第3話 打越俊明氏との出会い | デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-
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まざまなジャンルで活躍するデザイナーの来歴をたどるシリーズ。今回はグラフィックデザイナーの阿萬智博さんを取材し、今日までの足跡をたどりま


第3話 打越俊明氏との出会い



阿萬智博さん

世田谷代田の仕事部屋にて、阿萬智博さん


バイトでとんねるずに会う!



──無事に就職後の配属は?

阿萬●デザイン部みたいなところはないんです。第1グループから第9グループぐらいまであって、その中にタテ割りで営業、業務、デザイナーが所属して、クライアントによって、そのラインが変わっていく。僕は最初、パイオニアのラインに配属されて、ちょうど通信カラオケが導入された頃だったから「若い子的にはどうなの?」とか、新人の割に意見をとりいれてもらえたりしました。

──デザイン的には、まだアナログ時代ですか?

阿萬●1992年ぐらいでしたから、一応DTPも導入されてました。でも入社して「Macを使え」と言われても「嫌だ」と逃げ回ってたんです。何がいいんだか、全然わかってなくて……。取り扱い説明書を作るのに、直線を引いたりするぐらい。版下を作るっていうイメージはなかったですね。だから「やだやだ」と言って手でやってたんですけど、あるとき、すごく大きい版下を作らなくてはならなくなって、トンボを引くのにどうしても歪んでしまう。何回もやり直していたら上司がMacで引いて「ほら、こんなに簡単にできるよと」言われて、しぶしぶ使い始めたんですよ。

──トンボ引きからMac憶える人、多いんですよ。

阿萬●その上司がすごくありがたいんですけど、どうやったらMacに興味を示すか考えてくれたみたいで、得意のイラストを描かせてくれたり。段々使えるようになって、お金を貯めて3年目ぐらいに自分も買いました。その後、移動があって、今度はブリヂストンの担当部署に配属されたのですが、僕の担当は新聞の折り込みチラシを作る仕事で、とにかく時間がない。なのでイラストも外注。タイヤのポジの確認ばかりでデザインしている感覚がない。「このタイヤのパターンはGグリッド2だな」とか(笑)。

──ハハハ。

阿萬●それが嫌だったというわけでもないんですけど「もっと手を動かしたいな」と。Macも買ったし、いろんな人に「バイトやらせて」と言ってたんです。そうしたら、たまたまテレビ関係の先輩が「とんねるずの番組でイギリスのSpitting Imageのパロディをやる。政治家なんかの人形を作るから、もとになる似顔絵を描ける人を探してる」と。割と著名人が集まっているコンペだったのですが、それを勝ち取ったんですよ。で、自分のイラストが人形になり、イギリス人スタッフやとんねるずとも会うことができて。

──おお。

阿萬●それが目に止まって博報堂の人が描いてくれと依頼に来たり。自分が入社できなかった博報堂のデザイナーが頼みに来てる、おれってスゴイんじゃんって(笑)。そうやってちょこちょこバイトしてたら、たまたま知り合いがCHARAさんの事務所に入って。僕も好きだったので「なんかやらせて」と言ったら、ファンクラブの会報の仕事をやらせてもらうことになったんですね。で、キンケイの打越俊明さんと出会うことになったんです。


GO!GO!7188『浮舟』KinkiKids『KinkiKids Dome F concert 〜Fun Fan Forever〜』福田沙紀『Sakippo』

阿萬さんの仕事より
左:GO!GO!7188『浮舟』2002年
GO!GO!は20枚以上やっています。これはPVの絵も描きました
中:KinkiKids『KinkiKids Dome F concert 〜Fun Fan Forever〜』2003年
KinKiはソロもあわせるといっぱいやっていますが、掲載できるものが少ない……
右:福田沙紀『Sakippo』(初回盤) 2006年
阿萬企画では珍しい女の子ソロ



キンケイ時代、悲喜こもごも



──打越さんとは仕事で?

阿萬●いや、その知人の結婚式ですね。偶然。僕がCHARAさんの仕事をやっているってことは言ったのですが、作品を見せたことなく、僕も打越さんの作品とか見たことなかったんです。で、代理店でデザイナーやってますって言ったら「辞めてうちにおいでよ」と言ってくださった。とにかく人間がカッコよかったので、じゃあ行こうと思って、ふたつ返事で会社を辞めちゃったんです。

──不安はなかった?

阿萬●たぶん調子乗ってたんですね(笑)。ちょうど25歳ぐらい。もう結婚してたんですけれど、家内の実家が自営業だったので、家内的に「サラリーマンの妻は嫌だ」とよく言われてて。それもあって、ゆくゆく独立するなら、打越さんみたいな親分はカッコいいな……と。

──もともと独立志向はあったのですか?

阿萬●ありました。で、打越さんと会って話してるときに、当時、打越さんが「今後はレーベルを立ち上げて音楽方面に行きたいから、グラフィックは人に任せたい」みたいなことを言っていたんですよ。じゃあ、任されましたって(笑)。

──で、キンケイに参加したんですね。

阿萬●田舎の原チャリ暴走族がヤクザの組に入るぐらい世界が違ってて、居場所のない日々が3カ月ぐらい続きましたかね。何をやっても裏目に出て……。で、あるとき雑誌の企画でCHARAさんの絵を描かされて「お前、イッちゃってるな」と言われて(笑)やっと認めてもらえたな、と。うれしかったですねー。そこからプレゼンにもかけてもらえるようになって、ちょこちょこ通って、最初にグルーヴァーズをやらせてもらえて。

──音楽関係を中心に仕事が始まったわけですね。

阿萬●そうですね。でも、キンケイも仕事が多すぎて、僕が憶えている限り11本ぐらい重なっていたんですよ。打越さんも倒れちゃったり。ほんと死んじゃうんじゃないかと思うぐらい。僕も3本ぐらい抱えていたうえに、もといた代理店からも仕事をもらってたりして、肝心な打越さんのフォローができなくなったりとか、打ち合わせに大遅刻したりとか、そういうのがいろいろあって……。

──悪循環だ。

阿萬●ええ。もう辞めようと思ってから、打越さんに「態度おかしい」と指摘されるまで、たぶん2日間ぐらいですかね。それで「実は辞めようかと思ってます」と伝えたら「明日から来なくていいよ」と。3日前までは一緒に仕事していたのが、3日後には辞めていたわけです。


次週、第4話は「1アーティストを長く継続」を掲載します。

(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)


阿萬智博さん

[プロフィール]

あまん・ともひろ●1970年福岡県生まれ。武蔵野美術大学卒業後、広告代理店勤務を経て、打越俊明が率いる「錦瓊」参加。97年に独立し「阿萬企画」を立ち上げる。CDなど音楽パッケージの他にイラストレーション、スタイリングの分野でも活躍。

http://www.amankikaku.com/




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