第1話 ちり紙交換のおじさんに憧れて | デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-
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様々なジャンルで活躍するデザイナーの来歴をたどるシリーズ。今回は株式会社イメージソースの清水幹太さんを取材し、ディレクター/デザインエンジニアとして活躍する今日までの足跡をたどりま


第1話 ちり紙交換のおじさんに憧れて



渋谷区神泉のオフィスにて、清水幹太さん

渋谷区神泉のオフィスにて、清水幹太さん


小学校時代、ピラミッドの底辺にて……



──小さな頃はどのような子供でした?

清水●小さい頃は非常に鬱屈した子供時代を送ってまして、完全にいじめられっ子でしたね。運動神経がまったくないのですが、小学校ってヒエラルキーのピラミッドが運動神経で形成されているじゃないですか。その底辺に位置しているような子供で、なわとびも2回ぐらいしか飛べない。うちの学校、なわとびのモデル校だったんですよ。なわとびがすべてを決めるようなピラミッド世界で、そこから完全にドロップアウトした子供でした。

──鬱々としていたのですか?

清水●そのかわり、保健委員長をやっていました。で、それはデザインとかに繋がっているかもしれませんが、校内に貼るポスターを作る仕事があるんですね。たとえば「寒風摩擦をしよう」とか「うがいをしよう」とかいう啓蒙ポスターですね。それをよく作ってました。

──やっぱり絵を描くのは好きでした?

清水●好きでしたね。けど、下手の横好きみたいなもので、めちゃくちゃうまかったわけではまったくなくて。ただ、いま思うと漫画そのものは好きで、結構ストーリーを構築するのが好きでした。

──空想好き?

清水●ええ。妄想癖があるので(笑)。

──当時の憧れは?

清水●ちり紙交換のおじさんです。町中をリアルに声を出していると思ったんです。すごくプロパガンダしているじゃないですか。あそこまで開き直って声を出せる人間になりたいな……と思って。いまも結構、やりたいと思っているんです。ちり紙交換のおじさんって、ちり紙交換の社会に入っても上下関係とかのピラミッドがないような気がしてて。かなりニュートラルな社会じゃないかという想像をしてて。

──自由人っぽい性格なのでは?

清水●ええ。あと、自分はルーティンワークが好きな人間で、ひたすら画像を切り抜いたりするのが好きなんです。そういったことを総合すると、ちり紙交換のおじさんになるんですね。


BIG SHADOW(2006年)BIG SHADOW(2006年)

FASHION THERAPY(2007年)FASHION THERAPY(2007年)

REC YOU.(2007年)REC YOU.(2007年)

清水幹太さんの仕事より
上段:BIG SHADOW(2006年)
Microsoft X box 360のゲームソフト『BLUE DRAGON』リリースにあわせて、渋谷の街頭を飾った影絵イベントとWebが繋がったインタラクティブ・プロジェクト
中段:FASHION THERAPY(2007年)http://www.drill-inc.jp/oioi/
有楽町マルイのWebサイト。映画『ウォーリー』のイヴを先取りしたかのような、ボール型キャラクターの近未来的アクションが可愛らしい
下段:REC YOU.(2007年)
ソニー「ウォークマン NW-A910シリーズ」のプロジェクト・サイト。投稿した顔写真がWebとテレビ・コマーシャルで動き流れる、ユーザー参加型キャンペーン


ネットの草分けだった父親からの影響



──なにかを集めたりするのは好きでした?

清水●いや、それはなかったです。でも、想像上のミュージシャンを思い描いて、架空のCDジャケットを作ったりしてましたね。あんまりお金がかからない感じの子供だったんです。

──ご家庭は?

清水●両親ともに詩人なんです。といっても、日本で詩で食べれるのは谷川俊太郎さんぐらいしかいないので、まあフリーみたいなものなのですが……雑誌関係の仕事をしています。ただ、本人たちは「詩人」と言い張っていて。

──芸術的な素養があったのでは?

清水●特別なかったですが、親父がインターネットで詩を公開した草分けなんですね。パソコンおたくで、日本で初めて詩のHPを作ったぐらいでして。

──では、ざっくり原点を探るとお父さんの影響が?

清水●それはあるかもしれません。入口にはなったかもしれませんね。それ以前、パソコン通信をやっている頃は「なんかやっているな」という感じだったのですが、なにか琴線に触れたものがあったのか……親父がHTMLを書き出したのが1996年ぐらいですが、それから「面白そうなことをやっているな」という気がして。なんとなく横目で盗み見て、自分のパソコンを手に入れたり。

──どちらかというと理系だったのですか?

清水●完全に文系です。高校の頃、物理3点でしたから(笑)。

──高校はどちらに?

清水●駒場東邦です。わりかし進学校で、頭はよかったんです。運動神経ピラミッドが小学校の後半からお受験的なことになって、勉強ができたことによって若干ポジションを上げられて(笑)。

──将来へのビジョンとかは出てきました?

清水●まったくなかったですね。相撲がすごく好きだったんですよ。若貴の前ぐらいで霧島の大ファン。彼に憧れて15歳のときに一旦入門を考えたことがあるのですが、もちろん厳しいのでやめました。で、漠然としたまま、ちり紙交換のおじさんへの憧れは持ちつつ高校時代を過ごして、特にビジョンはないまま大学に進んだんです。


次週、第2話は「東大進学、しかし流浪」を掲載します。

(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)


清水幹太さん

[プロフィール]

しみず・かんた●1976年東京都生まれ。東京大学在学中よりWeb制作会社、デザイン事務所での勤務を経て、大学中退後に独立。雑誌/書籍などのグラフィックデザイナーとして活動後、2005年「株式会社イメージソース」に入社。現在、同社のディレクター/デザインエンジニアとして勤務中。

http://www.imgsrc.co.jp




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