり、国内のDJをフォーカスしたりなど、いろいろ展開していって100万ページビュー越えた時に、もうメディアとしてのブランド価値は十分できたかなと思いました。


——それから配信ビジネスなどをはじめるようになったのですね。


中村●そうですね。でもクラブシーンの人たちはどうしても、セルアウトするというかコマーシャルに走るのを嫌がる人たちが多いので、やはりそういったビジネス的な匂いは極力減らして、いわゆる客観的でノーコマーシャルなフェアでいいものを紹介するということに、ずっとフォーカスしてきたのですが、ようやくお客さんの信頼も得れてきたので、そろそろ物を売っても怒られないかなということで始めたのが配信サイトです。




(取材・テキスト/服部全宏 撮影/谷本夏 編集/蜂賀亨)




中村英訓


株式会社サウンドグラフィックス 代表取締役


プロフィール
1967年岡山県生まれ。大学卒業後、東京銀行に入行。4年間の勤務の後、音楽好きが講じてワーナーミュージック・ジャパンに転職。その後、約10年間にわたって、会長室、編成部など、主に制作部門を側面支援する部門を歴任する。'03年に新しいエンターテイメント・ビジネスのあり方を追求するために(株)サウンドグラフィックスを設立。印刷・Web・音楽配信・音楽出版業務などを事業の中心にすえながら活動している。現在5期目
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