第2話 モデルから役者、そしてWebの世界へ | デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-
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成功を勝ち取れ!異業種からの挑戦

第2回 株式会社ベースメントファクトリープロダクション 施井史氏の場合


株式会社ベースメントファクトリープロダクションのWebディレクター・施井史氏の前職は、なんと役者。舞台や映画に出演するほか、CMやポスター、雑誌など、さまざまなメディアでモデルとしても活躍していた彼が、なぜWeb制作ディレクションへの道を選んだのか——。その興味深いキャリアの後ろ側には、意外な原体験が潜んでいた。

第2話 モデルから役者、そしてWebの世界へ

──役者の世界から、いきなりWebの世界に飛び込みたいと思った、その動機を教えてください。
施井●僕の家族が、かなり早くからWebに対して積極的だったことは大きいかもしれません。僕が中学生の頃に、父親が「一人に一台パソコンを買い与える」って言い出したんですよ。僕は最初、パソコンよりもプレイステーションの方がほしいと言って、どっちも買ってもらえなかったんですけどね(笑)。うちは三人兄弟で姉と兄がいるんですが、その兄がパソコンにかなり詳しくなって、いろいろと教えてもらいました。ずいぶん前から「施井家の掲示板」もあって、一緒に住んでいる頃から、掲示板上でお互いの状況を報告し合ったりしてましたね。

──ということは、家族ぐるみで早くからコンピューターやWebに対して積極的だったんですね。
施井●そうですね。僕の兄は現代美術の作家なんですが、インターネットを使った作品も作っていて、そのスピード感とか……とにかくWebってスゴイなとは思っていました。でも、だからといって、すぐに自分がWeb制作の現場に入りたいとは思ってはいなかったんです。もちろん、Webに対してまったく無関心とか無知だったわけではないんですが、“Webの世界で何かできれば……”と思うようになったんですね。それがだんだんと、“もっとWebというものの本質を知る必要がある”と感じるようになっていったんです。

──なぜ、そんなふうに感じたのだと思いますか?
施井●時代がWebだったと言えばいいかな……Webのような新しい媒体って、そうそう生まれてくるわけではないと思います。そんな、新しい媒体に自分が入り込む必要があると思ったんですよね。たとえばモデルとしての活動においても、だんだんWebの中の仕事が増えて来てましたし、自分のホームページを持ったら、知らない人からメールが来たりして、そんなことも面白いと感じていたんですね。

──なるほど。でも、Webの世界に関しては、まったくの未経験だったわけですよね。
施井●そうですね。自分のホームページも兄に作ってもらっていたし、自分ではブログの更新くらいで、特別なことは何もしてなかったんですよね。でも、2006年の夏頃から、役者をやりつつ、Web制作の通信教育を受け始めました。その頃からWebの世界に本気で行きたいと思ってましたね。

──通信教育ではどんなことを学んでいたんですか。
施井●Webに関する、すごく基本的なことでしたね。実は、僕はもともとロジカルな考え方をする方なので、最初はコーディングに興味を持っていました。Webを見ていてもソースを見るのが好きだったし、そういった言語を見てると美しいな、楽しそうだな……と感じていて。でも、コーダーの職に就くにはスキルがないと厳しいという現実も徐々にわかってきた。そこで、転職仲介をしてくれる会社に相談してみたところ、「ディレクターとしてWebの世界に入るという方法もある。ひとまず入ってからスキルアップしていけばいい」と教えてもらい、方針転換してWebディレクター職を受けることにしたんです。

(取材・文:草野恵子  撮影:栗栖誠紀)

株式会社ベースメントファクトリープロダクション
http://www.bfp.co.jp/
1997年に設立。現在ではクリエイティブを要する様々な分野で幅広く活動している。メインであるWeb制作においてはプロジェクトマネジメントからグラフィックデザイン、モーションデザイン、音源制作も含めたサウンドプロデュースの他、Webアプリケーション開発やネットワークサーバ構築などのシステム開発に至るまで、全てにおいて対応できる環境を自社グループ内で整えている。



次週は「第3話 未経験でトライしたWeb業界」についてお届けします。

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