第4話 越境するデザイン意識 | デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-
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様々なジャンルで活躍するデザイナーの来歴をたどるシリーズ。今回は浜田省吾、尾崎豊など、錚々たるアーティストのジャケットを手がけてきたアートディレクター、田島照久さんを取材し、今日までの足跡をたどります


第4話 越境するデザイン意識



田島さんの「原点」小松崎茂の世界

デスクの上に置かれた田島さんの「原点」


小松崎茂さんへのオマージュ



──94年に、現在の事務所「ジーズデイズ」を設立されました。

田島●そうですね。スタッフも増えてきて、ようやく満足できるマシン環境も整ってきたのを機に、会社として運営していくことにしました。

──それまで音楽関係が中心でしたが、その頃から『DINOPIX』などデジタル写真集を手がけられるようになりましたね?

田島●小さい頃のトラウマというか憧れというか、幼稚園のときに1930年代に作られたSF映画の『キングコング』を劇場で観たときに、ものすごい衝撃を受けたんです。あのモノクロの感じ、埃っぽいアナログの光の感じ……いま観てみるとちゃちなマペット・アニメーションのヒトコマ撮りでしょうが、その色気というか、CGではない立体物が動く魅力が自分の中に棲みついていたんです。Photoshopを導入した頃、海洋堂のパッケージの仕事を始めてまして、海洋堂さんがまだギャラリー展示だけで展開されている地味な時期だったのですが、ロゴなどをデザインしたお礼に恐竜を何体かいただいて。それをオフィスに飾って眺めていた時に、あの『キングコング』の世界を再現できないかと思い立ったんです。

──デザイン的な技術とマシンの環境、写真のスキルも合体して。

田島●ええ。自分としてはグラフィックデザイナーの意識でずっと仕事しているのですが、何かに凝っていく時期が、いつも変わっているんです。アナログの写真ばっかり撮っている時期は自分でカラープリントまでやるほど凝ってみたり、尾崎豊さんの仕事を始めた頃はタイポグラフィに興味があって。実はタイポグラフィを突き詰めるまで突き詰めたのが、意外や尾崎さんの仕事なんです。それを自分の中で消化した次に来た興味が、デザインではなくてイラストレーションを作ることだった。手法はデジタルですが、自分としてはキャンバスに絵を描く感覚なんですね。それで作ったのが、恐竜のイラストレーション、つまり写真表現としての合成画像だったわけです。

──その後も写真集としてはUFOを題材にした『アイデンティファイアー』から『AIBO DREAM』『ガンダムフォトグラフィー』と続いて。

田島●恐竜画像づくりの時代から、その手法が続いているんです。実はその源を突き詰めると、小松崎茂さんに行き着くことがわかった。子供の頃、プラモデルのパッケージの絵や少年誌のグラビアの口絵をそっくりに模写していて、それを出来上がるそばから欲しがる級友にあげていました。親に言わせると、寝食を忘れるくらいに夢中で描いていたらしいです。雲や海といった背景の再現の仕方は、そんな小松崎さんの影響をものすごく受けていると思います。

──その一方、CDなどのデザインの仕事も自身で写真を撮られて。

田島●そうですね、基本的に受ける仕事は、全部自分で撮るようになりました。最高のシャッターチャンスを逃さないためというか……たとえばモデルの顔が暗いけどそのほうがいい写真が撮れそうなときなど、自分がクライアントを説得できると判断すれば、ファインダーを覗いた時点でのアイデアがすぐ活かせるわけで。

──いまデジタルで写真の加工も楽になって。

田島●手短になったというか、失敗も少なく済む。そういう意味では、デジタルの恩恵は大きいと思いますね。でも、僕はいまもアナログと両方撮っています。銀塩もまだまだ愛着がありますからね。無段階のグラデーションなど、まだまだアナログには敵わないものがあります。

──アニメーションの仕事も多いですね。

田島●ええ。最近のアニメーションのパッケージも、すごく変わってきましたよね。僕が『機動警察パトレイバー』を始めた80年代の中頃、グラフィックデザイナーは誰もアニメのパッケージには目を向けてなかったと思うんです。依頼が来た時は、それまで音楽畑でロックしかやってなかった僕に「なんで?」と思いました。でも依頼してくれたバンダイ側としては、それが狙いだったと思う。ちなみに『パトレイバー』って、日本でオリジナルのアニメをパッケージで売る最初の企画だったんです。それまで高額だったビデオを市場価格の3分の1で売るという斬新なスタートで、OVAというカテゴリーを作った。常識を覆す企画だからこそ、畑違いの僕を起用してくれたんです。

──アニメをロックの手法で売る?

田島●当時、バンダイ映像事業部のプロデューサーだった鵜之澤伸さんがその企画を起ち上げられていて「もう、田島さんの感覚で好きにやってもらって構わないから」と僕を起用してくれた。いまではアニメのDVDがロックと並んで売られるのが普通になってますが。僕にとっても当時、初めて越境したデザインとなったんです。


DINOPIX DINOPIX

identifier

『機動警察パトレイバー2 the Movie』DVD『攻殻機動隊 2nd GIG』DVD BOX『攻殻機動隊 Solid State Sosiety』DVD

上段:『DINOPIX』1994年
「1995年にフランクフルトのブックフェアで紹介されると、12社から出版オファーが来ました。北米、ヨーロッパ、日本を合わせて4万部という数字は、こんなマニアックな写真集としては異例のことでしたね。海洋堂さんの倉庫にあった足が取れてしまったようなものまで含めて50体くらいの恐竜のフィギュアを、太陽光の下で撮影して、まだレイヤー機能がないPhotoshop1.0で作ったものです。その頃、海洋堂さんとは、主にロボットものを手掛けていて、精度の高い商品群に合わせて、結構凝ったパッケージをたくさんデザインしていましたが、過剰にマニアック指向の海洋堂さんがこれほど大きくなられるとは、当時は思いもしなかった」

中段:『identifier』1996年
「DINOPIXシリーズの次に、3Dソフトを使ってつくったのがこのUFOシリーズでしたが、実はUFOというのは言い訳で、日常空間に変な物体が浮かんでいる面白さを狙ったものでした。写真集として出版すると、多くの企業からイメージとして使いたいという申し入れが来ました。僕は異様なものを表現したつもりでしたが、意外に良いイメージとして捉えてもらったようでしたね。観る人の捉え方ってわからないものです


下段:アニメーションパッケージ 2004-2007年
左『機動警察パトレイバー2 the Movie』DVD/中『攻殻機動隊 2nd GIG』DVD BOX/右『攻殻機動隊 Solid State Sosiety』DVD
「アニメーションは、いまや日本の重要な映像産業ですけど、押井守監督の作品や『攻殻機動隊』などはファンの年齢層も高く、従来のアニメのパッケージではないものを目指しています。手を替え品を替え、新しい抜き型を試したり、新しい表面加工を取り入れたりと、常に最新の印刷技術を駆使して、取り組んでいます。ジーズデイズではデザインだけではなく、線画だけもらって色をつけたり画像まで作り込むことが多いですね。DVDのメニュー画面や、タイトルの動画を作ることもあります。日本のアニメーションは水準が高く、面白い作品が多いだけに、これからはもっともっと大人のアニメが確立していくと思いますね。目指しているのは、大人が買いやすいパッケージなんですが……」



最先端のテクノロジーに貪欲でありたい




──ざっと振り返りましたが、ソニー入社から36年。

田島●僕の年齢でまだ現役で、InDesignのオペレーションからFinalCutProで映像の編集まで自分でやっているデザイナーって、あまりいないのではと思います。普通はデザイン会社の経営だけやるとか、僕なんか珍しいですよね。でも、まだまだ……もはやストーンズの心境ですね(笑)。嫌がられても、依頼がある限りはやっていくつもりです。自分の手作業から生まれる、綿密に完成されたデザインが好きなのだと思います。バンドをやる時間がないのが最大の悩みですが(笑)。

──でも、自家中毒になることはないですよね?

田島●やりたいことは、いっぱいありますからね。デザインに限らず「これやりたい」と思うことを書き出したら、結構あるんです。油絵を描いてみたいとか、書道を極めてみたいとか、切りがない。それ以前にデザイナーとして、こういう作品を作ってみたいというアイデアもたくさんあるし。自著本の企画もいろいろと、毎日それを考えていると、時間がないので焦ってしまいますが……。

──美術部でやっていた頃と心境は……

田島●変わらないというか、いまだに夢心地でデザインの仕事をしてます。世の中の仕組みとかはどうでもよくて、常識はあるけれど、普通の大人にはなりきれてない気がしてますね。こと創作においては、常識って必要以上には要らないと思うんです。非常識は困りますが。

──好きなことをやっていると、ストレスもないのでは?

田島●まあ、最近は他聞にもれずクリエイティブに関わる予算が少なくなってきていますから。そういうところではストレス抱えます。かといってクオリティは落とせないので、費やす時間は以前よりかけないと成立しない。でもそれは、みなさん同じ状況だと思うから、やり方自体をクリエイティブに改善していくしかないですね。そのためのコンピュータの活用なのだと思いますね。

──では、最後にアドバイスを。

田島●ひとつだけ提案したいのは、もしみなさんの前にあるコンピュータがないとしたら、あなたはどんなデザインをしますか? ということです。自問自答してみてください。そのなかに、自分がこれから取り組んでいく重要なテーマがあるはずです。その半面、最先端のテクノロジーにも貪欲じゃなければならないと思いますから、難しいですよね。いずれにしても、状況を見極め、どんなデザインでも楽しく取り組むことです。

──Webの仕事も興味が?

田島●僕の世界観を反映させるようなものは、まだできていませんが、これからの可能性は計り知れない分野だと思います。極端な話、僕は紙の文化はいつかなくなると思っているんです。いろんな人が「なくならない」と言っていますが、僕はなくなると思っている。逆になくならないとおかしいと。それはいつか言えないですけれど……。紙の表現は贅沢な分野としてはなくならないとしても、社会にとってはそのほうが健全だと思う。だからますます、目が離せないですね。


井上雄彦画集 『WATER+墨』


ガンダムフォトグラフィーガンダムフォトグラフィーガンダムフォトグラフィー


上段:井上雄彦画集 『WATER+墨』2006年
「『バガボンド』の装丁をしていて、この画集の制作に携わることになったのですが、仕上がるまでに3年以上をかけています。何度も何度も推敲を重ね、いろんな角度から試しました。デザインバージョンが5〜6タイプありましたね。どこか1カ所でも変えると、その変化が全体に及び、全部やり直しで、もう、さながら武蔵の修行のような3年間でした。レーザーライターで出力したページ数だけでも数千枚はあると思います。途中で何度も挫折しそうになりましたが、最終的には井上さんにも喜んでいただき、これ以上のものはないと言えるくらいの仕上がりになっています。井上劇画の凄さを再認識させられますよ。必見!」

下段『ガンダムフォトグラフィー』2004〜2008年
「アメリカ市場でプラモデルを売るにあたって、パッケージには商品内容がわかるものを……ということでプラモデルの完成した姿が必要でした。そこでガンダムの画像を数十枚作ったのがきっかけでした。イラストを描いている感覚で、各テーマにあわせて面白いようにできていました。そのアメリカ版パッケージの仕事が終わったあとも、なんだかハマってしまって、1年くらいは時間ができると、独自にガンダムの画像を作り続けていました。話したように、小松崎茂さんの絵を模写していたとき以来のイラストを描く楽しさを味わっていました。ガンダムはさすがに、それで育った世代ではありませんから、サンライズの方に監修してもらったりしながらも、気ままに作っていましたので、中には疲れきってへたっているものや、黄昏れて海を見つめているものなど、およそガンダムの世界観やロボットの表現としては逸脱しているものもありますが、もしガンダムの世界が写真に撮られたら『こんなに風に見えるはずだ』と思いますね。そのあたりの見え方にはこだわって、真面目に取り組んでます。この春にはソフトカバーの廉価版で『GUNDAM PHOTOGRAPHY ELEMENT』が再出版され、ユニクロからは僕がデザインした『GUNDAM PHOTOGRAPHY Tシャツ』が10タイプ発売されます。機会があったら手に取ってみてください」



「これがデザイナーへの道」第19回、田島照久さんのインタビューは今回で終了です。

(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)


田島照久さん

[プロフィール]

たじま・てるひさ●1949年福岡県生まれ。多摩美術大学グラフィック・デザイン科卒業後、CBSソニーに入社。デザイン室勤務を経て、80年に独立。94年「ジーズデイズ」を設立。音楽/映像ソフトのパッケージ、広告、書籍装幀など、多岐に渡る分野のアートディレクションを手がける。また『DINOPIX』『identifier』など、自身によるデジタル写真集を出版

http://www.thesedays.co.jp/




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