第1話 プログラマーを目指し、情報処理を専攻 | デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-
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転職はゴールではない 3年目の壁、5年目の転機

“仕事の壁”は誰にでもやってきます。そんなとき、ほかのみんなは、どうしているのでしょうか? このコーナーでは、今まさに壁を乗り越えようとしている人、乗り越えて一歩先に進んだ人など、クリエイティブ業界でがんばる仲間たちが登場。これまでの失敗談・成功談や現在の課題、そして将来像を語ります。今の仕事に前向きに取り組み、階段を一段登るためのヒントが得られるはずです!


第4回 株式会社デジタルブティック 相馬哲也さんの場合


株式会社デジタルブティックのデザイン&クリエイティヴチームのマネージャー、相馬哲也さんが、コンピュータの魅力にみせられて情報処理の勉強を始めたのは10代の頃。当時はインターネットが登場する遥か以前。その後のコンピュータの進化とインターネットの登場とともに、パソコンがオフィスにどんどん導入されていく一連の経緯を、実際に経験して来た世代である。そんな彼はプログラマーとしてキャリアをスタート。そして、30歳を過ぎてからWeb制作・デザインの道を模索することに。それはちょうどWeb制作の黎明期でもあった。複数の会社でWeb制作に従事しながら、少しずつ自分の居場所を見つけていった相馬さんに、今までの軌跡や現在の仕事についてお伺いしました。

[プロフィール]
そうま・てつや●東京都出身の42歳。育英高等専門学校卒業後、システム会社に就職、プログラマーとして社会人のスタートを切る。当時はまだインターネット登場前。最初の仕事はFA(ファクトリー・オートメーション)システムのプログラミングだったという。その後、プログラマーとして転職を果たし、順調にキャリアを積んでいたが、インターネット登場という時代の流れとともに、興味はWeb制作へとシフトしていく。2007年、デジタルブティックにシステム担当として入社。半年後にはデザイン&クリエイティヴチームのマネージャーとなる。管理職となった今でも、案件に応じて、プログラミングを書くこともあれば、デザインもすることもあり、同時にディレクションを行うこともあるという。ひとりで何役もこなすマルチプレイヤーだ。
http://www.digitalboutique.jp/index.html


第1話 プログラマーを目指し、情報処理を専攻

──相馬さんの社会人としてのスタートは、プログラマーだとお伺いいたしました。もともとプログラマーを目指して、専門学校などで勉強されたのでしょうか。
相馬●そうですね。僕は5年制の高等専門学校出身なんです。中学卒業後に高専に入り、情報処理を専攻していました。

──ということは、中学生の頃に、既にプログラマーを目指していたということですね。
相馬●そうですね。当時はとにかく、コンピュータというものが「何でも自動で動くすごいもの」だという憧れが強くありました。その頃はコンピュータを「マイコン」と呼んだりしていた時代でしたけど、とにかく電子頭脳みたいなイメージで……。そんなわけで、普通の高校ではなく高専を選んだんです。

──なるほど、かなり早い段階からコンピュータをお仕事にするという目的意識がはっきりとされていたんですね。その後、晴れて新卒でシステム会社に入社されるわけですが……?
相馬●はい。FA(ファクトリー・オートメーション)システムの会社に入社しました。その会社は、本当にさまざまな業界の工場のシステムを担当していまして、わかりやすい例で言うと、ベルトコンベアで流れてきた製品の数を数えたり、チェックするための補助となる産業ロボットのプログラムを組んだり……。担当した会社でいうと、化粧品メーカー、自動車メーカー、それに製鉄会社などですね。入社したのが86年ですから、ちょうどバブルの時代でした。

──時代を感じさせますね……。入社3年後に早くも転職を果たすわけですが、次の会社でもプログラマーとして採用されたのでしょうか。
相馬●そうですね。プログラマー兼システムエンジニアという形でしょうか。ちょうどその頃、電子メールがやっと普及し始めた頃で。社内のシステムを担当するエンジニアとして採用されました。……実は新卒で入社した一社目の上司が、先にその会社に転職していまして、誘われたんですよね。二社目はかなり大きな会社だったんですが、そこの本社配属となりました。

──当時はオフィスにパソコンが普及し始めた頃ですよね。
相馬●そうです。ちょうどOA化が進みつつある過渡期でしたが、とはいえ、まだインターネット前だったんですよ。ですから、電子メールと言っても、社内のメールシステムとして「cc:MAIL」などを導入したり、イントラネットを構築したり……ありとあらゆるオフィス内のシステム化をやりましたね。エクセルとか、Lotus 1-2-3とかで各個人が勝手に作っていた書類を、サーバというのができて、それをデータベースで管理するということを始めて……そのデータベースの構築をやったりという、そんな時代でした。

──まさに、アナログからデジタルへの過渡期だったわけですね。

(取材・文:草野恵子  撮影:栗栖誠紀)







株式会社デジタルブティック
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コミュニティに関する総合的なソリューションを丸ごと提供する、株式会社デジタルブティック。1996年の会社設立時から一貫して「コミュニティ」をキーワードに、さまざまなサイト制作、企画・運営、マネジメント、コンサルティングを行っている。同社が最初に手掛けたコミュニティサイトは、日本中のサーファー達がネットを使ってコミュニケーションする「SurfLink」(1995年)。今で言うCGMであり、サウンドやグラフィックを多用した使いやすいインターフェースは、当時としてはかなり画期的なものであった。1998年には、妊娠・子育てをサポートするコミュニティ「ベビカム」をオープンし、サイトは今年10周年を迎えた。その後も自社運営だけでなく、企業とのビジネスアライアンスを含め、PC、携帯を問わず、さまざまなコミュニティサイトを立ち上げている。


ベビカム(デジタルブティック)

http://www.babycome.ne.jp/

ゴガクル(NHKエデュケーショナル)

http://gogakuru.com/

YOUR BEST DOCTOR(メディファクト)

http://yourbestdoctor.jp/

次週は「第2話 正社員を捨て、Web制作の世界へ」についてお届けします。
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