さまざまなジャンルで活躍するデザイナーの来歴をたどるシリーズ。今回はグラフィック・デザイナーの炭谷賢さんを取材し、今日までの足跡をたどります。
第2話 アシスタント時代
初台の自宅にて、炭谷賢さん
岩淵まどかさんとの出会い
──桑沢に3年といたということは、最後、研究科に?
炭谷●はい。推薦受けて進んだのですが、まだちょっと猶予期間が欲しかったんですね。
──その頃、憧れていた人は?
炭谷●誰々のデザインが好きというのはなくて、ビジュアル的なかっこよさも大事ですけど、結構アイデアをひねり出すほうが好きで。それもちょっとひねくれた感じの。
──当時、グラフィックデザイン・ブームってあったでしょ?
炭谷●13年ぐらい前ですよね。当時フライヤーがブームでした。DJをしていた関係もあって、僕もいろいろ作らせてもらいました。
──卒業後、どうしようと?
炭谷●デザイン会社に就職したいと思って活動したのですが、学校に来る募集はあんまりいいところがなかったんです。自分のやりたいところで働きたいじゃないですか。で、好きなデザインを作っているところに電話かけて、いろんなところ回ったんです。いくつか良い返事をもらっていたんですけれど、これという決め手がない状況で、一番最後に岩淵まどかさんに会いに行ったんです。
──どんな作品を見て?
炭谷●雑誌の『FADER』です。
──ああ、なるほど。
炭谷●あれを見て「これはヤバイ」と(笑)。最初、岩淵さんは山田拓矢さんと二人で「QFD」という名前で活動してたんですね。で、夫婦かと思ったんです(笑)。仕事は二人でやっているものだと思って。
──どちらもシンプルでヒネリがあるデザインですよね。
炭谷●電話したら岩淵さんが旅行中で、山田さんが「おいでよ」と呼んでくれたんです。そこでDJとかして遊んでたら(笑)山田さんが僕のことを気に入ってくれて。で、ちょうどアシスタントを探していた岩淵さんに紹介してくれたんです。
──タイミングよかったですね。
炭谷●ほんと、そう思います。で、すぐに入れてくれたんです。
──岩淵さんの印象は?
炭谷●こわかったですよ、はじめは(笑)。ピリっと張りつめた空気感を持っていた。いまもずっとですけど「親方」「師匠」って感じで。
炭谷●はい。推薦受けて進んだのですが、まだちょっと猶予期間が欲しかったんですね。
──その頃、憧れていた人は?
炭谷●誰々のデザインが好きというのはなくて、ビジュアル的なかっこよさも大事ですけど、結構アイデアをひねり出すほうが好きで。それもちょっとひねくれた感じの。
──当時、グラフィックデザイン・ブームってあったでしょ?
炭谷●13年ぐらい前ですよね。当時フライヤーがブームでした。DJをしていた関係もあって、僕もいろいろ作らせてもらいました。
──卒業後、どうしようと?
炭谷●デザイン会社に就職したいと思って活動したのですが、学校に来る募集はあんまりいいところがなかったんです。自分のやりたいところで働きたいじゃないですか。で、好きなデザインを作っているところに電話かけて、いろんなところ回ったんです。いくつか良い返事をもらっていたんですけれど、これという決め手がない状況で、一番最後に岩淵まどかさんに会いに行ったんです。
──どんな作品を見て?
炭谷●雑誌の『FADER』です。
──ああ、なるほど。
炭谷●あれを見て「これはヤバイ」と(笑)。最初、岩淵さんは山田拓矢さんと二人で「QFD」という名前で活動してたんですね。で、夫婦かと思ったんです(笑)。仕事は二人でやっているものだと思って。
──どちらもシンプルでヒネリがあるデザインですよね。
炭谷●電話したら岩淵さんが旅行中で、山田さんが「おいでよ」と呼んでくれたんです。そこでDJとかして遊んでたら(笑)山田さんが僕のことを気に入ってくれて。で、ちょうどアシスタントを探していた岩淵さんに紹介してくれたんです。
──タイミングよかったですね。
炭谷●ほんと、そう思います。で、すぐに入れてくれたんです。
──岩淵さんの印象は?
炭谷●こわかったですよ、はじめは(笑)。ピリっと張りつめた空気感を持っていた。いまもずっとですけど「親方」「師匠」って感じで。
炭谷さんの仕事より
左上:フリーペーパー『FLOOR net Club Wall Paper』
右上:アルビオン化粧品/販促用カレンダー
6名の気鋭イラストレーターによる内容
左下:六本木ミッドタウン『Beaujolais Villages Nouveau』
イラストレーター佐々木香菜子氏によるイラストをレイアウトしたもの
右下:LaQua 『Lover's LaQua』バレンタイン&ホワイトデーのポスター
イラストレーター鈴木ヒロキ氏を起用したディレクション
左上:フリーペーパー『FLOOR net Club Wall Paper』
右上:アルビオン化粧品/販促用カレンダー
6名の気鋭イラストレーターによる内容
左下:六本木ミッドタウン『Beaujolais Villages Nouveau』
イラストレーター佐々木香菜子氏によるイラストをレイアウトしたもの
右下:LaQua 『Lover's LaQua』バレンタイン&ホワイトデーのポスター
イラストレーター鈴木ヒロキ氏を起用したディレクション
妥協はしないという教え
──アシスタントとして働き始めて、どうでした?
炭谷●25歳でしたが、年齢関係なく初心者でしたから。学校では実務的なエディトリアルは教えてもらえなかったので、現場で全部学んだんですよ。見ながら、直しながら、ちょっとずつ細かいところをやらせてもらって……を繰り返して。
──岩淵さんから学んだ大きなものは?
炭谷●ごく人間的な部分ですね。一般常識もですが(笑)、特に仕事に対する心構え。それはすごく影響されましたね。妥協がない人なんです。僕もいまそう思ってやっていますが、妥協っていわゆる手抜きに近いニュアンスがあるじゃないですか。それやっちゃうとダメだと思うんです。人はちゃんと見てるから。いいもの作る以前にそういう心構えは必要で、仕事だけではなく実生活においても大事にしていますね。
──デザイン的には?
炭谷●岩淵さん、文字組みがきれいですよね。文字の扱い、こんなにきちんとやらないとダメなのか、面倒だなって(笑)。でもやっぱり仕上がりの見え方が全然違う。かっちりカーニングして揃えて調整して。バラつきある文字は汚いですから。そういうところは大事にしています。
──どのくらいアシスタントを?
炭谷●4年いました。岩淵さん的にも常駐のアシスタントは雇わない方針になって。あ、僕を早く出したかったのかな(笑)。でも4年もいたら、逆に独立しないと迷惑だろうし。
──で、すぐに独立って道を選んだんですか?
炭谷●はい。他は……考えなかったですね。もう、自分でやりたいことをやろうと、と。
──もう20代もおしまいの頃でしょ?
炭谷●そうですね。年齢的にも考えたし、人の下で働くのが嫌だったんですよ。昔からそれが苦手で(笑)。自分の中で、自分でケリをつけないとダメな性分なんです。だったら一人でやるしかないと思って。何もなかったですよ。コネもお金も。でも、やるしかないだろうって。
炭谷●25歳でしたが、年齢関係なく初心者でしたから。学校では実務的なエディトリアルは教えてもらえなかったので、現場で全部学んだんですよ。見ながら、直しながら、ちょっとずつ細かいところをやらせてもらって……を繰り返して。
──岩淵さんから学んだ大きなものは?
炭谷●ごく人間的な部分ですね。一般常識もですが(笑)、特に仕事に対する心構え。それはすごく影響されましたね。妥協がない人なんです。僕もいまそう思ってやっていますが、妥協っていわゆる手抜きに近いニュアンスがあるじゃないですか。それやっちゃうとダメだと思うんです。人はちゃんと見てるから。いいもの作る以前にそういう心構えは必要で、仕事だけではなく実生活においても大事にしていますね。
──デザイン的には?
炭谷●岩淵さん、文字組みがきれいですよね。文字の扱い、こんなにきちんとやらないとダメなのか、面倒だなって(笑)。でもやっぱり仕上がりの見え方が全然違う。かっちりカーニングして揃えて調整して。バラつきある文字は汚いですから。そういうところは大事にしています。
──どのくらいアシスタントを?
炭谷●4年いました。岩淵さん的にも常駐のアシスタントは雇わない方針になって。あ、僕を早く出したかったのかな(笑)。でも4年もいたら、逆に独立しないと迷惑だろうし。
──で、すぐに独立って道を選んだんですか?
炭谷●はい。他は……考えなかったですね。もう、自分でやりたいことをやろうと、と。
──もう20代もおしまいの頃でしょ?
炭谷●そうですね。年齢的にも考えたし、人の下で働くのが嫌だったんですよ。昔からそれが苦手で(笑)。自分の中で、自分でケリをつけないとダメな性分なんです。だったら一人でやるしかないと思って。何もなかったですよ。コネもお金も。でも、やるしかないだろうって。
次週、第3話は「独立してみたら……」を掲載します。
(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)
(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)
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[プロフィール] すみたに・けん●1973年神奈川県生まれ。桑沢デザイン研究所を卒業後、岩淵まどかさんのアシスタントを経て独立。現在、グラフィック・デザインの他、「STEREOCITI」名義で音楽活動も行っている。音源はスペインのレーベル「Deep Explorer Music」より配信中。 http://www.myspace.com/stereociti |